ゆっくり吸っていた煙草はすっかり短くなり、さすがにもう限界のようだった。俺は諦めて、灰皿で火をもみ消した。
 そして、相変わらずぶつぶつと愚痴を言っている彼女に、一つの提案を持ちかけることにした。
「なぁ伊都、そんなに不満なら俺とどう?」
「……はぁ? なにが?」
 彼女は怪訝そうに眉をひそめたが、俺は気にせずに続けた。
「だから、俺とエッチしない?」
 わざとらしく満面の笑みを浮かべる俺とは対照的に、彼女は驚いた表情で固まった。
「ただの欲求不満なら俺でもいいでしょ。いつでも相手するよ。何なら今からでもホテル行く?」
「いやいやいや、ちょっと待って。あんた確か、人の女には手出さないんじゃなかったっけ?」
 彼女が今度は疑いの目で俺を見つめてくる。

 そうだ、彼女の言っていることは正しい。俺は、他に男がいる女とは関係を持たないようにしていた。彼氏持ちとか既婚者とか、そういうのってもし相手にバレた時、本当面倒くさいんだよな。

「私、彼氏いるんだけど」
 今までの話聞いてたよね、と改めて確認するように彼女は言った。
「いや、まぁそうだけどさ、今は疎遠気味なんでしょ。バレなきゃいいんじゃない?」
「……疎遠じゃないから。てか、私らそういう関係じゃないじゃん。したいなら他の子としてな」
 馬鹿らしいとでも言いたげに、彼女は俺から目を背けて新しい煙草に火をつける。
「なーんでダメなのよ?」
「だーかーらー……まず彼氏いるし? あんたはそういうんじゃないし」
「そういうのって何さ」
 諦めずにしつこく聞くと、彼女の眉間に深い皺が刻まれていった。
 ひょっとして怒らせたか?
「……じゃあ逆に聞くけど、なんで私としたいの」
 煙草を持っていない方の手で頬杖をつく。
 ちょっとだけ偉そうな態度を取る彼女に、俺は素直に答えた。
「ほら、俺たち長い付き合いだし? 女でこれだけ気が合うのも伊都だけだしさー。気が合うってことは、あっちの相性もいいかも? なんて」
「ないない。それはない」
 食い気味に、彼女は顔の前で手を振ってはっきりと否定した。酔っているのか、おかしそうに笑う。
「私とあんたとじゃそうはならないでしょ。そりゃあ気は合うし一緒にいて楽しいし、友達としては最高よ。でもそれだけ。それ以上はなし。……まぁ、体の相性どうこうってのはわからなくはないけど」
 ため息なのか単純に煙を吐き出しただけなのかわからない息を吐いて、彼女は続ける。
「気持ち抜きの、体だけの関係が悪いとは思わないし、だからあんたがやってることも咎めるつもりはないよ。――でも私はダメなの。気持ちの入ってないセックスは無理。私は好きな人としかしたくないわけ」

 彼女の口から、好きな人、という言葉を聞いて、俺は体のずっとずっと奥の方に変な感覚を覚えた。
 なんというかこう……筋肉がつるみたいに、内臓とか細胞とか体の全部が引きつる感じ?
 今まで感じたことがない――いや、もしかしたら知っているんだけど、大昔のことすぎて忘れてしまっているような、妙な気持ち悪さだった。


「……ふーん、そう。まっ、冗談だけどね」
 さらりと流すように言うと、彼女もまた同じように答えた。
「知ってる」
「あら、バレてた? 気付いてて乗ってくれるとか、さすが伊都ちゃん」
「ちゃん付けきもいから。あんたが自分のポリシー曲げるわけないし、すぐわかるって」
「そっか。そりゃあ残念」
 互いにネタ晴らしをして、ふざけた調子で笑い合った。

 女の子と二人でいる時は大抵、どうやって関係に持ち込もうかとそればかり考えているからか、彼女とのこういう他愛もない時間はとても貴重に感じているのだ。
 





 少しの後、談笑を切り裂くように単調な電子音が響いた。
 彼女の携帯だった。
 バッグから取り出して、画面を見た彼女の顔がわかりやすく晴れる。
 
 俺の体の底がまた強張った。



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