あのみすぼらしい小屋で"雨宿り"をしてから早くも1週間が過ぎていた。
 この1週間、シーザーの頭のなかには常になまえがあった。彫刻のような容姿と柔らかな素肌、すんだ眼差しに鈴がなるような可愛らしい声。全てを忘れられず、彼はすっかりなまえの虜になっていた。
 "雨宿り"をした翌日もあの男がいた通りへ赴いてみたが、そこに男は居なかった。きっと先客があり、男は奥へと下がってしまっていたのだろう。
 シーザーは仕方なく暇潰しとして賭けなどをしてすこし金を稼いでいた。毎日毎日、あの場所へ通ってみたがそこに男は居なかった。
 そんな日々を過ごしていると金に少し余裕ができた。その金で小さな宝石のついたネックレスを購入した。闇市で手に入れたものだが、派手すぎないそれはなまえによく似合いそうだ。それが彼女の鎖骨の真ん中にあるのを想像する。
(彼女はよろこんでくれるだろうか?またあの天使のような笑顔を自分に向けてくれるだろうか?ああ、早く会いたい)
 世を憎み父を憎み、この気持ちをどうしていいか知らずにその身をゴロツキに落としていた彼にとって、彼女は光であり生き甲斐になりつつあった。
 どうしても自分のものにしたかった。しかしその方法が分からない。とりあえず、彼女に気に入られようとこうやってプレゼントを買ったのだ。
「なまえにはあの場所はもったいなさ過ぎる。あの男を説得していつかあそこから救い出してやる」

 例の通りへ赴くと、あの男の姿があった。今日はなまえに会えるんだと思うと自然とか顔がゆるむ。
「おや、お兄さん。またきなすったんですかィ?ひいきに、どうも」
 彼女と違って相変わらずこの男はとんでもなく醜かった。声もなんだか卑しくてできればあまり話したくない相手だ。顔を引き締め最低限の受け答えだけをして、銅貨を二枚渡して早々と彼女の元へと向かう。
「なまえ」
「その声は、シーザー」
 ドアを開けると、最初に来たときと同じように彼女はそこにいた。最初と違うのは彼女は最初からシーザーの名を呼び、目に光がともっていた。
「また来てくれたのね、嬉しい」
「ああ、俺も早く会いたくて気が気じゃなかったんだ」
「まあ」
 彼女はほほを赤くした。目をそらして手のひらを顔に当てて照れる彼女の仕草はとても可愛らしかった。
 シーザーがなまえの隣へ腰掛けて肩に腕をまわす。なまえは早速はじめるのだろうと目を閉じた。しかし彼の唇がいつまでたっても降ってこない。
「目を開けてごらん」
 彼にそういわれて目を開く。視界には愛しい彼の顔が一番に目に入った。
「会えない間に君のために買ったんだ」
 シーザーの手には小さな緑色の宝石がついたネックレスがあった。それをなまえの首へまわし着けてやる。鎖骨の上でキャンドルの明かりを受けてチラチラときらめいた。
「シーザー…」
 なまえは大粒の涙をこぼし始めた。そんなに嬉しかったのだろうか。
「君のために作られたのかと疑うほど似合っているよ。貴族の娘のようだ」
 シーザーはなまえをベッドへ押し倒す。彼女は抵抗せずただ涙を流していた。
 唇へキスをいくつかおとしてささやく 。
「愛しているよ」
 なまえはハッとした表情を見せたが、答えはせず「シーザー、シーザー」と彼の名前を呼びながら行為を受け入れるだけだった。

******

 その日、雨は降らなかったが濃い霧が町を覆った。シーザーが去って、一人になったなまえは貰ったネックレスを握りしめて静かに泣いていた。
「渡したくない、これだけは…」
 なまえに母はいない。酒を呑み、なけなしの金で博打をする父しかいない。
 なまえがいつも裸でシーツにくるまっているのは仕事中だけでなくいつものことで、服を買う金もなかった。あるにはあるのだが父が酒に変えてしまう。しかも、小屋からほとんど出たことのないなまえはものを買うということを知らなかった。
 そんな状況にあっても彼女は父を恨むことは無かった。彼女にとってその生活は当たり前のことであり、父が世界を与えてくれたことに感謝すらしていた。父がいなければ、両親に捨てられたなまえはもっと小さい頃に路上でのたれ死んでいただろう。
 外の世界から来る男たちは様々な容姿であった。なまえ以上に痩せている路上暮らしの男から、市民のなかでも成功し身なりが高貴な男まで様々であった。しかし彼らは光のない瞳を持っているという点で共通していた。そういう男に抱かれるのは正直なところ拒んでしまいたかった。彼らのなまえを見る目はどこまでも醜悪で気持ちの悪いものだったから。
 ところが彼は―――シーザーはどうだろう。光を失いつつはあるがまだどこかに爽やかさが残っていた。何があったかは知らないが彼は何かに葛藤して悩んでいるようだった。名を名乗り、なまえの名を聞き、呼んでくれた。なまえを抱くことではなくなまえ自身を見てくれたのが彼女はとても嬉しかった。
 もう一度来てくれないだろうかと思っていたら、会いたかったよと甘いことばを囁きながら彼はなんとプレゼントをしてくれたのだ。なまえの父ではなくなまえ自身に。
 実のところ、なまえにプレゼントを贈る男は多くいたがそれは彼女のためではなく「これだけ良くしてやったのだからしっかりと働いてくれ、俺をひいきにしてくれ」という心のあらわれだった。シーザーもそうでないという保証はなかったが、その爽やかさからシーザーのことは信じたかった。
 贈り物はいつも父に取り上げられ、次にその男が来た際「せっかくやったのに、あの宝石をどこにやったんだ」と暴力を振るうのだった。
 もし、このネックレスを父に取り上げられて、次にシーザーが来たときこの胸に緑色の輝きが無かったら…彼は悲しむだろうか?それが何よりも怖かった。彼に嫌われたり暴力を振るわれたりしたら、彼に好意を抱いている分悲しさも大きい。いよいよ心が壊れてしまうかもしれない。

「なまえ、お疲れさん」
 ドアを開いたのは通りで客引きをしていた父親だ。外からの冷気のせいか背筋に悪寒が走った。
「あの男………すっかりオメェの虜だな、ヘッヘ…いい金ヅルがまたできたな」
 下品な笑みを浮かべて銅貨を数える父になまえは嫌悪を感じていたが、逃げるという選択肢は無かった。彼女はあまりにも無知すぎた。
「あ?オメェ手に何か持ってるな?寄越せ」
「…!いや、です」
 裸のなまえに隠し場所等無かった。今までは客に殴られてもよいが父に殴られたくない一心で正直に渡していたが、今は父に殴られてもよいから彼を悲しませたくないという気持ちから、必死に父の要求を拒否した。
「チッ、いつからそんな生意気になったんだァ〜?俺がいなくちゃ死ぬしかできない小娘がッ!いいから寄越せって言ってるんだ!」
 男は声を荒げてなまえの肩を蹴って強引にその手に握っていたものを取り上げた。チャリン、という音と共に男の手のひらから緑色の宝石がこぼれた。
「え、エメラルドじゃあねェかッ!!あの男、意外と金持ってやがるなァ〜!」
「返して、返して…」
「うるせェ!!」
「ぅぎッ」
 男は嘆願して背にまとわりつくなまえを肘で殴り突き飛ばした。壁に叩きつけられてズルズルと力なく床へ倒れこむ。殴られた衝撃で口の中を噛んでしまったのか口のはしから血が一筋垂れていた。
 生きるのに必要な最低限の粗末な食事しか与えられていない彼女の体は痩せ細り男に抗うだけの力はなかった。
 頭をぶつけて遠くなる意識のなかで、なまえは緑色の宝石を手に外出する父の背中を黙って見ていた。涙は出なかった。


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