Chapter 5-17
「……どうかしたのかい、スィルツォード?」
「えっ?」
いきなりかかった声に、スィルツォードはびくっとして振り向いた。
テーブルには、ルイーダとシヴァルだけが残っていた。ルイーダはグラスを揺らして手を遊ばせている。シヴァルは畳んでいたマントを広げ、身につけているところだった。
「急にニヤニヤするもんだから、何かと思ってね」
「あれ……オレ、笑ってましたか?」
恥ずかしげに、頬を掻くスィルツォード。無意識のうちに、顔に出ていたらしい。
「……なんかいいな、って思って」
「いい?」
数秒の沈黙の後、彼は言った。
「……いや、なんか、ギルドってもっと周りと競うところなのかな、って思ってたんですけど、こうやって協力することもあるんだな、って。たくさん依頼をこなして、ランクを上げてって、もっともっと上を目指して、っていう世界だとばっかり思ってたから……」
スィルツォードはもう一度、人の群れに目を向けた。複数でテーブルを囲む戦士たち。グラスを片手に立ち話をする男女。壁に貼られた依頼書から一枚を選び取る一人身の男。そこには無数の、小さな世界がひしめいていた。
「確かに」
そう口を開いたのはシヴァルだった。
「個人の働きはもちろん重要だ。しかし、それと同じくらい、ここでは助け合うことも必要になってくる。一人でやれることには限界があるということを、覚えておいてほしい。さっきここに集まっていた者たちは、そのことをよく知っている。君が助けを必要としているとき、声をかけると皆はきっと力になってくれるだろう。もちろん私も、可能な限り手を貸すつもりだ」
その言葉に、ルイーダも大きく頷いた。
「そしてその逆も然り、だ。前にも言ったとは思うが、ランクだけが全てではない。君に声がかかったときには、その人たちと一緒に、問題に立ち向かってほしい。それが、アリアハンギルドそのものが目指す究極の"クエスト"の達成に近づいていく」
「究極の"クエスト"……」
「それが何なのかは、ここで過ごしていけば自ずと見えてくるはずだ」
「……はい」
スィルツォードは、ゆっくりと返事をした。頭に、彼の言葉を焼き付ける。
「それでは、私もこのあたりで失礼するよ。二人とも、素敵な夜を」
シヴァルは立ち上がり、酒場の外へと姿を消した。
「なーにが素敵な夜なんだか。あたしゃこれからが忙しいってのに」
酒場のドアが閉まってからぼそっと呟いた彼女の言葉を、スィルツォードは逃さず聞いてしまった。
「ルイーダさん……お疲れ様です……」
「なーに、今に始まったことじゃないし、慣れっこさ……どうもありがとさん。この一杯を楽しんだら、仕事に戻るとするよ」
ルイーダの手にあるグラスには、深紅の液体が揺らめいている。そのうちの少しを喉に流し込んで、彼女はまたグラスをくるくるさせ始めた。
「『ルイーダ・レッド』ってんだ。あんたもいつか飲んでみな、手前味噌っぽくなっちまうが、悪かない味してるよ」
「そうですね、楽しみにしときます」
「ん。さてと、一日動き回って疲れたろう。今夜はもう上で休みな」
「はい、おやすみなさい」
グラスと遊び続けるルイーダに挨拶をして、スィルツォードはその場を離れた。
酒気と熱気から抜け出した二階のラウンジでは、美味しそうな料理の匂いとわずかなハーブの香りが漂っていた。
それに誘われたか、スィルツォードの腹の虫がぐるぐると存在を主張した。
「……腹減った」
思えば、今朝から食事をとっていない。軽く何かを入れようとカウンターを覗いてみたら、お誂え向きにサンドイッチが出されていた。手持ちのゴールドを差し出して、サンドイッチを受け取る。焼いてからまだあまり時間が経っていないようで、手のひらに伝わる温かな感触とともに、ほのかなパンの香りが鼻をくすぐった。ここで食べようかとも考えたが、一人なら部屋でゆっくり食べる方がよさそうだ。
スィルツォードは包みを片手に、三階に上がる。廊下をそのまま歩いていくと、向こうから大きな影が近づいてくるのが見えた。それは一人の影ではなく、ミスト、セレン、ゼノンの三人が、並んで歩いてくるところだった。
「あれ、みんな……?」
既に解散したと思っていたスィルツォードは、三人が固まっていることを不思議に思った。その理由を、セレンが答える。
「ティマリールと一緒に、リーゼの様子を見に来たんだけど……リーゼが『ちょっとだけ二人でお話させて』って」
「そっか。リーゼ、起きたんだな」
「部屋の前にずっと突っ立っているのも野暮ですからねぇ、我々は退散してきたというわけですよ」
「わたくしたちは一度二階に戻りますが……スィルツォードさんはいかがなさいますか?」
ミストがスィルツォードに訊ねる。
リーゼが気にかかるところではあったが、ここはティマリールに任せることにした。彼女なら、リーゼのことはきっと心配いらないだろう。スィルツォードは頷き、ミストたちについて階下に引き返すことにした。
テーブルに着くと、皆思い思いに軽い食べ物や飲み物を調達した。
スィルツォードも買ったばかりのサンドイッチを取り出して、黙々と口に運ぶ。
(……うまい。けど、おばさんのサンドイッチとは全然違う味だ)
味の整ったサンドイッチを頬張りながら、スィルツォードはマリーの手料理を思い出していた。きっと、材料はこちらの方が高価なのだろう。しかしスィルツォードには、マリーの作るサンドイッチの美味しさはここでは到底再現できないような気がした。
(家に戻ったら、おばさんにまた作ってもらいたいな)
手紙を出して間もないうちに、書くことが増えた。
「リーゼ、無事でよかったね」
「ええ、大事ないようで安心いたしましたわ」
話題は自然と、リーゼのことになる。
「ギルドにとってもいいことです。いつも健気な彼女に、癒される冒険者たちは多くいますから」
階段のそばにある小窓から挨拶をしたときのことを思い返し、そうかもしれない、とスィルツォードは感じた。
「ミストさんにファンクラブがついていることはギルドでは有名ですが、リーゼさんも――」
「「えっ?」」
ゼノンの話を遮り、スィルツォードとセレンは同時にミストを見た。声と動きが、ぴったりシンクロする。
「君のファンクラブなんてあるのかい……?」
「ええ……お聞きしましたところ、どうやらそのような集まりがあるようですわ」
少し照れくさそうな笑みとともに、ミストが言った。
「中には、熱心な殿方もいらっしゃって……気恥ずかしくない、と言うと嘘になってしまいますけれども……とてもありがたいことだと思っていますわ」
「……じゃあ、言い寄られたりすることもあるんだ?」
「はい、何度かお声がけを……ただ、みなさんのご期待には、お応えできませんけれども。月並みな答えになりますが、わたくしは神に仕える身ですので」
微笑むミスト。
「……と、この彼女の振る舞いが、戦いに疲れた男たちを虜にするのですよ」
「ああ……なんとなく、ファンクラブの人たちの気持ちが分かる気もしますね。人は手の届かないものに憧れる、ってね」
ゼノンの説明に、なるほど、とセレンは苦笑いを浮かべた。
「ファンクラブがありそうな人って、他にもいるよね」
「そうだな……セルフィレリカ、とか?」
「そうですね。彼女の場合はファンもいるのでしょうが、純粋に憧れを持つとか、尊敬している冒険者たちが多いようですよ」
ゼノンは頷いて、顔を見合わせる二人に説明する。
「ギルドが立ち上がってから、ずっと第一線で活躍していますから。他のギルドにもそれなりに名前が知られているようですし……とある界隈では"スター"とか、"ギルドの華"とか呼ばれているのを聞いたこともありますが」
「ああ、ぴったりですね。オレもセルフィレリカはかっこいいな、って思うし」
頷くスィルツォード。彼女にファンクラブがあっても不思議ではない。
しかし、セルフィレリカはそういったものに興味を示すだろうか。
『そうか。まあ勝手にしてくれるといい』
スィルツォードの頭の中の彼女は、つまらなさそうにそう言うだけだった。
「……彼女らに並ぶかどうかはわかりませんが……リーゼさんも、ギルドの中ではかなり人気があるんですよ」
「そうだったのか。ダンケールさんやシヴァルさんもいるし……そう考えるとオレたち、すごいメンバーといっしょにいるんですね」
「だね」
「言うなれば……そうですね。セルフィレリカさんが"ギルドの華"ならば、リーゼさんは"ギルドの花"なのです。どんな美しい花たちよりも、彩りあふれて、綺麗で、そして儚く、脆い……!」
ゼノンの口調に熱がこもる。クライマックスに差し掛かった劇の語り部のように、その語気には力が入っていた。
「ですから、我々は、守らねばなりません。ギルドという戦いと傷の絶えない戦場に咲き誇る、気高く可憐な一輪の花を!」
ゼノンは力強くそう言うと、ばっ、と右手を水平に上げた。月明かりを反射して光る仮面に、はためく漆黒のマント。
「ゼノンさん……すごいいいこと言ってる風なんですけど」
台詞だけなら、とてもよく共感できた。しかし――。
「……その格好とジェスチャーで言われても、なんかうさんくさいです」
その言葉を引っかかりなく受け入れるには、彼の容姿は突飛すぎた。