空腹の午後


 
「何かおやつでも作ろうかな」 
 今日は短刀たちが多いから、美味しいお菓子でも作ってあげよう。
 非番で暇を持て余していた僕は、思い立つまま一人台所へと向かった。歩きながら、冷蔵庫に何があったか思い出す。確か卵とバターが結構あったはずだから、数が作れるクッキーにしようかな。

 完璧な分量で完璧に型抜きした完璧な焼き具合のクッキーを想像しながら、僕は台所の引き戸を開けた。するとそこには、この場所ではあまり見かけない姿があった。
「あれ? 主?」
 声を掛けてみたけれど、どうやら聞こえていないらしい。
 主は限界まで爪先立ちになって、両腕を頭上高くに伸ばしていた。見れば、一番高い棚に置いてあるやかんを取ろうとしているようだった。時にジャンプしながら必死に奮闘しているけれど、その手はやかんの持ち手をかするだけで、あれでは到底取れないと思う。苛ついているのか時折悪態を吐く声も聞こえるし、多分今相当機嫌悪いかも。
 
 でもまあ、こういう時こそ僕の出番だよね。
 かっこよく主を助けてあげよう!


「――はい。これでいい?」
 僕は主の横に立ち、棚から軽々とやかんを取って差し出した。
「……あ、りがとう……」
「どういたしまして」
 にっこり微笑んでみせる僕。主は驚いているようだけど、しっかりと僕からやかんを受け取ってお礼を言ってくれた。
 うん、これはかなりいい感じだ。いい感じにスマートでかっこいいんじゃないかな。ただ、取ってあげたのが野暮ったいやかんってところがパッとしないけど。
 
 ――そんな風に自画自賛していたのも束の間だった。
 気が付けば、主の眉間にはものすごい皺が寄っていた。

「……なんかむかつく」
 主はひどく不機嫌に、小声でぼそっとそう吐き捨てた。僕は今の何がいけなかったのかわからず、驚いて困惑するしかなかった。
「えっ!? なんで!?」
「なんでそんなにでかいわけ? 腹立つんだけど」
「でかいって、背のこと? そんなの僕に言わないでよ。そもそも主は女性だし、僕の方が大きいのは仕方ないんじゃないの」
「いいや、それにしてもでかすぎる。言っとくけど、見下ろされてる感すごいからな? 神様だからってスタイルの良さまで優遇されてんのか? え?」
「ねえちょっと、自分が届かなかったからって僕にキレるのやめてくれない?」
「というかそもそもの話、なんであんなとこに置くわけ? みんなが使うものはみんなが届く所に置くでしょ、普通」
「知らないよ、置いたの僕じゃないし。誰か他の、僕くらいかそれ以上に背の高い人なんじゃないの」
「……えー……うーん……そうなると犯人はかなり絞り込めるけど」
「犯人捜しする気? その前に、主はやかんで何しようとしてたの?」
「あっ! そうだった、こっちが優先だわ」
 手に持ったやかんの蓋を開けて、主は一気に蛇口を捻った。ドバドバと豪快にやかんに水を入れ、コンロにかける。火力は思いっきり強火。

「お茶でも飲むの?」
 お湯を沸かすということは、何か温かいものでも飲みたくなったのかな。
「いや、カップ麺食べようかと思って」
「え、今?」
「今」
 僕は瞬時に壁に掛けてある時計を見た。もうすぐ午後2時半。まあ遅めのお昼といえば変ではないけど……あれ?
「主、お昼ごはん食べてなかった?」
「昼っていうか、軽くブランチは食べたけど。サンドイッチ一切れだけ」
 ――ああ、なるほどね。午前中、確かに主が何か食べてるところを見かけたと思ったけど、そういうことだったのか。昨日はこっちに泊まっていなかったから、多分朝ごはん面倒くさくて抜いたんだろうな。もしくは単純に朝起きれなかったか。
「……お腹空いてるなら、僕、何か作ろうか? 簡単なものならすぐ出来るけど」
「いいよ別に。今カップ麺の気分だから」
 言いながら、ごそごそとカップ麺の山を漁る主。
 主が持ってきたそれは僕たちの間でも好評で、台所の隅に常に十個以上のストックが置いてある。大体は主がまとめて買ってきてくれたり、お気に入りのものがある人は自分の給料で買って、取られないように自分の名前を書いておいたり。
 僕も味は嫌いではないんだけど、なんとなくあのプラスチックのカップがかっこ悪く見えて、いつも別のお皿に移してから食べるようにしている。主には、何でわざわざ洗い物増やすのかわからないって言われるけどね。ついでに言うと、野菜とかいろいろトッピングを足して食べるのが好きなんだ。

「そう? でも、この時間に食べて大丈夫? 晩ごはん食べれなくならない?」
「平気平気。おやつみたいなもんだし」
「おやつでカップ麺は重過ぎると思うけど……。あ、そうだ、僕これからクッキー作ろうと思うんだけど、主も食べる?」
「クッキー? 相変わらず女子力高いな」
「いるの? いらないの?」
「いる」
「じゃあ、カップ麺も軽めのにしてね」
「え、今こってりとんこつ開けちゃった……しかも1.5倍」
「……主の分のクッキー、少なくしとくから」
「そんな」
「太るよ」
「……はぁ」
 残念そうに主はため息を吐くけれど、やっぱりあんまり太るのはかっこよくないと思うんだよね。特に主は放って置くとジャンクなものばかり食べるから、こっちにいる時くらいちゃんとしたものを食べて欲しいとは思うんだけど。面倒くさがってなかなか言うこと聞いてくれないからさ、結構困るんだよ。



 クッキーの生地をこねていると、間もなくしてやかんが甲高い音を上げて蒸気を噴き出した。
 主は自分の服の袖をミトン代わりにしてやかんを持ち、熱々の熱湯をカップ麺に注ぐ。
「さて……えーっと、3分か。今何分だ?」
「キッチンタイマー使ったら?」
「そこまで正確にやらんでいいよ。適当適当」
「僕はしっかり測りたい派だよ」
「ふーん」
「あ、興味ないね」
「うーん……あのさ、ポット欲しくない? いちいちお湯沸かすのかなりめんどい」
「それはわかる。僕も思ってた」
「だよね。なんか安いの探そっかな」
「いいね、賛成」

 
 そんな会話をしている内に3分が経ち、主はカップ麺に液体スープを入れて完成させると、箸とレンゲを持って自室へ帰って行った。
 僕は微かに漂うとんこつの匂いの中、思い描く完璧なクッキーを作るべく、生地とオーブンの温度に集中することにした。 
 やかんの犯人捜しはするのかなぁ、なんて思いながら。




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