――もうどのくらい時間が経っただろうか。いつもなら数分もここにいれば冷静さを取り戻して、何事もなかったかのように帰れるのに、なぜか今日はやけに足が重くて動けそうになかった。おそらく、それだけ堪えているということだろう。これで無理をして誰かに当たってしまっては元も子もない。だから、もうしばらくじっとしていよう。
 そう思った時、静まり返った空間に人の気配を感じて、私はびくっと肩を震わせた。
「――先客か」
 低くしわがれたその声には、聞き覚えがあった。俯いていた顔を上げると、少し離れた所にその人は立っていた。
「お、大谷さん? どうしてここに――」
「……ん? ぬしは確か……ああ、相良、だったか。すまぬが相席失礼するぞ。ここはわれの気に入りの場所でなァ」
「……え? あの、ちょっと……」
 大谷さんはそれだけ言うと、わずかに日の入る場所を探して、私に背を向けて腰を下ろした。こちらからは見えないけれど、パラパラと紙をめくる音がしたから、多分読書でも始めてしまったのだと思う。――なんでわざわざこんな所で?

 大谷さんとは、お互い面識はあるけれど知人というレベルですらない。確か前にどこかでたまたま居合わせた時、二言三言世間話をしたくらいだったと思う。
 名前を知っていたのは、大谷さんがその――少し、目立つ風貌をしているから。全身に包帯を巻いている人なんてそうそういないし、というかまず見たことがないし、気になって思わず目で追っていたからなんとなく覚えていただけだ。まさか、大谷さんが私の名前を覚えていたなんて思いもしなかったけれど。




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