大丈夫、と。
 ムッちゃんに初めて「セックスしたい」と言ったとき、強引に抱きしめたとき、甘くとろけたような声で果てたムッちゃんの手に指を絡めたとき、たった一回のセックスの中で、三回も同じことを言われた。
 明らかに「大丈夫」じゃない声で。
 俺のもので突き上げられながら見せた顔は、性に溺れたそれではなく、兄の顔だった。皮肉たっぷりに唾液まみれの濡れた唇が、こんな声も出すのか、と感心してしまう程、顔と声はかけ離れていた。セックスの時ぐらい兄であることを忘れてしまえばいいのに、とムッちゃんの両足を肩に抱えて深く素早く揺さぶってやった。ヒューストンに来てからどうにも処理が出来ていなかったのか、最初はどろりと濃かったムッちゃんの精液も、やがて何度か放たれてそれすら出なくなる頃、ようやくムッちゃんの体は俺と同じ体温になれる。
「ん、ん、っ」
「まだイくなよ、ムッちゃ、んっ」
 熱を持ったそれに、指で歯止めをかける。イキそうになってるのは、肉壁の震えでわかっていたが、簡単に終わらせてはもったいない。恨めしそうにこちらを見たムッちゃんが、掠れ始めた声で「ばかやろう」と言って、また俺の枕を噛んだ。先走る液が少しずつ俺の手を汚す。
 自分の喘ぐ声が嫌いだ。ムッちゃんはそう言うが、俺はすごくセクシーだと思う。自らおっさんと表するけれど、前立腺を擦った時に出る、体の奥から絞り出してきたような甘く、低い呻き声は、俺の性感帯を刺激する。ひびと、なんて最中に乱れながら呼ばれたらそれこそ腰砕けだ。
 唇を噛みちぎる勢いで声を堪えようとするぐらいたら、もう一層の事、俺の腕を噛めばいいのに、と思う。エナメルに当たる筋肉の弾力が心地良くて癖になるから結構良いのに、って思っていたら、なるほど、俺の幼少期の写真はおもちゃやタオルをよく噛んでいた。
「なあ、ムッちゃん、久々にヤると、気持ちいい、だろ?」
 結局、ムッちゃんがモスクワに来た初日から俺達がしていることは、ヒューストンで暮らしていた時と少しも変わらなかった。
 大体は俺から。たまにムッちゃんから。明日が休みの日には、何度も、それこそ朝から晩まて性のことしか考えていない中学生みたいに、セックスをする。ムッちゃんの冷たい体に身を寄せられる体位なら何でもした。心臓の音が、耳からじゃなく、触れ合う皮膚から伝わる距離になる体位なら何でも。射精を我慢するムッちゃんの濡れた声をこの距離から聞くと何よりも興奮したし、例え体が冷たくてもムッちゃんの体温、というものはちゃんと感じられた。
 優しくなんて出来ないから、いつでも俺達のセックスは次の日に傷跡とか気怠さが残る。お前はSなのか、なんて俺が噛んだ歯型を撫でながら真剣に問うので、荒く口を塞いであげたこともあった。本当はSもMもない。ムッちゃん、激しくしないと体が暖かくならないんだ。
 お前と違って俺は欲求不満じゃないから。そう言って腕に触れてきたその手は、まだ少し冷たい。
 今日は俺から、ムッちゃんをベッドに押し倒した。
 俺が与えたお高いコートは、床でぐちゃぐちゃに下着と混ざって、価値なんてあったもんじゃない。丸めたティッシュも一緒に転がって、床自体がごみ箱のようだ。
 ねちゃねちゃ、と繋がった部分からは絶え間なく卑猥な音が響く。合間を縫うように、良い感じに乱れた声が俺を煽る。
 どうせモスクワでは一生一人暮らし、と借りたアパートは壁が薄いことが難点で、朝一番にオーディオのタイマーから放出される大音量のイかれたロックとか、深夜に帰る同棲カップルの囁きと足音とか、本当によく聞こえる。
 たまには俺が迷惑かけてもいいんじゃないか、とそんな不埒な考えが過ぎり、ムッちゃんが噛み付く枕を力付くで奪い取った。
 それこそ俺が近所迷惑甚だしい住人に送る視線と同じものを、ムッちゃんがくれる。最中に視点の定まらない瞳が、今回は見事、瞳の真ん中を撃ち抜く。
「いや、だ、かえせ」
「一生イかせてやらないのと、どっちにする?」
「おまえは、ばかだ」
 そんな馬鹿と一緒にいるのは、ムッちゃんだろ。律動を再開する。僅かに先端だけを残しながら引き抜き、振り子のように最奥まで挿れると、掠れた声が部屋を震わせ、俺を締め付ける。
 あ、あ、って何度も不協和に跳ねる声がたまらない。
「ヤバ、イ、ムッちゃんの声、すき、だ……っ」
 ローションも必要ないぐらいに滑る性器を、こすればこするだけ、ムッちゃんは苦しげに鳴いた。俺の指は、野球部時代の名残りで右中指の第二関節がぼこっ、と飛び出している。球を投げていると骨折とかひびも常だ。繰り返してたら骨も変な形になった。その指が、いいんだって。今まで滑らかだった感触からの違和感が、不意にカリに当たると無性に気持ち良い、とムッちゃんは言っていた。
 今日も第二間接が当たる度、彼はう、う、と呻きを強く、体を頑なにする。
 耐えるように反り返った首筋には、喉仏が嫌いな声を呼び戻そうと上下するのに、結局は出て行くばかりで、俺の下で時が過ぎるのを待つ彼は、最強に屈辱な気持ちなのだろう。怒ったときと何ら遜色のない顔でイキかけているから、俺は思わず、べろり、と眉間を舐める。噛んでも良かったが、さすがに顔に歯型は可愛くない。月明かりのベッドルームの中でもよくわかる程、濃く、濡れた睫毛が開くとき、孔雀の広げる羽を見た時と同じぐらい感動する。
 綺麗だな、って子供みたいに、単純に。
「どこ、舐めてん、だっ」
「舐めちゃいけない、って言われてない。俺、ムッちゃんのこと、無性に舐めたくなるんだよ、時々。何でだろ」
「も、ほんと、おまえ……足りてねえ、っ」
 ぐちゃぐちゃになる穴の中は最後の一個をさっき使ってしまったから、完全に生だ。ティッシュも使い切った。こういうところも、ムッちゃんにとって足りていないのかもしれない。中出しすることを、ムッちゃんは咎めなかった。
 寧ろ、喜んでいるようにも見えたのは、枕を失って空いた腕が俺の首に回されたせいだろうか。調子に乗って、あと三回はヤった。
 不思議とお前とこんだけヤっても体調は崩さなかったんだよな。
 ムッちゃんが気だるげに途中で引きつったらしい内腿を撫でながら言う。その手つきは、ある時は俺の頭を気まぐれに撫でて、ある時は全く同じように(いや、それ以上に)優しくアポの毛を撫でた。夏に撫でられると気持ち良かったんだ、なんて思い出しながら、エアコンのスイッチを入れる。
 嫌なのだそうだ。冬場のエアコンの効いた部屋ですると、喉がかさついて仕方がないらしい。しかし室内を冷凍庫にする訳にもいかず、行為が終わればすぐに電源を入れた。
「いい運動になってたんじゃねーの」
「まあ、そうかもな」
「もう一回しとく?ムッちゃん、筋肉少なくなってるし」
「無理。お前溜めすぎだろ、おっさんのくせに。昔と同じだけヤれるって恐ろしいんですが」
 徐々に暖まりつつある室内。重たげに瞬きを繰り返しながら、シャツに包まれたままぽすん、とムッちゃんがベッドに横たわる。やがてとうとう鉛のようになってしまっただろう瞼を閉じた。布団もかけずに。
 ぴ、と1度だけまた温度を上げて、ムッちゃんの隣に寝そべった。
 腰を抱き寄せる。汗と精液と、彼の匂いがする。久しぶりの感覚だった。
 怒るけれど、俺を無理に引き剥がさなくなったのは、あの家で暮らし始めてからだ。小さい頃はとにかくうっとおしがられた。夏は気持ちいいからを理由に、冬は凍えないようにと、俺はムッちゃんを何度も背中から抱きしめて眠った。それでも俺が起きる頃には、彼の姿はなかったが。
 過去形にされた想いを一緒に閉じ込められたまま、ムッちゃんは俺の腕の中で、か細い吐息のまま眠りについた。
 ヒューストンに置いてあった、ムッちゃんに言わせれば“趣味の悪い”真っ赤なソファで、頭を撫でられる夢を見た。


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