Chapter 5-10
地へ押し付けられる草花から、リーゼは目を離せずにいた。
「ったく、このへん手入れしてんの誰だよ……」
「誰もやってねえだろこれ。草刈りぐらいちゃんとやれってんだ」
「おい、喋ってないでそろそろ行くぞ」
気にも留めずに、男たちはぞろぞろと移動を開始する。またがさがさと背の高い草たちが騒ぎ出す。
「酒場は綺麗になったってのになあ!」
「だよなぁ。こっちも刈ってくんねぇかな」
「あ、でも刈られちまったらそれはそれで困らぁ」
「そうか、ちげぇねぇな」
「だからお前ら、静かにしろって言ってんだろうが」
徐々に小さくなっていく声。そして走り去っていく複数の足音。リーゼはわずかに背中を震わせながら、確かめに行く。そしてややあって俯く。ほんの数秒前まで、元気に天を仰いで光を受けていた花は、突然の生命の終わりになすすべもなく屈してしまっていた。
それはおおよそ、十秒にも満たない出来事だったが――疑心を確信に変え、静かな火がついていた少女の怒りを激しく燃え上がらせるには、長すぎると言ってもいい時間だった。

「あっ、おい、リーゼ!!」

スィルツォードが呼び止める前に、彼女は駆け出していた。遠ざかっていく背中を逃すまいと、目にも留まらぬスピードで。
その速さたるや、慌てて後を追いかけ始めたスィルツォードとティマリールが全速力で走っても、まるで距離が縮まらないほどだった。
右へ左へ、入り組んだ路地を縫うように走るリーゼを、二人はついに見失ってしまう。
いったいあの小柄な少女のどこにそんな体力があるのか――スィルツォードは上がる息を抑えて、頭の片隅にうっすら残っている頼りない下町の地図を思い浮かべ、半ば当てずっぽうで彼女の後を追った。


「はぁ、はぁ……」
ぱっと、視界が開けた。見慣れた景色が、やや遠くに広がっている。彼らが通ってきた道は、下町の中心部が見渡せる広場の一角につながっていた。見慣れたベネルテ夫妻の住む家も、その視界に映っている。
スィルツォードの心臓が速く打つのは、ただ駆けたせいではなかった。
今ここで、マリーとジンに見つかったら……と考えると、ほんの少しきまりが悪いように感じられたのだ。別段後ろめたいことをしているわけではないのだが、彼にとって今はまだ、顔を合わせるべき時ではないという思いがあった。
「とりあえず、こっちに行ってみよう」
辺りを一度見渡して、スィルツォードは一つの小路を指差す。頷くティマリール。二人はその道を進み、抜け出る。
そこには、自由に伸びた雑草に紛れてぽつんと佇む古びた涸れ井戸があった。地元の住人にはよくよく知られている、水を忘れた遺物だ。

「……あっ」
何かに気がついて、ティマリールが声を上げる。地面を指した彼女の指の先には、踏み分けたような跡が続いていた。馬車の轍のようにも見えたそれは、その細い跡は井戸へと続いている。
何者かがここに出入りしていることは、想像に難くなかった。
「ここ……そうか、もしかしたら」
その光景をしばし眺めて、スィルツォードは思い出した。
『裏手の井戸には、近づいちゃいけないよ。厄介に巻き込まれたくなかったらね』
町の人々から、そんな忠告を受けていたことを。
「スィル、ここって……」
「ああ、もしかしたら、さっきの連中がいるかもしれない。それに、リーゼも……」

そうスィルツォードが言った、次の瞬間。
爆発のような轟音と同時に、突き上げられるような感覚が二人を襲った。
足元が、わずかに揺れる。草がざわめき、砂粒が舞い、古井戸から風が巻き起こった。

「……ね、スィル。シスターが怒ると、こうなるんだよ」
言ったでしょ、とティマリールが目配せをする。
「たぶん、今のはシスターの呪文だよ。シスターはさっきのあいつらが犯人だと決めつけてると思う。目の前であんなことされたんだもん」
「だろうな……だけど、もし違ったら大変なことになるかもしれないぞ」
「急がなきゃ」
引きつった顔で震源を見つめる。たった今、この中で何かが起こったことは間違いない。
少しばかり震える足をごまかして、スィルツォードはアジトへと続くであろう涸れ井戸へと飛び込んだ。


井戸の底に足を着けたスィルツォード。薄暗い井戸の底で、ぐるりと全方向を見渡してみると、壁にかかげられた松明が奥へと伸びる横穴の存在を示していた。
辺りは巻き上がっている砂埃で、見通しが悪かった。咳き込みながらも進むと、突然両側の視界を覆っていた壁が消えた。

「お、広くなった……って、なんだよこれ!?」
「どしたの、スィル……うぇぇ!?」

思わぬ光景に、スィルツォードは目を見開いた。すぐ後ろをついてきたティマリールからも、素っ頓狂な声が漏れた。
細い道だったはずの場所は、円形の小部屋と化していた。壁が抉れ、人より大きな岩がそこかしこに転がっている。いかにも頑丈そうな鉄格子の扉が、吹き飛んで岩壁にめり込んでいる様子もうっすらと見えた。先の爆発は、この中心で起こったのだろう。
そして何かが燃えているのか、スィルツォードは足元の方に熱を感じた。白む視界の中、黒く煙っている一角へと近づき、見下ろす。火元はそこにあった。何か布のようなものらしい。火のついていない端を摘み上げてばたばたと振ると、光と熱が消え、焦げた匂いだけが残った。スィルツォードは拾い上げた燃料を観察する。燃え始めて間もなかったためか、外観の大部分は保たれていた。薄暗い中でもわかるそれは、見覚えのあるとんがり帽子だった。

「……これは」
「シスター!!」

ティマリールが叫び、ひときわ埃の舞う中を突っ切り、鉄格子に遮られていたであろう奥へと駆ける。
そこで目に飛び込んできたのは生活感のにじみ出る空間と、驚愕と恐懼の入り交じった表情をしている男たち。
そしてその手前に、こちらを背にして杖を構える少女の姿があった。
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