あの日以来典明と言葉を交わしていない。顔をあわせることはあるのだが、なんだか恥ずかしくてどう会話して良いのか分からなかった。
 あのときどうして自分は彼の言葉に答えることができなかったのだろうと思うと、胸がずきんと痛む。

 花京院典明はどちらかというとあまり友達のいない方で、自分の気持ちを表に出すことが苦手な性格だ。
 あのときの彼は心なしか少し苦しそうな顔をしていた。
 彼のあの言葉や行動はきっと覚悟の上から絞り出されたものなのだろう。あの場所へ私が彼に苦言を言うために向かったのも、彼が仕向けたことなのだろう。何かあるたびに私はあの場所へ赴いていたから。
 それを思うと肋骨がしぼむような気がした。

 典明は初対面の人間やよく知らない人間にはとにかく偉そうな態度を取るもんだからほとんどの人は離れていく。家が金持ちのボンボンにそんな態度をとられればよく思う人なんていないだろう。
 私はそういうのはどうでもよいと思う人間だった。家が中の下くらいの家計なのでむしろそういうところを気にされると、この私立学校ではコンプレックスで潰れそうになる。
 彼はそういう私の態度が気に入ったのだろう。私も気がね無く話せる友人ができたと喜んだ。

 あれは二年生のテスト直前だっただろうか。
 特待生として在学している私は、引き続き成績優秀者に与えられる学費全額免除の資格を得るためテストに向けて猛勉強していた。休み時間にも必死に机へ向かっていると友人に「そこまでやるか」と呆れられた。
 帰り道でも単語帳を取りだしぶつぶつ英単語を呟く真面目な不審者になりきっていた。
 校門を出て道を曲がったところにニヤニヤと顔をゆるめた花京院典明が立っていた。
「なにそのニヤニヤ顔。気持ち悪い」
「人の笑顔に気持ち悪いとは失礼な。僕からすると公道で独り言ばかりのなまえの方が気持ち悪い」
「知ってる。で、何なの?」
「今日はなんの日か知っているかい?」
「うん、バレンタインデー」
 そう、バレンタインデーだ。テスト前だというのに思いのこもった力作のチョコレートを携えて、女の子たちの何人かは内に秘めた気持ちを意中の相手に告げていた。
「そこで僕からプレゼントだ」
 彼は鞄から金色の小包を取り出す。青と緑のリボンと日本のセンスではない女性の横顔と植物のエンブレムが描かれたシールで装飾されており、英語で何やら書いてあった。訳すと、勝利の女神からの贈り物。
「なにこれ…チョコレート?普通女の子からじゃないの」
「アメリカでは男の子から女の子へ渡すものなのさ」
 そういえば冬休みはアメリカへ旅行に行ったとか行ってたっけ。早速感化されている。
「ここ日本なんですけど」
「知っているさ。敢えて本場のやり方に乗っ取ってるだけさ。まぁ、旅行のお土産として受け取ってくれよ。勝利の女神からの贈り物だから次のテストのご利益もあるんじゃないか?」
「うん、ありがとう」
 勉強続きで正直甘いものが欲しかったのでとても嬉しかった。「さすが典明分かってる」と褒めると得意げにフフッと笑うのだった。
 彼のその笑顔はとてもやさしい笑顔、大好きだ。思わず顔が緩みそうになる。彼がこんな笑顔を見せるのは家族と一部のごく親しい友人だけだ。なんとなく、優越感。
 手に持った小包は大きさの割りにはずっしりと重かった。
「…いつももらってばかりでごめんね」
「構わないさ、僕が好きでやってるだけだ」
「うん…」
 我が家は旅行になんて行くことは無い。だから買えるお土産も親の実家の特産物とかテーマパークのお菓子とか、彼に渡すには少々気がはばかられるものだった。
 しかしお返しを渡さないわけにも行かず、ホワイトデーには手作りのケーキを贈った。包み紙をキラキラした色紙やらリボンやらで飾り立てたが少々不格好だった。それでも彼は満面の笑みで喜び、次の日には美味しかったよという報告までしてくれた。

 春休みが終わって進級しいよいよ受験生となった時は特待生の資格以上に緊張した。家の都合で進学できるかどうかもわからないけれどとにかく神経をすり減らした。まだ4月だというのにすっかり痩せてしまった。
「なまえ、今日僕の家でお茶でもどうだい?香港で買ってきたお土産があるんだよ」
「でも私家に帰って勉強しないと」
 目を合わさず断ろうとするとほっぺたを思い切りつねられた。
「いてて」
「こんなに顔が疲れきっている。リラックス効果のあるものを買ってきたから、今日くらいは休めよ」
 見上げると不機嫌そうに見下げる典明の顔。これは断れないなと確信した。彼は何も邪魔をしようと誘っているのではない。
「じゃあ、御言葉に甘えて」
「決まりだな」
 典明の家は高級住宅街にあるとても大きな家。ぼろアパートの3Kに家族5人がひしめいている我が家とは大違い。
 玄関を通り案内されたのは客間だった。彼の両親は不在のようでシンとしていた。
「おまたせ」
 ソファの柔らかさに驚きながら待っていると彼はお盆にのせた透明のなんやらの容器を持ってきた。なかには黒っぽい小さな球が入っている。
 テーブルにお盆を置き、ソファの隣になれた手つきで準備を進めていく。
「この中に入ってるのはなあに?」
「まあ、見ておけよ。まずお湯を注いで蒸らす。はじめは味がしっかりと出ていないから捨てる」
「もったいない」
 透明の容器は湯気が充満して真っ白になった。
「そして本番。お湯を注いでしばらく待つ。すると」
 典明がお湯を注いでいくとしたから透明になっていく。球が少しふやけているのが見えた。
 お湯を注いでしばらくすると、黒い球は水分を吸って肥大し花びらをぽつぽつと開き始めた。
「わあ…」
「こうなる。綺麗だろ?」
 透明の容器に注がれたお湯はすっかり色づき、真ん中には見事な花が咲いていた。まるで琥珀のなかに花の一番綺麗な姿を閉じ込めたかのよう。
「香りもいいんだ」
 そう言って彼は丁寧に茶を湯飲みに注いだ。透明で、白い小さな花の模様のあるそれは透き通ったうすい茶色に染まっていく。
 ふわりとジャスミンの香りが鼻孔をくすぐる。緊張とストレスで重くなった頭のなかに花畑が広がる。
 目を閉じて香りを楽しんでいると、フフという小さな笑い声。典明が微笑んでいるのだろう。お花畑に何故か彼が現れる。私は彼のチャラチャラした前髪に花を差してやった。彼はにこにこしたままだ。とても滑稽な頭。
「これは工芸茶というんだ。目でも花でも楽しめる高級茶で…」
 はっと目をあけくだらない妄想から脱する。また長い蘊蓄がはじまった。私はその蘊蓄を素直に聞く。
 彼は私の知らないことを何でも知っていた。旅行へいけば必ず土産話をしてくれるし、その土地の特産物をご馳走して私にその追体験をさせてくれる。まるで彼とその国へ行ったかのような錯覚さえ覚える。
 話を聞きながら湯飲みを手に取り香りを楽しむ。普段の生活には無い高貴な香りを楽しみ、喉へ流し込む。胃から暖められて体がポカポカしてきた。
 こうやって二人で過ごす時間が一番幸せだなぁと思った。
 自分の内へ秘めた彼への好意はとっくに気付いていた。彼はどうなのかは分からなかったが少なくともかなり親しい友人であることには変わり無かった。
 典明はいつも私の顔色を伺って元気そうであればちょっかいをかましてくるし、気分が悪そうであれば誰よりも早く気づいてくれた。私も同様に彼に接した。
 だからこそその関係から一歩前に進んで、この関係が変化してしまうのが恐かった。友人関係も恋人関係もたったひとつの信頼が壊れるだけで意図も簡単に壊れてしまう。
 この気持ちを伝えられれば楽なのだろうか?伝えてしまえば付き合いかたがギクシャクしてしまうかもしれない。なら、伝えずにこのまま自然体でいた方がいいのかもしれない。このままでも彼も私も十二分に幸せだ。

「どうした?」
 蘊蓄を垂れている彼だがやはり私の一瞬の表情を見逃さなかった。久しぶりに勉強以外の難しいことを考えたから顔に出てしまった。
「ん、すごく幸せだなーって思って」
「そうか」
 少し、湯飲みのなかのお茶を見つめてぽそりと呟く。
「ずっとこのままがいいなぁ」
 彼は少し寂しそうな顔をしたような気がした。


*******

 季節は夏。お盆前。
 世間の学校は夏休みであるが、進学校である我が校はお盆前までみっちりと授業が詰まっていた。
 典明とはまだうまく話ができていなかった。
 あの日、彼との関係性が変わってしまった現場で居眠りをしてしまっていたらしい。放課後、ホームルームが終わってからかなり時間がたっていたようで月明かりが階段を照らした。
 その情景がなんだか切なくて、俯いたままぽろぽろ涙をこぼした。
 夢を見た。それまでの思い出は鮮明に私の脳内に残っていた。
 彼は、花京院典明は、露骨に私へ好意を示していてくれたことに今さら気づいた。普通、ただの友達を喜ばすものをわざわざ海外で探して、家に招いて振る舞ったりするだろうか?
 期待していなかったわけではない、好意をはねのけていたわけでもない。ただ、怖いという他愛もない理由で、そんなはずがないという思い込みで、その好意に対して一枚、うすい透明な壁を作り出してしまっていた。
 その壁は彼が作り出したものだと思い込んでいた。いくら親しい仲とはいえ、男と女なのだから分別をつけているのだろうと思っていた。
 しかし実際はどうだろう。彼はその壁をコツンコツンとノックして「なまえ、なまえ」と何度も呼び掛けてくれていた。私はそれを無視した。だからこそ彼は決死の覚悟で壁を破ったのだ。この場所で。
 破られた壁の前で立ち尽くすことしかしないで泣いていた。壁の向こうには誰もいない。

「会いたい。会って話したい」
 次々と大粒の涙が頬を濡らした。
 次は私が行動する番だと立ち上がった。穴の空いた壁をくぐって、その向こうのどこかにいる彼を探した。
 後悔の念は尽きない。だけど、もう一度それまでのように典明と二人で幸せな時間を過ごしたいと願う一心で一歩前へ踏み出した。

→next page



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -