日々人との二人きりの生活は、以前と同じように、とはいかなかった。ネジが吹っ飛んだようにはしゃぐことはなく、ご飯の時間だけは二人できっちりとリビングに集まるぐらいで、後はプライベートをきっちりと守るために互いの部屋にこもることが多かった。
 だけど何故か、ご飯だけはちゃっかりリクエストしてくるから、今日はあいつが好きなオムライスだ。
「おい」
「ん?」
「鳴ってんぞ、ケータイ」
 三日目が終わりかけた頃、食卓の上で鳴った着信は日々人の携帯。
 別にこれが初めてじゃない、上手く交友関係を築けるようになったんだろう、日々人の携帯はうるさいぐらいよく鳴るし、その音量はテレビに映る愉快な光景すら邪魔をした。いつもなら食事中であっても日々人は場をわきまえずに話し始めるものだから、俺が注意をしてわざわざ部屋から出ていかせるのだが、今回は着信の名前を確認した瞬間、静かに席を立った。目が合う。でも俺はすぐ、湯気の立つスープに手を付けた。
 例の彼女、だったんだろうか。十分程経ってからリビングに顔だけ覗かせたかと思えば、「ちょっと出て来る」と素っ気なく言う。
「ご飯は」
「食べるよ、ムッちゃんのオムライス好きだし。置いといてよ」
 日々人は小さく笑って、だけど足早に出て行った。
 目線を下ろせば、我ながら良くできたな、と思う渾身のとろとろオムライスにコンソメスープ。サラダに乗ったきゅうりのスライスは日々人がやったから、少し分厚めで不格好だ。
 俺は既に半分以上平らげていたが、日々人のオムライスはスプーンで抉った跡があるだけで、口にすら含んじゃいない。
 本当に食べるつもりなんだろうか。時間はまだ19時を回ったところで、彼女と会うならファミレスでもカフェでも何処でだって食べ直しが出来るのに。
 しかし日々人は、帰って来なかった。
 明け方、自分の部屋に向かう足音が耳に飛び込んできて、目が覚める。睡魔を引き寄せたくても戻って来そうにないから、怠さを感じながらも向かった先のキッチンでオムライスとサラダを三角コーナーに突っ込んだ。どうせまた、夜は作り直す。
 部屋を出た時から、甘い匂いが纏まりついてくる。南波の家に存在しない匂いだから、余計に鼻につく。
 あいつも年頃だし、盛りがあってもいい、それが普通だ。ただ食べないのなら食べないと言えば良かったのに。もし今後二人で暮らすことがあるのなら、最低限のルールとしてあいつに言わなきゃな、と思う。変に気を遣われるぐらいなら、はっきり言われた方がマシだ。


 結局それは、四日目も五日目も、同じことだった。日々人が出て行く時間はまちまちで、いつ帰って来るかも言わないくせに、ご飯残しておいて、とそれだけは言い残す。俺は俺で無意味だとわかっていながらも皿を二枚取り出す。
 罪滅ぼしのつもりだったのかもしれない。二人で目指すはずだった夢から、先に手を引いたことへの。だから弟の小ちゃなわがままぐらいは、聞き受けてやろう、って。
 六日目の朝。日々人はもはや恒例の如く、朝に帰ってきた。
 でもその日、部屋にすぐ消えると思っていた足音は俺の部屋の前でピタリと止まる。
 コンコン、と軽く二回のノック。ムッちゃん、起きてるだろ。弟にしては珍しく弱々しい声に、ひととき呼吸を忘れる。黙っていたら、勝手に部屋に入ってくるなり、許可もなく日々人はベッドに腰掛けた。
 俺は弟の言うとおり、朝の新聞配達のバイクの音まできっちり聞ける時間には既に起きていて、紫と薄紅を混ぜた魔女のスープのような朝靄を前にしながら、ただそれをベッドの上で眺めていた。
「やっぱり起きてた、寝たふりすんなって」
「うるせー、朝帰り常習犯め」
 せめて香水の匂い落としてから帰って来いよ、と言おうと思ったが流石に嫉妬してるみたいだったから、早く風呂入れよ、と素っ気なく伝える。
「ムッちゃん、飲んだの」
 日々人が床に転がった缶を持ち上げた。所詮金のない学生だから発泡酒だ。それが三本。別にこれぐらいじゃ深酒の部類にも入らない。本気を出せばそれなりに飲めるんだろうけれど、何となく昨日は調子が悪そうな気がして、それ以上は買わなかった。
「これぐらいならまだ大丈夫か」
「何が」
「量。去年俺が行ったときにはけっこー転がってたんだよな、出来上がってた」
「ん?お前去年、俺の家来たっけ?」
「記憶飛んでるだけだろ」
 ゆらりと気配が動いたかと思えば、俺のベッドの中へ颯爽と潜り込んでくる。
 おい、ここはお前の部屋じゃねーぞ、と布団を体に纏わせた日々人を揺すっても、わかってるよ、と固い声が返って来るだけだ。
 日々人のものじゃない、きついバニラみたいな甘い香りについ顔を顰めてしまった。
 俺はどうやら作られた匂い、ってものが好きじゃないらしい。消臭剤は出来るだけ無臭を選ぶようにしてるし、付き合ってきた彼女たちは香水をつけなかったところからして、そうなんだろう。
 そのままでいいのに、と思う。人が生まれたときから持つ匂いや、自然が放つ空気が一番落ち着ける。
 もごもご何かを言いたそうにしてたから、俺は日々人に耳を寄せた。
「彼女、寂しがるんだ。遠距離が怖いんだって。こうやってすぐ会えるのもあと少しだから、会いたいって」
 それが連日の電話と朝帰りの理由みたいだ。少しだけ疲労感の残る横顔に、弟の持つ優しさを垣間見た気がして、はみ出していた肩に布団を引っ張り、被せてやった。
「遠距離って、片想いと似てるよな」
「別物だろ」
「相手の隣にいられないことには変わりないんだから、同じだ」
 結局、ひたすら苦しいだけなんだよ。
 部屋の窓を開ける。ゆらゆらと繊細なレースカーテンが朝の冷たい風を受けて踊る。寒い、って日々人が愚痴ったけれどそれには無視をした。
 やがて瞼を閉じた日々人に染み付いたバニラが薄れ、ひっそりと漂う冬の匂いが胸を震わせる。見開いた新聞の天気予報の欄には、にこりと笑う雪だるま。
(雪が、降るのか)
 俺は重い瞼で蓋をして、狭いシングルベッドに身を預けた。


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