Chapter 5-18
◇◇◇

「……おいしかった……ごちそうさま」
口に運んだスープがお腹の内側から身体を温める感覚に、リーゼはほっと息をついた。
「それはよかった。ボクは運んできただけだけど」
彼女から皿を受け取りながら、ティマリールがにこりと笑って言った。
ティマリールの部屋の中。気がついたときには、リーゼはここに寝かせられていた。目が覚めたのは、ティマリールが夕食を運んできたつい先ほどのことである。
外はもう夜の帳が下りている。魔力を使い果たして気を失い、人のベッドを占領して長く眠ってしまっていたことに気付いたリーゼは、居心地の悪さを感じて抜け出ようとした。が、目の前に持ってこられた温かなスープから広がる香りに、迷子になっていた空腹感が仕事をした。蚊の鳴くような小さな音で食物を求めたリーゼのお腹に、ティマリールはくすりと笑った。そうして、今度は羞恥でベッドを抜けられなくなったのだった。

「調子はどう?」
「……まだちょっと、くらくらするかも」
「うーん、魔力の使いすぎってやつかなぁ……ボクには魔力がないから、よくわかんないや」
「たぶん、そうかな……けど、だいじょうぶ。明日にはまた、動けると……思う」
「ちゃんと食べれてるし、そうかもね!」
ティマリールは空っぽになったスープの皿を受け取って、ベッドから離れた。
「うん」
ベッドの中でもぞもぞと身を動かしながら、リーゼは答えた。ほんのりと頬が紅づいているのは、ベッドが暖かいからか、スープに温められたからか、はたまたお腹の音を聞かれたからか。

「あの、ティマ」
「んー?」
ラウンジへ返す食器を一箇所にまとめながら、背中越しに返事をするティマリール。
「ベッド、ありがとう。それから、今日は……ごめんね。あたし、その……何も考えないで、動いちゃって」
「気にしない、気にしない。シスターが無事だったし、それで十分。ごめんなさいは、ボクよりも盗賊のおっちゃんたちにしたらいいんじゃないかな」
「そう、だね……」
その声が微かに震えているのを、ティマリールは感じ取った。
「元気になったら、いっしょに謝りに行こっか! おっちゃんたちのとこにね」
「えっ、でも……ティマに悪いよ」
「いやあ、実はボクもいろいろと謝ることがあってねー……」
「もう……今まで何してきたの」
「あはは……ちょっとね」
明るく、彼女は話を続ける。リーゼの緊張が少し解れたことは、顔を見なくても分かった。

「〜〜♪ 〜〜〜〜♪」
かちゃかちゃと食器のぶつかる音と、ティマリールの小さな鼻歌が部屋の中に流れる。ティマリールは食器を重ねる順番をいろいろ変えている。どうやら納得のいく重ね方が見つからないようだ。
リーゼはしばらくそれを眺め、聴いていたが、やがて視線を自分に掛けられた布団に落として、小さく息を吸い込んだ。

「……あたし、変わりたいな」
それは、ぽつりと呟いた言葉だった。
「……シスター?」
鼻歌が止む。ティマリールはくるりと顔を向け、リーゼの方を見た。ほんの少し、怯えたようなその両眼。
「……っ……あたし……人が怖くて……なかなか近づけなくって。だからここに来てからもしばらく一人で、お話してた……」
胸の内を吐き出し始めた彼女に、ティマリールは手も止めて耳を傾ける。
「だけど、ティマみたいに話しかけてくれる人がいて、すごくうれしかった。あたしとも、仲良くしてくれる人がいるんだ、って分かって、安心した」
「……」
「でも、仲良くなった人に嫌われるのは、もっと怖くって……嫌われないようにしよう、って、ごまかそうとして……っ……そんな自分が、嫌いでっ……!」
震える声が大きくなる。
「だから、変わりたい……自分を、好きになりたい……」

ティマリールはベッドの縁に腰掛けた。俯いたまま、布団をぎゅっと握り締めるリーゼ。オレンジ色の彼女の頭に、そっと手を乗せてやる。
「……それだけ自分のことをわかっていたら、いいんじゃないかな」
そう言って、ゆっくりとその手を動かした。ぴくりと動いたリーゼの頭は、すぐにおとなしくなった。
もしかすると、彼女が怒ると自分を抑えられなくなるのは、普段から自身の思いを閉じ込めて、押さえつけている反動から来ているのかもしれない。ティマリールにはそう思えた。
「ボクは、シスターを知ってる。笑ったシスターも、泣いたシスターも、それから、怒ったシスターもね」
「ティマ……」
「無理に変わろうとしなくてもいいよ。ボクはずっとそばにいるし、みんなだってきっとそう。びっくりすることはあっても、嫌いになんてならないよ」
言い聞かせるように、ゆっくりと話す。そして優しく、頭を撫でる。
「それに……シスターはちょっとずつ、変わってきてるはずだよ。ボクともだけど、スィルたちとも仲良くなれたじゃん。ほんのちょっぴりかもしれないけど、シスターは強くなっていってるよ。シスターがシスターのことを嫌いでも、ボクはがんばりやなシスターが大好き。これからも、ずっと……だからね」
「あたし……あたし……」
「いいんだよ、シスター」
言葉につっかえるリーゼの背中に手を回し、ティマリールはぽんぽんとその背を叩いた。
「だいじょーぶ。シスターはシスターだもん。それに……カッコよかったよ。ボクらを守ってくれて、うれしかった」
そう言ってリーゼを引き寄せたティマリール。彼女の目も、うっすらと潤み始めていた。
「……ありがと」
「……っ……ティマぁっ……!」
堪え切れず、リーゼはティマリールの胸に飛び込んだ。背にしがみつく小さな両手に、力がこもる。掴まれた服の部分に、深い皺が寄る。顔を埋められた首元が、じわりと濡れていくのを感じる。そんなことはお構いなしに、ティマリールはただ、腕の中にいる気弱な少女の背を撫で続けた。
「……おつかれさま、リーゼ」
そう、一言呟いて。


「……あのね」
内にこもった感情を涙に乗せて流し出して、吹っ切れたのだろうか。
ティマリールの手を握って、リーゼは普段見せることのない、決然とした表情で切り出した。
「あたしは……自分が100番目でほんとによかった、って思ってる。ティマに会えたし……いろんな人とも仲良くなれたから」
「シスター……」
「それにね」
ほんの少し頬を赤らめて、きゅっと両手を胸の前で結んで。
逸る鼓動を抑えるように、リーゼは言葉を紡ぎ出す。
「あたし……シスターって呼ばれるのも、いいな、って……思い始めたの。だって、ティマがつけてくれたあだ名だから……だから、これからも……そう呼んで、いいよ……おねえちゃん」
顔を上げて、にこりと微笑む。
「……? …………!!」
ぽかんとしたティマリールも、すぐにあふれんばかりの笑顔に変わる。
「ありがと、シスター!!」
「うん……!」
もう一度、二人は互いを抱き合う。今度は穏やかで、暖かな雫が一滴、また一滴と、ティマリールの胸に染みていく。そのすべてを受け止める彼女は確かに、リーゼの姉のようであった。

それからしばらく、部屋の電気がふっと消える。
そのまま、ティマリールの部屋の扉が開くことはなかった。
騒がしさに満ちた一日が終わり、静かに夜が更けてゆく。


ところが。
事件は、これで終わらなかった――。


【To be Continued】
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