小説 | ナノ





【2】カウントダウン

図書館に本を返却してから、
“ついで”に姉に頼まれた買い物をするべく洋菓子店までやって来た僕は、ショーケースの中をのぞき込んで―――背中に嫌な汗が伝うのを感じた。


チーズケーキ
夕方には
売り切れちゃうんだから


家を出る直前、姉が勝手にぼやいていた言葉が、頭の中をぐるぐる回る。
チーズケーキ、どころか。
姉から渡された買い物リストに名を連ねていた人気ケーキ達は、見事なまでにその姿を消していた。

(…しまった……)

ショーケースの前でにらめっこをしている僕を嘲笑うかのように、店内に掛けられた凝ったデザインの鳩時計が、そのリアルな容姿とは随分とギャップのある無機質な音で唄いだす。

1回、2回――全部で鳴らされた音は、計6回。


つまり、18時。


完全な逆恨みだけど。
無性にその鳩がイラついて、奴が役目を終えて気分よく帰って行ったであろう綺麗な箱を睨みつけた。
原因は――鳩なんかに言われなくても、自分がよくわかってるんだから黙っててよ。



図書館へ本の返却を終えたのは、
15時20分くらいのことだった。

そこから最短距離で買い物へ向かうなら、線路に沿った道、もしくは地下鉄の上を走る大通りを真っ直ぐ歩くのが正しい選択だ。

けれど、久しぶりに足を運んだ図書館から見えた川沿いの桜があまりにも見事で―――たまには知らない道も楽しいかも と、ついつい足を運んでしまい……
気持ちよく歩いているうちに、青空が徐々に春の夕暮れに染まっていく、その空の色に魅せられて。


気付いたときには、

携帯の中に溢れる桜の画像。
片手には喉を潤すペットボトル。


すっかり散歩を満喫していた僕の耳に飛び込んできたのは、夕方五時を知らせるいつものメロディだった。

我に返った僕は―――と言っても大して焦ることはなく(本当に焦っていたならば、「電車に乗る」と云う選択肢も残っていたわけで)、姉の買い物のためのんびりとココへ向かって……


現状が、この有り様な訳だ。


(あー、怒られるかなぁ……)


聞かずとも想像のつく姉からの罵声の数々に頭を抱え、少しだけ自分の行動を悔やむ。

しかし、無いものは仕方がない。

他のリクエストを携帯で確認しようかとも思ったけど、姉からお金を預かってるわけじゃないし、態々今日高いケーキを買っていく理由もない。バイトもしていないお小遣い生活、あなたの弟さんは貧乏なんです。

値段が半分のコンビニケーキだってまあ美味しいし。

やっぱり今日は近所のコンビニので許してもらおう、決めた僕はほぼ空のショーケースから顔を上げた。


注文を待っているであろう店員さんを無視して外へ出るのも気が引けたので、形だけでもと、一応チーズケーキの有無を確認する。

『申し訳ございません。本日の分は…』

返ってきたお約束の言葉を聞いてから外へ出ると、外はもう茜色の時間をすぎて、すっかり暗くなっていた。


大通りを行き交う車のヘッドライトや、ショーウィンドウの明かりがやけに眩しい気がして、僕は目を細めた。
夕方に居た景色との違いが大きすぎて、すごく遠くへ来たような不思議な気分になる。高校生が何を…とは自分でも思うけど、ノスタルジーにひたるって、多分こんな気持ちなんじゃないかな。


(明日からまた毎日通る場所なのに、変なの)


明日―――…


その前に来る、長い夜を思い出して僕の鼓動が大きく波打った。

今日は一体なんの夢を見るのだろう。

人を斬る仕事でもやらされるんだろうか、それともケーキの代わりに金平糖でも食べる夢?それとも、それとも―――?


“総司”


「―――っ?!」

考えた途端“あの人”の声を近くに感じた気がして息が詰まった。

頭の中で反芻する、甘い声。
その度に上がる心拍数。

このままではまずいと感じた僕は、“夢”から意識を反らすため、携帯を片手に駅へと足を早めた。さすがに帰りは地下鉄を使おうと思っていたからだ。


――家でも友達でも何でもいい。

とにかく誰かの声を聞けば冷静になれる気がする。


そんな考えが過ぎった瞬間、携帯が着信を告げるイルミネーションを点滅させた。
まるで奇跡のようなタイミングに逸る気持ちを抑えられなかった僕は、携帯を落としそうになりながら、慌ててその画面を覗きこむ。


記されていたのは、一番の友人であるクラスメイトの名前だった。






着信


― 藤堂 平助 ―






全てが一点で交わる手前


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