∴ 02


 バスローブを着て水を差しだす男に、波打つシーツに横たわったおれは受け取る。
 そのままおれの隣に来る男に、いつもなら煙草を吸うシーンなのに禁煙したのは本当なんだと驚く。なんとなくこの雰囲気ならいいか、と先ほどははぐらかされた質問を再度投げかけてみる。


「なんで煙草やめたの?」
「なんとなくね。さっきも聞いてたけど、そんなに気になる?」
「うん。だってヘビースモーカーとまではいかないけれど、結構吸ってたじゃん」
「ああ、ストレス解消の道具だっただけでね。今はもう必要ないんだ」
「へえー」




 ―――――― 奥さんのためじゃないんだ。
 喉まで出かかった言葉は、呑み込んだ。

 

「まひろ」


 
 近づいてくる顔に、抵抗はしない。



 
 *     *     *
 




「委員長、おはよ〜〜」
「おはよう。遅刻しなかったんだな」
「うん!なんとか3回で終わらせてもら、って何言わすんだよ!」
「お前が勝手に言ったんだよ」
「もーつれないな!!」


 靴箱で昨日のクラスメイトに会ったのでそう言うと、見事なノリツッコミを披露された。また同じ流れになるところだったが、さすがに昨日の今日でもあり、なにより後ろに彼氏がいる状態ではそうはならないのか、慌ててそいつの手を握って走り去って行った。

 
「委員長、おはよ」
「ああ、おは……」

 
 靴をはきかえながら相手を見ずに言ったのが失敗だった。


「……委員長、きれいな顔してやるね」
「……なにが?」


 にこりと笑いながら立っていたのは、昼休み前にたまに姿を見かける男だった。
 こうやって話したのは初めてだというのに、何かを知っているような顔をしているので、嫌な予感はしたのだ。


「あのヒト、委員長の彼氏?」


 ……ああ、うざったい。





 昼休み、日替わり定食を食べずにおれとの会話を選んだ男と、屋上にいる。


「彼氏とかなんのことだか分からないんだけど。あの人とはただ食事してただけ、おれの兄の知り合いなんだ」
「でもあのあと、二人で部屋行ったでしょ?」
「……それが?」
「食事中の二人見てたけど、食事は二の次って感じだったし。部屋に消えていくのを見て、確信した」


 雰囲気とか、部屋に行っただけとか、いくらでも言い逃れはできると思っていた。けれど、


「指輪してたね、あの人」


 そう言われると、もうだめだ。




「……別に、お前も日替わり定食並みに男とヤってるから、そういうことに口出されるとは思っていなかった」
「ははっ日替わり定食って」

 
 倫理観とかそういうもの、持ち合わせていないと思っていたから。正直にそう言うと、さらに笑われた。


「まあ、そうだね。俺、別に浮気とか不倫とかどうでもいいし」
「じゃあ、なんで……」
「興味持っちゃったんだよね、委員長に」
「……おれに?」

 
 いつの間にかフェンスに押しやられて、逃げられないように囲まれていた。
 おれよりも身長の高い顔を見上げると、にこりといつも通りの笑顔をしておれを見下ろしていた。


「たまに教室行っても、俺の方を一切見ないし、恋愛とかそういうものをしない神聖なものとして崇められていた委員長にさあ」
「……初耳だ」
「そうなの?委員長、クールビューティーとかで有名だよ」


 男の顔を見なかったのは別に見てもなにもこちらにはメリットはないからだし、というか興味がなかった。それなのに勝手な妄想をまわりはするものだ。


「ねえ、委員長。……今日暇?」
「……昼休みはもう終わるが」
「ははっ、いいね委員長、ほんと」


 さらりと骨ばった手でおれの頬を撫でながら、男が笑う。


「夕方、予定ないならさ、遊ぼうよ」
「……」

 
 携帯にメールは、入っていない。
 目の前の男は、ただ純粋に面白いだけでおれを見て誘っている。その眼には特に悪意もなんもない。典型的な快楽主義者なのだろう。
 毒気がぬけたように、おれは少し笑った。


「今日は無理だから、明日なら」


 その提案に若干目を丸くしたが、次の瞬間にはもう笑っていた。


「うん、いいよ」



 頬を撫でていた右手の親指が、ゆっくりおれの唇をなぞる。そうして近づいてきた顔に、おれは抵抗しなかった。




 ――たまには、高級フレンチ以外のものも食べないと。
 たとえば、日替わり定食みたいな。





おわり






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