〜さざなみ
 

 この歪な関係が、長く続くとは思ってはいなかった。
 最初は、彼が飽きるまで、と。
 突きつけられた条件が、続けるための言い訳になっていたのは、いつだっただろう。
 長く続くものではないからこそ、その終わりは、自分達どちらかの手で幕を引きたかったのに―――


 ********


 その和風姫君の襲撃を受けたのは、珍しく予定のない週末だった。
 理事長は、春に持ち込まれたホテルに関しての事業が大詰めを迎えて海外出張中。
 部活もなし。特に片付けなきゃならない懸案もなし。
 日頃あれだけ暇をくれ! と思っていたくせに、そうなったらそうなったで何もすることがないってどうなのかしら、私。
 昼過ぎまで惰眠を貪って、腹の怪獣が空腹に暴れだしてようやく起き出して。
 手始めに四つ切りトーストを二枚、カフェボウルにレトルトのスープという適当ブランチで宥めてから、買い出しに行かなきゃなあ、と思ったのだった。

 小春日和の空の下、散策気分で最寄りのスーパーまで。
 こういうとき、車があったら助かるんだけどさ。なにしろこっちは免許はあっても車は無し。駐車場代が高いのよ。
 うん、最近運動不足だし、まあいいか。
 ダラダラとそんなことを考えながら、アパートを出て――歩き出した時だった。

 失礼、と鈴の鳴るような可愛らしい声に呼び止められたのは。
 振り返ると、住宅街には似つかわしくない着物姿のお嬢様。
 嫌みでも何でもなくて、雰囲気およびお召しになっているお着物の上質さからして、こりゃ姫だな、と思ったのよ。

「……楠木、茅乃さんでいらっしゃいますね? わたくし、丹羽千鶴と申します。少々、お時間頂いて宜しいでしょうか」

 固い表情で、緊張した様子のお嬢様に予感を覚えたのは、何故か。
 少し視線をずらすと、お嬢様のお車らしき高級車。そして私にいつも付いてくださっている、古賀の護衛の方が気配を知らせてくれたので、私はニコリと微笑んで、すぐ近くにある喫茶店に彼女を誘ったのだった。



「急にお呼び止めして申し訳ありません」

 肩から長い黒髪を滑らせて、向かいに座った彼女は頭を下げた。
 ちゃんと育てられたお嬢さんなんだなぁ、と私はある意味場違いな印象を抱く。
 ううん、しかし、昔予想していたのとは違う人が出てきたなー、これは。一度突っ掛かられた美女と同じタイプなら対応の仕様はいくらでもあるんだけど、礼儀正しい清楚なお嬢、というのは相手をしづらい。
 基本的に、大人しめの女の子に弱いのよね、私。

「あの、本当にすみません、その、わたし、」

 じっと黙って彼女を観察している私が怒っているとでも思ったのか、急いた様子で言葉を探してうろたえ始めた。
 いやいや、大丈夫よ〜、お姉さん怒ってないわよ〜、はい深呼吸深呼吸。

「多分、だけど……古賀の関係者の方?」

 こちらから切り出すと、ストン、と彼女の肩の力が抜けた。

「はい、あの、伯母が美空さまと姉妹で、わたしは姪なんですけれど、」

 ええと、整理整理。
 古賀の前理事長、つまり暁臣くんのお父様、帝樹さんには二人奥様がいらっしゃって。
 前妻の雪佳様(暁臣くんと宵暉くんの実母さま)が亡くなられたあと、後妻に入られたのが美空さんで、朔耶ちゃんを生んだ。私が面識あるのもこちらのお母様。
 美空さんの姉妹がこちらのお嬢様――千鶴さん? の伯母さま、んん?

「あの、伯母は私の父の兄の奧さまになられます」

 千鶴さんも混乱しているようだ。頭の中で家系図を引っ張って繋げてとりあえず理解する。
 古賀美空さんと亡き古賀雪佳さんは従姉妹でもあられたそうだから、端的に言うと――

「つまり、暁臣くんから見ると母方の遠縁ってことでいいかしら?」

 確認のためにそう言ったんだけど、お嬢様は、はいすみませんとシオシオになってしまわれた。
 別にいじめている訳じゃないから、そんな風に気落ちしないでほしい。それが手なら、“おそろしい子!”で済むんだけど、どうやら天然っぽいし。

「で、お話って?」

 だいたいわかるんだけど、礼儀として訊いてみる。ハッとして、千鶴さんは姿勢を正した。

「――暁臣さんと、お付き合いされているとお聞きしました。それは、本当でしょうか」

 おう直球。
 どう返すべき?
 だいたい、私のアパート前で待ち伏せしてたんなら、おおよその調べはついてるはずよね。
 無難に、答えてみた。

「……まあ、大きい意味でなら、YESかしら」

 小さい意味では? とか聞き返さないでね、言えないし。
 ふふ、と遠い目をして笑んだ私をどう誤解したのか、彼女は身を乗り出して。

「ち、違うんです! 別に、お付き合いされていることをどうこうじゃなくて……! ただ、何故、結婚なさらないんですかって、」

 興奮した自分を恥ずかしげに、頬を押さえて座り直した。
 うん、この娘可愛いなー、弄りたい。そんな場合じゃないけどさ。
 ――そういう関係じゃないからです。って言えたら簡単なんだけど、納得はされないだろう。

「……古賀の小父様にもご挨拶は済まされているのに、一向にそういう話は聞こえてこないのは、どうしてだろうって。少なくとも、身内にはお披露目をするべきじゃないかって、」
「伯母様がおっしゃってる?」

 どうも千鶴さんの言葉にはその伯母様の影響が見え隠れしている。そう読んだ私の補足に、すみません、と小さくなる千鶴さん。
 まあ、暁臣くん自身は、古賀のことを「ただの成金ですよ」と言っているけれど。
 お祖父様の代でフランスの名家のお嬢様を、お父様の代で遡れば華族だかのお嬢様をお二人も娶られているわけだし(それが全部恋愛結婚てとこがまた恐ろしいわよね、古賀さん家は)。
 私から見れば、上流階級に違いはない。
 そして、関係者の方から見れば、次期当主の恋人(暫定)が一般家庭出身で教師、歳上の女なんて、あまり歓迎できないのだろうな、ということもわかっている。
 もっと早くにそう言われるだろうことは、覚悟していたのだ。
 何故か古賀さん家の皆さまは、無条件で私のことを受け入れて下さっているけど――そもそも、恋人じゃないんだから。
 どうして結婚しないのかと言われても、ねぇ?

「楠木さんは、暁臣さんとご結婚の意思はないのですか」

 ……答えに困ることばかりなのですよ。
 どうしようもなく、私は微笑んだ。

 曖昧に答えるばかりでハッキリしない私に焦れたのか、唇を噛んだ千鶴さんは、背筋を正してこちらを見据える。

「わたし、伯母様に暁臣さんの花嫁にと望まれています。それだけじゃなく、わたし自身が望んでいます。――あの人をお慕い申し上げています」

 静かに私はカップの紅茶を口にした。そうして、言葉を飲み込む。
 誰に憚ることなく、彼への想いを口にすることができる目の前の彼女に、何も感じない訳じゃない。
 素直な彼女に、嫉妬とか、苛立ちとか、覚えない訳がない。
 そこまで出来た人間じゃない。
 だけど悲しいことに、私は彼女より大人で、プライドが高かった。
 突然押し掛けてきた“花嫁候補”に、動揺するものかと意地っ張りが顔を出す。

 ――あの人が好きだと、言えるものなら。
 言えたなら、私たちの関係はこれまで続いていなかった。
 お互いが、本心を晒せば、そこで終わりだとわかっていた。

 終わらせなければならないと、わかっていた。

「楠木さんには、婚約までされていた方がいらっしゃいましたよね? あまり間を置かず、暁臣さんとのお付き合いが始まったと、お聞きしました」

 ドクリと心臓が跳ねる。
 まさか、そこまで調べられている訳じゃ――

「それが、婚約者の方を忘れるためだったり、暁臣さんを利用するためだと言うなら、」

 ないか、と肩の力を抜く。

「わたし、負けません」

 ここまで自分の意思を口にしたのは初めてなのか、目元を赤くして、だけど強いまなざしで若さを示す彼女に、少し意地悪をしたくなった。
 柔らかく笑う。
 彼女には出来ないだろう、大人の余裕を見せつける。

「――彼からは、何の申し込みもされていないから。私が答えられることじゃないわ」

 私の言葉にきょとんと目を大きくしたあと、千鶴さんの頬に朱が走る。

「ごっ……ごめんなさい! わたし、知ったかぶりで……すみません、出しゃばった真似を……!」

 あれ、そういう風に取るか。
 千鶴さんの頭の中で、どう変換されたか謎だけど、どうやら私は『恋人にまだプロポーズされていない女』になったらしい。
 この謝り様は、

 プロポーズされていない→結婚するかなんて答えられない→なのに問い詰める→あげくに告白宣戦布告しちゃった!→なんて失礼なことを!!

 ……ってとこかしら。

 いや、間違いじゃないけどね。そもそも、プロポーズされるような関係でもないからなぁ。
 テーブルにぶつけそうな勢いでペコペコ頭を下げる千鶴さんを見ていたら、自嘲の笑みがこぼれた。

「千鶴さん。あなたの伯母様がどう思われていても、最終的に決めるのは彼だから。私に謝る必要はないのよ?」

 涙目のお嬢様はふるりと頭を振る。

「……いえ。それを言うなら、暁臣さんと楠木さんのことに、わたしが口出しする権利もないんです。ただ……」

 彼を想うあまり、出過ぎた行為を取ってしまった、と。
 そりゃそうだ。好きな相手の恋人(ということになっている女)が煮えきらない態度だと、その想いが真剣なだけ、どうしてって気にもなるだろう。
 暁臣くんめ。私が言うことじゃないけど罪作りな。

「本当に申し訳ありません……行動する前に、よく考えろっていつも言われてるのに」

 しゅん、と肩を落として反省する彼女を、やっぱり邪険にすることはできなかった。
 私にはない、その純粋さが、うらやましい。
 つい、俯く黒髪を撫でてしまった。
 撫でられた千鶴さんは、ぱちぱち瞬きをしたあと、可愛らしく苦笑する。

「……暁臣さんが選ばれた方が、楠木さんのような女性で良かった。子どもみたいなわたしじゃ、無理なんだなって納得ですもの」

 いやいや、そんなことはないと思うわよ?
 疲れたところにその癒し系の笑顔でおかえりなさいとか言っちゃったら、メロメロかもよ?
 ただ、純粋無垢っぽい千鶴さんが、あのヘンタイについていけないかもしれない。奴、ヘンタイだし。

 突然お邪魔したのはわたしですから、ここに誘ったのは私だし、と、お勘定をどちらが払うか争ったあと(結局ワリカン)、千鶴さんは何度も失礼しましたと頭を下げて、外で待っていた車に乗り込む。ウインドウの向こうでもう一度会釈した彼女に手を振り、静かなエンジン音を立てて、車が大通りへ消えていくのを見守って――ため息を吐いた。
 虚脱感。千鶴さんのせいにしたくないけど、もう買い物に行く気力が削がれてしまってた。
 どうしよう、かな。

(――あの、出しゃばりついでに、ひとつだけ。今日、楠木さんにお会いしようと思ったのは、年明けにもまだ紹介がないようなら、わたしと暁臣さんとの縁談を、伯母が進めようと考えているからなんです。わたしはもう暁臣さんと、とは考えていませんが、その……伯母は強引なので……もしかしたら、お二人を困らせることになるかもしれません。その前に――)

 その前に、二人のことをハッキリさせたほうがいい。
 耳に残る彼女の最後の忠告に、私は陰った空を仰ぐ。 考えなければいけない時が、来ているのかもしれない。
 この歪んだ関係を、終わらせなければいけない時が。
 彼が戻ってきたら。
 一度、話し合うべきかも――……

 そうやって、私がまた逃げ道を模索している間に。
 事態は思わぬ方向から、動くことになる。




 休み明けの校内は、落ち着かないざわめきに満ちていた。
 そこかしこで、内緒話をしている様子の生徒たちに、何だろうと首を傾げながら英科準備室まで向かうと。

「茅乃ちゃんっ」
「タイヘン茅乃ちゃんっ」

 演劇部員の子たちが何故か固まって、私が来るのを待っていた。
 こちらを認めて、駆け寄ってくる。

「何事? なんだか校内がざわついてるけど、何かあったの?」
「もう茅乃ちゃんノンキだよ!」
「茅乃ちゃん知ってたの?」
「もしかして藤岡センセと別れたの、コレが原因だったの?」

 ――心臓が停まるかと思った。
「え、なに、」とうろたえ戸惑う私に、突きつけられる、言葉。

「藤岡先生が、うちの女生徒とデキテルって――」
「――二人が抱き合っているところ見たって、騒ぎになってるんだよ!」

 あの馬鹿――あと一年だったってのに――あれだけ注意しろって――頭の中に、とりとめない親友への叱責と、とうとう、このときが来たか、という諦めにも似た思いが回る。
 よりによって――理事長が居ないときに。
 彼がいれば、騒ぎになる前にどうにかしていただろうに。情報収集は怠らないひとだから。

 ふと、顔を上げたその先に、報道部長――香坂くんの姿。
 こちらを見つめる静かな瞳に不安を覚え、

 思わず、胸の内で彼の名を呼んだ。



(初出'10/11/30,修正'11/02/25)
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