チェリーの誘惑

【7】
 
 一限遅れで学校へ行くと、ひそひそと美桜子を見て何か噂しているらしき様子が目についた。
 ……いつもの彼女なら、昨日までの彼女なら、きっとその視線の理由が気になって、だが問うこともできず、人目を避けて怯えていただろう。
 でも、今の美桜子は平気だった。
 なんだろう? と不思議に思うだけ。
 教室でマナと、友人だと思っていた人々に会ったが、あからさまに無視されていることに気づいても、別に取り繕う必要も感じられず、話しかけたりもしなかった。
 今まで美桜子は、独りになりたくなくて、みんなに合わせて無理に笑っていた。
 そうやって、自分の心に嘘をついて、形ばかり独りじゃなくなっても、ちっとも楽しくなかった。
 一人じゃなかったけれど、独りだった。
 もう、やめようと思った。
 彼のお陰だ。
 皇人が美桜子をどう思って抱いたのか、本当のところはわからない。だが、向き合っていた時はちゃんと『美桜子』を見てくれていたから、あの思い出だけで強くいられる。

「桃井さん、ちょっといいかな」
 昼休み、売店で買ったサンドイッチを教室で一人頬張っていると、同じ講座を取っている女性二人が美桜子の側に来た。
 一人は遠慮がちに、もう一人は何処か不機嫌そうに。
 凛々しい佇まいの美人が藤堂、少し幼げな印象の美少女が松本という名前だったと記憶していた。
 顔は知っているけれど、彼女達とは話したこともなかったから、美桜子は首を傾げつつ、話の先を促す。
「あのね、陰でコソコソするのヤだから単刀直入に訊くけど、コレってホントのこと?」
 と、目の前に差し出された携帯電話。その画面に写った画像に美桜子はくぎづけになった。
 遠目に撮ったのか状況がよくなかったのか少し荒目の画像だったが、そこに写っている二人の人物の様子が、しっかりと判別できる。
 長い黒髪を背に流した女と、荒れた画像でも姿のよいことがわかる男。
 皇人に肩を抱かれてポウッとしている美桜子が、そこに写っていた。
 ――うわ、こんな間抜けな顔してたんだ……。
 美桜子の反省にはかまわず、彼女たちは厳しい声をどこかに向けるように続けた。
「昨日から無差別に学内の人達にこの画像送られてるの。桃井さんがこの美形なオジサンと援助交際してるって内容なんだけど」
「……エ?」
 えんじょ、こうさい?
 言葉が素直に入ってこなくて、美桜子は首を傾げる。
「その顔は違うんだね?」
 藤堂の年押しに、美桜子はブンブンと首を振ってコクコク頷く。
 ――だって皇人さんとは昨日会ったばかりだし、援助交際なんてしてないし! ……抱かれたけど。
 また思い出し赤面をしそうになった美桜子に気づくことなく、松本が声を荒らげた。
「じゃ、やっぱりイヤガラセのデマね。紗香こーゆの大ッキライ、大学生にもなってイジメとか頭ワッルイこと! 桃井ちゃん、誰の仕業か心当たりある? 紗香はあるよ!」
 何故か最高に憤った様子の松本が叫んで、まあまあ、と藤堂がなれたように彼女をなだめる。
「いけすかないあの桃井ちゃんの親友ヅラしたオンナでしょっ! 変だと思ったの、今 日ずっと桃井ちゃん一人だったし、いつもなら囲い込むように周りをお仲間で固めてる のにさ!」
 どうして松本がこんなに怒っているんだろう、と不思議に思いつつ、美桜子は皇人が写っ た画像をジッと見つめた。
「あの、ね、松本さん。この画像送って貰えるかなぁ……」
「……はぃ?」
 美桜子の空気を読まないお願いに、勢いを削がれた形になった松本がカクリと肩を落と す。
「皇人さん写ってるし……ちょっと見、ツーショットみたいかなって……」
 照れながら言うと、まじまじと二人から視線を返され、美桜子は恥ずかしくなってうつ向いてしま う。
 浮かれ過ぎただろうか。
 頬を染めた美桜子に顔を見合わせた藤堂と松本は、横と前の席に分かれて座った。手にしていた弁当の包みを広げつつ、 それで、と訊いてくる。
「そのキミヒトさんとやらは桃井ちゃんの何?」
「恋人なんでしょう?」
 藤堂が微笑んで言った言葉を、美桜子は慌てて否定した。
「あ、あの、わたしの片思いなのっ、恋人なんてとんでもないです、皇人さん大人だ し……」
 恥じらいに小さくなる美桜子の頭の上を、藤堂と松本の会話が行き交 う。
「……紗香ちゃん、手をワキワキさせない。抱きつこうとしない」
「だってしーちゃん! 可愛いものはメでなきゃ!」
「うん、愛でてもいいけどイキナリ抱きつくのはやめようね、桃井さんビックリするからね」
「ちぇ。桃井ちゃんがこんなカワユイひとだって知ってたらもっと早くにお近づきになってたのにさ」
 桃井ちゃん携帯出して〜、と促され、美桜子は(そういえばわたしはいつのまに彼女に桃井ちゃんなどと呼ばれていたのだろう)と思いつつ、画像を送信してもらう。
 ボケていても、皇人の写真を手に入れて嬉しくなった。
 今とても自分は緩んでいるかもしれないと、我に返って顔を上げると、ニマニマした笑みで二人が美桜子を見ていた。
「らぶいね〜」
「すごい嬉しそう。大好きなんだねえ、その人のこと」
「えっ、えと、そのう……」
 クスクスとつつかれ笑われたけれど、それはイヤな笑いじゃなく。ほほえましいものをみるまなざしだったから、つられて頬を緩めた。何故か松本に抱きつかれるおまけ付きだ。
 そのまま彼女達とお喋りをしながら昼休みを過ごし、なんだ、自分でいるって簡単なことなんだなと思う。
 マナ達が、面白くなさそうにこちらを見ていたけれど、気にしなかった。
 もう、気にならなかった。



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