魔術と魔法の根幹には同じ力が宿っているが、似て非なるもの。魔術は万能ではなく、使い手が術を選ぶもの。魔法は遍く万能であり、法が使い手を選ぶもの。
魔術とは、超常的・超自然的な現象を科学に落とし込んで魔力を基に扱えるように、一般人が用いる道具を魔力や術式に置き換えたもの。
魔法とは、魔力や術式に置き換えても再現性の取れない実現不可能な手法や現象を指すもの。
根底に科学的根拠や推論があるか、人の力で実現可能であるか、が判断基準となる。
自然災害等を例とするならば人の力では実現不可能なため『魔法』扱い、対してそれを実現できる能力を持つ人外や神的存在からすれば『魔術』扱いである。
他、時間を巻き戻すような時間遡行や時間の完全停止には科学的根拠から掛け離れるため『魔法』、周囲の減速や自分の加速により時間を停止させるように見せかけることや、肉体の成長を意図的に抑制・加速させて見た目を変化させることは『魔術』、となる。
世界的に広い地域でもって、魔術も医学や哲学、歴史学、心理学や政治学といった専門学と同様に、この世界で学び習う学問のひとつとして認知され、魔術学の中でも攻撃魔術や防衛魔術、飛行術、召喚術、錬金術等の分類がされ、更にそれぞれの分野には下位分野も存在している。
他学問と同じように、定期的に魔術団体による学会や研究会が行われ、著名な魔術師や学園で教鞭を揮う教授等がそういった会合に参加している模様。
生きとし生けるものに宿る精神的な霊力のこと。
すべての生けるものに宿ってはいるが、それを認識することにより魔力を持った状態として振る舞えるようになる。先天的に魔力を持つ者も居れば、後天的や外的要因によって魔力に目覚める者も居る。
魔力を持ち、尚且つ魔力を『魔術』として形あるもので顕現できる存在が"魔術師"になる。
魔術師とは魔術を扱う者達の総称、また、魔術を生業とする人間を魔術師と呼称する。魔術学園にて生徒達に魔術を教える教職者は、教師であり魔術師でもある。
一般論として、人間は魔力が枯渇した状態でも死に直結しない。魔力は時間経過とともに自然回復するものであり、薬草等を用いた強制的な回復もできる。
魔力が枯渇した状態でも、その者の生命力を消費して無理矢理に魔術を行使することも理論上は可能。しかしながら、生命力を魔力に変換する行為は命を無理に削り取ることと同義となり決して褒められた行為ではない。
魔術師の多くは己の魔力残量を常に気に掛け、魔力枯渇を回避しながら生活を営んでいる。
魔力を持つ者へ、魔術を学問として教える学び舎が『魔術学園』と銘打たれる。
アマ・デトワール学園以外にも先進国には魔術学園が幾つか存在している。貴族血統の者のみが入学を許される学園、既に使い魔と契約を為している者のみ入学可能な学園等、入学基準や教育方針、生徒の傾向等は各国各学園により様々だが唯一、「魔力を持つ者だけが入学できる」点が共通した入学基準。
魔術学園の卒業生は魔術に関連した職業に就く者もいれば、魔力の制御を学ぶことだけを目的としていたために卒業後は魔術に一切関係ない道へ進む者等、進路は千差万別である。
アマ・デトワール学園では成長発育が最も早くなり魔力も強まってくる青春期に合わせ、14歳から入学可能の5年制に定められた。(※どちらも一部例外あり)
※ざっくりとですが、パブリックスクール的なものをイメージいただくと分かりやすいかもしれません。
教育方針としては、生徒の多様性や自主性を尊重。
そのため、校則の類もかなり緩め。式典時では制服とローブの着用を強く指導されるが、それ以外であれば制服の着崩し、染髪、ピアス、メイク、ネイルアート、寄り道買い食い、バイト副業その他諸々、本人が本人らしく過ごせ、法律(公序良俗)に違反せず学業に支障が出ない限りはすべて容認されるくらいの緩々さ。
指導する教員個々の思想の違いにより、「廊下は走るな」「校舎内では飛行禁止」「メイク禁止」「ネイル禁止」「スカート丈は膝上●cmまで」といった細かい指導が入ることはあれど、校則ではないために強制力はなく、従うも逆らうも各々の自由。
校則違反が行き過ぎて目に余るような事態にでもならないうちは、学園長直々に介入することも、停学・退学等の処分が下ることもない。
むしろ、明確に門限や可不可事項が提示され、入寮時には誓約書への署名が必須となり、優秀な使い魔達が目を光らせている分、校則よりも寮則の方が厳しく(それでも他校と比較すれば遥かに緩くて自由度も高い)、寮父母には学園長ですら逆らえないとはもっぱらの噂だったりする。
以下はそんな寮則の一部を抜粋。