ジ・エンドレス

「こちらヒューストン。あと一分でニューイヤーだぞ、南波ブラザーズ。ちなみに星条旗は元気かな」
「あーあーこちら、Mr.ヒビット。星条旗じゃねーよ、これもう。色褪せて真っ白」
「おい日々人、ポールから解けかかってるだろ。だからあれだけ強く結んどけ、って言ったのに。あー、こちらムッタ。キャプコムチーム、こんな年末までクルーのためにお疲れさま」
「こちらはヒビト。それは言えてる。まあ宇宙には時間もあってないようなもんだしなぁ、どーぞ」
「あーヒューストン。南波ブラザーズの気遣いに心から感謝しよう。身を切り崩して働く宇宙野郎共のためにも、ムーンベースでの成果を期待してるよ。さあ、カウントダウンだ。気合い入れてけよブラザーズ」
 管制室、兄、そして俺の三つのカウントが重なった。兄の声は小さく震えていて、俺の声は肺を丸ごと放り投げたように大きく。
 西暦2031年から西暦2032年へ、グリニッジ標準時が切り替わるその瞬間。
 ーー Happy new year!
 俺たち兄弟は、月面に日本国旗を突き立てた。
 管制室の誰もがヘルメットの中で流した涙の意味はわからなかっただろう。
 感動や達成感、喜びともまた違っている。
 月面の重力に引き寄せられて、ただただ下へと落ちていくだけの水滴は海すら生み出せないほど小さなものだ。それでも濡れた瞼の裏に浮かんだ、小惑星シャロンは、世界中の宝石をギュッと凝縮しても足りない程、強く青く、大きく輝いていた。



 あーあーッと大きく口を開け、ぷつぷつとした汗の川の下で蠢く喉仏。そこから生まれくるはずの色声が水の壁を噛ませたように、鮮明さを欠いていたから、イったばかりのムッちゃんをひっくり返し、制止も聞かずに再びぐちゅぐちゅに突き上げた。
 そこはとろとろで、ムッちゃんの体の中で一番熱くて、気持ちいい。体にキスを落とせば締まるのも、また。
「このまま、もう一回、いい?」
 唾液まみれの口が、酸素を求める魚のように動いている。おい、もうやめろ、ひびと。多分、右頬を枕に押し付けながらムッちゃんが俺に浴びせてきたのは、そんな単語だったはず。
「ムッちゃん、何、ちゃんと言って」
 上手く拾えなかった声は、聞こえないフリにした。抜かずの二回目を求めて、腰を打ち付ける。穴からさっき出したものが溢れてきたけどお構いなしだ。タオルでも引いていたらまた違ったんだろうが、どうにもそちらが気になるようでムッちゃんはいまいち集中し切れてない。
 月面にまでコンドームを持って来るはずもないから、ムッちゃんの中は俺の吐き出したもので溢れている。
 まだ俺たちが一緒に暮らしていたあの頃、たくさんあったコンドームの箱。使用期限が記載されてるから、全部捨ててやった。興奮の余韻と旗の突き刺した感触が残る、俺の手の中でムッちゃんはうわ言のように言い捨てる。
 それってムッちゃんにしては珍しい。明日着る服、明日使う資料、そういったものは必ず事前にきっちりと用意する。俺は小さい頃からそれが出来なくて、三十路に足を突っ込んでからも彼によく注意されていた。
「別にさ、使ってくれて良かったのに」
「あっ、なに、を」
「ゴム、使う相手がいなかっただけ?大量にあっただろ、俺はまだ覚えてるよ、ムッちゃんが最後に買ってきた極薄の凹凸付きのやつ」
 使い心地よりも、ムッちゃんが感じるのを我慢してる、あの顔にたまらなく興奮していた。
 前立腺を突くとムッちゃんがびくんと大きく跳ねて、しなやかなカーブを背骨で描き、シーツに新たな波を刻む。
 コンドームが途中で品切れにならないよう、俺の部屋のチェストにはいつも二箱以上入れられていたし、ティッシュの残量もセックスの前に必ずムッちゃんのチェックが入っていたのを覚えてる。
 一応、ひたすら狭い睡眠室でもティッシュぐらいはある。でもムッちゃんは確認しなかった。
 ここまでの流れは酷くあっさりしたものだ。今までしてきたセックスの中で一番。ぽつりぽつりと今後の訓練やこなしていくことになるミッションの話を住居モジュール内でしていたはずで、それ以上の話を拒むように俺と目を合わせないムッちゃんを強引に部屋に連れ込んだ。
『お前ここではしない、って』
『嘘、そんなん無理だよ、だってここに来たときからムッちゃんとずっとヤりたかった。ムッちゃんだってそうだろ、俺の事ずっと、見てたよ』
 正直、驚いてはいる。やめろ、と言われはしても、結局ムッちゃんはそのまま付いてきたし、俺の下で素直に喘いでいるから。
 ムッちゃん自身が待ち望んでいたかのように、数年ぶりのブランクもなく簡単に繋がってしまった。人類の夢と大金をかけたご立派な箱の中ではセックス自体許されないと思ってたのに、いざ大した抵抗もなく始まってしまうと、その後に待ち受けるだろう侘しさが大きく膨れ上がるだけだった。
『約束だったろ、俺とお前が一緒に月に立つ日が来たら、この関係も終わらせる、って。俺はお前と心中するつもりはないんだから。地球に帰ったら、全て終わりだ』
 どうやら俺たちは、世間で言う“普通”に戻るらしい。ムッちゃんはずっと、この関係を断ち切るためのきっかけを欲しがっていたんだと思う。それに気付いてはいたけれど、いつも気付かなかったことにしてた。
「ん、アっ」
 イったばかりで敏感になってるそこを腰を振るリズムで、大きく手で擦る。拒絶するように股間に伸びてきたムッちゃんの骨張った細長い手。届く前にカリを爪先で引っ掻いたら、そのまま空を切ってシーツに堕ち、穴は強請るように締め付けてくる。波打つように締まる度、俺がどれだけ歯を食いしばりながら我慢しているか、ムッちゃんは少しも知らないんだろう。
 ベッドのシーツを噛むように立てた足の指に、更に力を加えて彼の引き締まった肉に腰を打ち付けると、ムッちゃんは甘い声を殺しながらも頭を振った。
「ひ、びとっ、やめ、もうっ」
 うなじに溜まった汗が露となって、しなる背中を滑り落ちる。それを舌でちろりと掬えば、昔ムッちゃんとアポを連れて出かけた海岸沿いの潮風と同じ味がした。
 あれは確か真冬の、息も熱も凍るような夜。人影もなく、生き物の息吹も聞こえなくて、月明かりを反射した星屑みたいな光が波に揺られる度に瞬いた。さざ波を連れてくる海は銀河を溶かし入れたように美しかったし、隣に立つムッちゃんには、頭を空っぽにしたままでも触れることが簡単に出来た。
 いつからだろう。お互いの側でいるために、頭を一杯にして必死になって足掻き始めたのは。
『いつまでも一緒にいられないのは、もうわかってるだろ。お前がロシアに行ったのも、俺がヒューストンに残ったのも、一緒にいるための選択肢じゃなかった』
 やたらとセックスの最中に布団に隠れたがるのも、声を必死に押し殺そうとするのも、ひたすらこの関係性に戸惑っているせいなのだとしたら、ついさっき、日本人の期待を一身に背負って、堂々と国旗を立てた間柄、なんて聞こえが良すぎると思う。毅然とした立ち姿の中に染み渡るような興奮を頬に乗せていたのは、間違いなく、俺の下で淫らに善がっているこの人だ。
 射精する瞬間は、ある意味酸欠状態になる。寧ろイく瞬間まで息を止めれば止めるだけ、果てた時の快感は増加するから、いつも出来るだけ長く息を止める。ムッちゃんにもそれを味わって欲しくて、イきそうになる直前に舌を吸い続けたら本当に死にそうになってることがあった。背中を本気で殴られたっけ、あれは痛かった。
 ただでさえシーツに囁かれる小さい喘ぎ声が聞き取りづらくて、ムッちゃんにかかる身体の負担もそっちのけに、隙間なく覆いかぶさる。小刻みになる律動にあわせてベッドが揺れる。
視界も、体も。ムッちゃんも。
 そして、俺も。


 西暦2031年。
 NASAが世界に向けて公表したのは、未だ未踏の地である月面裏側への人類到達を目的としたシャロン月面天文台計画だった。
 我が兄・六太を含むCESー66クルーにより、シャロン月面天文台の要であるパラソルアンテナを、専用バギーと衛星の双方から裏側直径一キロに展開し、予定よりも30日早く完成させた。その功績はメンバー間のチームワークと理解力と発想の転換力の賜物だと、宇宙評論家は言う。
 月面に現れた壮大な天文台は、137億歳である宇宙の解明への大きな希望になるだろう、とダニエル・モリソン博士が宣言した。
 宇宙の解明。それはまるで、シャロンが愛した人を毎夜空を見上げて探し続けることと同じぐらい、途方もないことなんだろう。それでも初めて月にアンテナが埋め込まれた時から、夫であった亡き金子博士の吐息ぐらいは、彼女の耳にも聞こえるようになっただろうか。
 クルーの滞在が192日を越えた頃、完成を目前にした最後の起動スイッチは、天文台計画のメインミッションスペシャリストを務めた兄の手によって行われた。
 大気も光も電磁波すらもない世界を夢見たのは、何も企画発案者である金子シャロン博士だけではない。日本、アメリカ、ロシア他、世界中に及ぶ宇宙へ万感の思いを馳せる人々は、2014年に引退したハッブル、後続機ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡に続く、未開拓の地を覗かせてくれるだろう新たな望遠鏡の誕生に、無限の期待を寄せた。
 ーー最初に見てみたいものは何ですか。
 月面に旅立つ直前のインタビューで、兄は迷うことなくこう言い残したという。
「金子進一博士が発見された、シャロンという星を」
 彼の願い通り、シャロン天文台が初めて記録として残した星は、地球より1200光年以上離れた小惑星シャロンだった。
 まだ幼かったあの日、少女のように瞳を輝かせるシャロンが見せてくれた“小惑星シャロン”の写真が色付いた瞬間だった。地球の血を分けたように美しい青色の光を放つ星。
 地球みたいだ、って。
 俺は勝手に思っていただけで、わざわざ兄と示し合わせたことはなかったけれど、基地に戻ってふとした瞬間に彼は、地球に似てる、とそう零していた。
 この時兄と月面を踏んだのは、何もCESー66のクルーだけではない。
 弟である俺は、兄が天文台を起動する瞬間を隣で見届けた。
 俺がこのタイミングでソユーズに乗ることが出来たのは完全に奇跡だっただろうし、帰還船アルタイルにコスモノーツのお前がまさか乗り込むなんて、と彼は目をくるりと丸くしていた。長くて黒い睫毛まで綺麗に開かれていて、俺はそんな愛嬌のある仕草がとてもお気に入りだった。
 しかしきっかけはある。天文台の要であるパラソルアンテナを保護するための開閉式ドーム型シールドをロシアが開発したからだ。
 月には磁場や大気が存在しないために、太陽風や宇宙線、更に微小の隕石までもが直接作用する。それ等の障害物によって与えられる被害を最小限にしようと活動停止中のローバーを保護する目的で当初開発が進められていたが、その技術に目を付けたNASA側が宇宙局に打診をしてきた。
 しかもその打診を更に促してきたのが、南波六太という男だったのだから、来たるべき運命を辿らされているのかもしれない。
 兄の細くて長くて、力強い手によって。


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