泡沫のポラリス(3) |
「このタイミングで言うか、それを」 「でも弱ってるときに優しくされると、人って絆されるだろ。今のシャロンには効果的だった。ムッちゃんはさ、見守ることが美しいことだと思ってる?」 どうしてシャロンに、好きだ、って伝えなかったんだよ。 つい数秒前に聞かれたそれは、止まらない目覚まし時計のように何度も頭の中を駆け巡っていた。 弟に俺の気持ちを指摘されたのは、宇宙飛行士に任命され、ヒューストンでの生活にもようやく慣れてきたと思った矢先のことだった。医者から突然ALSなんて病名叩きつけられても気丈に笑うシャロンを見送りながら、日々人は少し切羽詰まったような声を出す。 いろんなものから刺激を受けてふつふつと沸騰した血液が皮膚の下に流れている。理由を突き止めようとしても、ぐちゃぐちゃに絡み合ったそれを解くのは時間がかかるだろう。 気付いたら名前を呼ばれていた。こっちでは飛び交う殆どの言葉が英語だ。その中で響く日本語らしいアクセントを保たれた俺の名前は、ごく自然に鼓膜へ寄り添ってきた。 日々人の指が手に絡む。 熱い、手だった。日々人の瞳は高熱に魘されたときのように、薄く膜を張って艶めいている。 傷って舐めたらマジで治るのかな。真剣に問われたから、思わず「だったらいいな」って返していた。それが、スターターが鳴らしたピストルだったのかもしれない。 その日の夜、俺たちはセックスをした。 誰でも良かったわけじゃない。ただ、日々人じゃなきゃダメ、ってことでもなかった。 日々人がこっちに来てから飼い始めたアポは人の機敏な心を読めるのか、訓練で疲れたり失敗続きで凹んでたりすると、足元に擦り寄ってくることがある。ベロベロに顔を舐められて犬臭くさせられることもあるけれど、誰かに似て差し出してくるものは、とても優しい。 多分そんな風に、俺たちはセックスをしたんだと思う。 この二人で住むには充分過ぎるぐらいだだっ広い借家に日々人は金髪美女を連れ込むことはなかったが、雑な弟には珍しく、いつもきちんと閉めてあったチェストの中からコンドームとローションが出てきたときは、流石に冷静さを取り戻した。 でもここまできてやめる、っていうのも兄として弟に負けたみたいで癪だった。最後はなけなしの意地で繋がったようなものだ。 慣れた手付きで、限界までそそり立ったペニスにコンドームを装着する日々人を思わずまじまじと眺めていたら、さっきまでろくに気の利いたことも言い合わず、体を執拗に舐め回していたのに、急に「ムッちゃんに欲情してるとか笑えるだろ。痛いよ。感じ過ぎてここが痛い」と視線を薄ピンクに色変えしたそこに落としたまま言った。 俺のあそこは勃ってるけど、痛いってほどでもない。その代わりに、ぎゅう、と手で摘ままれたように胸の奥が痛い。 「ムッちゃん、困ってる。困ると、こーやって眉が下がって眉間にしわが寄るんだよな」 「なんだよ、よく見てんな」 「だってムッちゃんがシャロンを見てたのと同じぐらい、ムッちゃんを見てた」 男同士のセックスは、痛い。 俺が突っ込まれた側に回った、っていうのもあるんだろう。正常位のときの引きつりっぱなしの股(しかも俺はそんなに体が柔らかくない)に女の子より遥かに重い肉体が、反動と勢いをそのままぶつけられるし、時間をかけたくせに尻の穴は日々人のものの大きさに耐えきれず、ぎちぎちと皮膚が擦り切れていく。 もっと優しくすればよかった、と思った。 優しすぎてつまらない、と評価されても、こんな痛みを我慢して受け止めてくれた過去の彼女達に、もっと優しいセックスをすればよかった。 シャロンにだって、もっと、優しく接すればよかったんだ。 「痛ぇっ、むり、だろ、こんな」 「ごめ、ムッちゃ、ん、痛いだろ、あと少し、だから我慢して」 やめる選択肢はないのかよ、って少しだけ日々人を恨みつつ、膝を抱えられた体が大きく揺れる。手加減なしで日々人の体がぶつかって、内股がばちんばちんとゴムで弾かれたように痛む。痛てぇ、と呻く度に、日々人が、ごめん、って何度も謝ってきた。今までこんなに謝ってきたことあったか、って記憶を遡りたくなるぐらい。多分日々人だって、過去最高に俺の「痛い」という声を聞いたことだろう。 気持ちよくなるなら、一瞬でも現実逃避をしたいなら、オナニーだって良かったのに。俺たちは一番手近な兄弟で、気持ち良くならないセックスをしてしまった。 それは日々人が宇宙を追いかけてロシアに旅立つまで続いた。習慣だったセックスがなくなり、日々人がいなくなった家の中で仕方なくオナニーをすることもあったが、時期的にようやく掴みかけた月ミッションが手元から離れかけた頃でもあり、思ったより気持ち良くなくてがっかりした気がする。手にこびり付いた白い液体を見ながら、いつだったか一人で食べたクリスマスケーキを思い出した。それ以来俺はあまりケーキを食べてない。 ジョーカーズの奮闘もあり、ようやくCESー66着任が正式にNASAから発表され、記者会見を済ませた一週間後。 宇宙局で訓練が過酷で過密で死にかけてるんだろうと予測出来る程、全く連絡も寄越さなかった日々人が、突然帰って来た。 更にそこから五日が経ち、インフルエンザは快方へ向かって、日々人の作る水分量を間違えてドロドロの粥からもようやくお別れ出来たところだ。 「もっと丁寧にやれよ」 「だって結構出したし。やるならちゃんとやらねーと。出てくるんだよ、まだ」 「だからお前にやらせるのは嫌なんだって」 日々人の指が穴の中でぐちゅぐちゅと、乱暴にかき混ぜるようにして動く。伸ばしてないはずの日々人の爪が当たるとそれなりに痛いというか変な感じがするから、あんまりこいつに後始末をさせたことはない。 初日のセックスよりは随分と穴に締まりがなくなったと思う。その分、今日のセックスはスムーズだった。 熱で意識も朦朧としていた時の俺に向かって堂々と、ヤろう、と誘ってきたときは、ネジをとうとう一本残らず落としたんだと飽きれたものだが、それ以降は献身的とも言えるぐらい看病に徹し、部屋に入ってくるのは、飲み物とか、まずい粥を持って来る時ぐらいだった。 日々人は日々人なりに俺に優しくしたいと思っているらしい。 わざわざ駆け付けたところからして優しいよ、って自信ありげに言うぐらいなら、いい加減キスの癖を直せとも思う。 「でもまさかムッちゃんが誘ってくれると思ってなかったから、ヤバイぐらい興奮した」 音と共に吐いた呼吸さえ聞き取れてしまうようなバスルーム。ユニットバスの淵に手を付き、尻を突き出すような形で日々人の指を咥えた俺に表情は見えなかったが、今日は俺の上で終始ニヤけていたから、引き続きそんな顔をしているんだろう。 気遣うようにベッドに横たわった俺の様子を伺いに来た日々人に今日は俺がキスを仕掛けた。 体は疲れていたけれど、腹は減っていた。寒い日だっていうのに、襟ぐりが広く開いたそこから覗く、綺麗な形の鎖骨がどうにも気になったのかもしれない。そのまま雪崩れ込むようにして日々人は唇に貪り付いて、珍しく俺のベッドで最後までヤった。 ちなみに日々人がかき出してくれているのは、ゴムなし中出しの残骸たちだ。どろっとしたあまり心地よくない粘液が腿を伝う。ん、と吐息が鼻から抜け落ちる。感じてんの、と日々人が背中越しにからかってきた。 明らかにわざとだ、さっきから前立腺を指で押したり掠ったりされてる。 「今日、買い出しに出かけてたよな」 「それって遠回しに、何でゴムを買って来なかったのか、って言われてるように聞こえるんだけど」 「だとしたら」 「ごめん。でも意外。余裕ないときほど、ムッちゃん、無駄なことから削っていくじゃん。ゴムしてたらこんな手間必要ねぇだろ、って言われてたし。強制的にゴム付けさせられたよ、俺」 それでも。日々人との関係は切れなかった。 月も宇宙も。考えないようにしていたものほど、俺は切れなかった。 しゅーりょー、と気の抜けるような間延びした声と共に背中をトン、と叩かれる。ずるり、と抜かれた指を後追いするようにあそこが締まったから逃げるように、すぐさま体を湯船に浸けた。 本来なら先にお湯で流すところだが、ここ数日タオル拭きや手短なシャワーで済ませてきたから、無性に風呂に浸かりたくなって、珍しくユニットバスの中には半分ほど湯張りしてある。どうせすぐこの湯も抜く。今日ぐらい無精してもいいだろう。 「俺も入っていい」 「いや、もう入ってるだろ」 「ムッちゃん、こまけー」 でかい体を折りたたむようにして、日々人が俺の前に座る。角を立てながら水面が慌ただしく揺れた。 子供の頃はよくこうして一緒に入った思い出がある。風呂場を泡だらけにしたり、外で使う用のウォーターガンを持ち込んで撃ち合ったこともあったと思う。 「あ、まだこれ持ってたの」 縁に頭を預け、気持ち良さげに浸かっていた日々人が手を伸ばす。バスタブの真横に置かれた球体を掴んで、久々に付けてみよーよ、と目をいたずらに細めた。断る理由もないから頷く。 水を得た魚、って言うんだろうか。自分のやりたいことへの許可を得られたら日々人はにこにこしながらすぐ行動に移すタイプだ。早速バスルームのライトを落として、再び湯船に戻って球体のスイッチを入れるまで、本当にあっという間だった。 「なんていうか、やっぱりショボいもんはショボいな」 「ほらみろ言っただろ、絶対すぐ飽きるし、ゴミになるって」 「えー、でもあの時はムッちゃんもノリノリだったじゃん」 「それは、まあ、日々人にあわせてやったんだ」 俺たちが反響する声を弄びながら見上げているのは、アウトレットモールの片隅で更にディスカウントされていたバス用のプラネタリウムが生み出す、作り物の星だった。 ピント調節機能もなくて、どの高さがいいんだろなぁ、とプラネタリウムを抱えたまま腕を上げ下げしながら必死にピントを合わせようとする日々人は、何とも間抜けだと思う。ディスカウント入りした理由はそこなんだろう。使い勝手がこんなに悪くちゃあ、風呂で女の子も口説けないし、水彩画や砂絵のようなぼやけた星座は、本物を知っている俺たちにとってはやはり物足りない。 セックスの後のシャワーは大抵日々人の部屋のものを使うから、最初はこのピンボケプラネタリウムもあっちの部屋にあった。買ったばかりの頃はしょぼい、とか、俺ならもっと上手く作れる、とか笑い合いつつ頻繁に活躍していたそれも、ノリと勢いで手に入れたこともあってか、その分飽きるのも早かった。 日々人がロシアに行ってから殊更使われなくなったバスルームの片隅で、水垢まみれで放置していたものの、俺は何故か捨てられなかった。 北斗七星。カシオペヤ。線を伸ばして、あ、あれが北極星か。これって見る方向変えたら、春でも冬でもいけそうな星空じゃん。日々人がけらけら笑っている。 「だけど日々人、お前って昔は北極星見つけるの下手くそだったよな」 「何度もムッちゃんに聞いてたら、口で言うのが面倒になったムッちゃんがわざわざ星図書いて説明してくれたんだっけ。あの星図、実はまだ持ってる、実家に置きっ放しだけど」 「そんな古いもん捨てろよ」 「気が向いたらな」 その気はいつになったら向くんだろう。 なあ、ムッちゃん、しよ。 ぽちゃん、と日々人の手を離れ、湯の上で浮かんだプラネタリウム。いつか見たクラゲのように、青白い光を放ったまま揺れるそれは、月のようでもあった。それに照らされた俺たちは、クラゲみたいだ。 水圧の隔たりを物ともせずに、日々人が間合いを詰めてくる。短髪の髪やまつ毛に乗った水滴が、少し身動きするたびに青の濃さを変えて綺麗だった。 「お前のスイッチはいつ入るのかわかんねーから怖い」 「いいじゃん、お互い、いつ死ぬかもわかんないんだから、何処でもスイッチ入る方がいいよ」 噛み付かれた。そんな風に錯覚してしまいそうなキスだった。歯列をなぞって舌が割り込んでくる間に、ふやけたペニスを手で弄られる。 湯を挟んでも快感が変わらないのは不思議だ、ぐにぐにと尿道を指で押されたその刺激もダイレクトに伝わってきた。 寧ろ、エコーがかかったバスルームは耳から濃密に犯されていく感じがする。段々と余裕を失って色っぽくなる日々人の声に反応して、震えたのは体だけじゃなかった。 「んっ、は、ッあ」 キスの合間に引きつったような吐息が漏れる。エロい、日々人が耳を柔く噛んできた。 「俺、向こうに行ってからEDになってたっぽい」 「は、PDの間違いじゃねーのか、っ」 「違うって、一人でしようとしても上手く勃たないんだよ、無理矢理イったとしても気持ちよくないっていうか、出ないっていうか」 でもこっち来たら治ってた。下手くそな笑顔を、泣き顔の上に貼り付けて言う。 日々人が俺の空いた手をあいつのペニスに誘導する。擦らなくても準備万端だろ、ってぐらいに立ち上がってたが、日々人が縋るような目をしたから、互いに擦りあった。ベッドの上で一回ヤったから、このじゃれ合いは射精出来るような本気モードじゃない、でも相手を追い詰めるような、底意地の悪いやり取りだ。セックスだから、こんなことが出来る。 日々人は俺に何も言わないが、向こうでかなり大変な思いをしているみたいだ。日々人が渡ってから、俺以外の何人かの宇宙飛行士達がロシアに出張に行った。そして俺に向かって言うのは大体決まって「日本人の兄弟はクールすぎる、ムッタは何も聞いてあげないの」だった。 一体、彼らに会った時に日々人はどんな顔をしていたんだろうか。NASAにいるときは重圧や嫉妬すらかわして平然と笑っていたのに、今みたいな顔でもしてたんだろうか。 日々人の考えていることが手に取るようにわかるわけじゃない。なのにセックスになると途端わかるようになるから不便だな、と思う。 「っあ、ん、んっ、待、てっ」 「まだ、イくなって、もうちょっとだけ。俺、ムッちゃんがイきそうになってる顔見るの、好きだから」 散々こねくり回してくるから、結局一回イかされた。びくびくと電気が走る間もゆっくりと擦りながら、日々人は身体の至る所にキスをした。断続的に出す間の刺激は、敏感になっている分たまらない。 力加減出来なかった、って悪びれずに日々人は言うけど、本当は俺が擦る速度を速めたから、焦ったんだろう。俺だって、日々人がイきそうになってる顔は嫌いじゃなかった。普段余裕ぶってるやつから余裕を奪い、日々人を一瞬だけでも俺が支配しているような、そんな感覚が。 「ムッちゃん、もうすぐ月に行くだろ」 「ン、そう、だな」 来いよ、って日々人が両腕を広げ、顎をしゃくる。挑発的な態度に煽られ、俺は日々人の足を挟んで跨った。 月行って、帰ってきて、ちょっと休んだらさ。俺とハネムーンに行こう。 太くなった日々人のペニスを穴に入れようと集中している人間に言うようなことじゃなくて、一瞬にして全身の力が抜けた。一気に奥まで突き進んだせいで、あ、と鳴いて仰け反る俺を支える腕は、驚くほど力強い。 「お、まえ、何言ってんだよ、頭大丈夫か?ハネムーンってのはな」 「わかってるよ、俺もそこまで馬鹿じゃない。なあ、ムッちゃん、まだ俺じゃダメ」 急激な刺激に歯を食いしばる俺の汗と湯でべったりと貼りついた髪を、日々人がゆっくりと掻き分けてくる。拓けた視界の中で、見るもの全てを見透かしそうな丸い目が、手を伸ばさなくても触れられる距離でこちらを見ていた。 作られた星の光を宿してたそれは、俺が知っている中で、一番強い光を放っていると思う。心臓が飲み込まれそうなほどの、命をかけた光。 まさに今日。毎年シャロンがこの日、夜空に送る、あの瞳に似ていた。 「別に普通の旅行でいいんだ、でも冗談抜きで、俺はムッちゃんと旅行に行けるなら、それがハネムーンでいい」 つまりお前は、結婚しないってことか。俺と一生いるつもりなのか。実の兄だぞ。しかもお前みたいな恋をしていること、知ってるだろ。イケメンだし、好いてくれる女の子なんかたくさんいる世の中で生きているくせに、どうせ後先深く考えず、糸くずを払うような感覚で常識を捨てただろ。 なあ、そんな簡単に。いろんなものから逃げ出してきた、ちっぽけな兄を選んでしまうのか。 そうやって、問い正してしまいたかった。説教くさい、って言われてもいい。裸のまま正座させて、もっとよく考えろよ、って言いたい。なのに言えなかったのは、日々人の顔が宇宙を語る時と同じぐらい、真剣だったからだ。それは俺がシャロンを見つめる時の顔でもあるはずだ。 日々人の静止も聞かず、俺は腰を一心不乱に落とした。初めて自分から、日々人に縋り付くようにして腕を回す。一瞬だけ生まれる無重力が、肉がぶつかるときの衝撃を和らげる。既に解されている穴も痛みがない。初めて、痛くないセックスをしている。 俺が跳ねると、星を反射してちっちゃなダイヤモンドや銀を混ぜたような湯も、ちゃぷんちゃぷんと跳ねた。魚同士のセックスだって、こんなに跳ねない。脳天に刺激が突き立てられたみたいに、じんじんと末端まで余すことなく痺れている。 う、と漏れ聞こえる日々人の欲を孕んだ声は、どろどろに鼓膜が溶かされて最高に気持ち良い。 「あ、あーっ、あ、ッ」 日々人も余裕がないんだろう、俺の動きにあわせて腰を振ってきた。意図的に穴を締めてやると、今日のムッちゃん、すげえイイ、って切羽詰まった顔で、それでも笑いながら俺を見上げてくる。それだけで何も考えられないぐらい、頭も目の前も真っ白になった。 「ひび、と、出る、っ」 「うん、」 俺が出した後、追いかけるようにして穴の中にじんわりと広がった熱を感じながら、俺の胸に顔を押し当て、肩を震わせる弟を宥めるように背中を撫でる。肌にぶつかる乱れた呼吸が羽でなぞられるようにくすぐったいが我慢した。 普段なら、終わればすぐに抜いて処理して、互いに適度な距離を保って寝る。こうやって繋がったまま余韻に浸るのも初めてかもしれない。 ふと、祈りのような囁きが、切なさを帯びて届く。 「ムッちゃんが優しいとか、俺、気が狂いそうになる」 ああ、そうか。これが優しい、っていうんなら。俺はずっと、日々人に優しくしてやりたかったのかもしれない。 「優しくされたいのか」 「どっちでもいい」 「ふっ、どっちだよ」 「ムッちゃんはもう充分優しいよ。だって俺を突き放せなかった」 「うん」 「俺、今ちょっと弱ってるから」 「ははっ、だったら優しくしてやらねーとな」 「うん、して、優しく」 「ん」 抱き締めてくる力がひときわ強くなって、身動きが取れなくなる。唯一自由な頭をもぞもぞと動かし天井に映るのは、指先ひとつで消えてしまう朧げな星々だった。 それでも。日々人と見る星は、目が霞んで見えるぐらいに、とても綺麗だ。 →next |