チェリーの誘惑

【8】
 
 最後の授業を半分眠りながらやっと終えて、今日は早く帰ろうと美桜子は電車の時間を調べるために、携帯を手にした。
 すると、何だか気に入られてしまったらしい松本からのメッセージを発見する。
【今すぐ正門に向かえ→→→→!!】
 そう一言。
 何だろうと疑問に思いながらも、正門へと足を向けた時、ちょっと、と険のある声が美桜子の足を止めた。
 マナだった。
「あんたどういうつもり? 人のこと無視して」
 頭ごなしに言われて、昨日までなら多分、悪いと思ってなくてもごめんなさいと謝っていただろう。
 だが美桜子は、睨み付けるマナの顔を、怯むことなく真っ直ぐ見つめた。
「……無視してたのはマナちゃんでしょう? わたしは普通にしていただけだもの」
 いつもと違う反応の美桜子に、マナは鼻白む。
「昨夜だって、あのオヤジと何処に消えたの? 先輩にはキスしかさせなかったくせに、金持ってそうなヤツなら足開くわけ」
 下世話な言い方に眉をひそめる。
 そういえば、あんなふうにマナと先輩がホテルにいたということは、二人は付き合ってるのだろうか。
 マナは先輩が好きだったから、美桜子を嫌いになったのだろうか。
 今となってはもう手遅れで、どうでもいいことだけれど。
 美桜子が大事にしたいものは、変わってしまったから。
「……皇人さんのこと、そんなふうに言わないで?」
「はぁ?」
 馬鹿にしたような笑いに、虚しい気持ちが美桜子に押し寄せる。
 何を言っても、彼女は真面目に聞いてくれないのだとわかったから。
「マナちゃんは、何がしたいの? 美桜子を傷付けたいだけ?」
 マナとはこれが最後になるかもしれない、そのつもりで、美桜子は今まで言いたくても言えなかったことを口にする。
「……、マナちゃんとわたしは、友達じゃなかったよね。もうずいぶん前から。少なくともわたしは、素直にマナちゃんを友達だと思えなくなってた」
「何言ってんの? おかしいんじゃない?」
「……そうやって、人の言ってることわからないふりされるたびに、わたしが悪いのかなって思ってた。でも、違うよね、」
 わたしの言うこと、理解するつもりも聞くつもりもなかったんだよね……。
 ポツリと確認でもない事実を告げる。
「じゃあ何、あたしが悪いって言いたいの? あたしを悪者にしたいんだ? そういうことよね!?」
 激昂するマナに、そうじゃない、と呟いた。
 どうしてこうなってしまったのだろう。確かにマナは、美桜子の、何よりも大切な友人だったのに。
 わかってもらえないのが悲しくて。
 どうしても、マナには美桜子の言いたいことが届かない。
 もう駄目なんだなと思うと、これまで一緒にいた日々が、ただ悲しかった。
 唇を噛んで俯いた美桜子の頤を、背後から伸ばされた手がつかんで、上を向かせる。
「またヘコんでるのかい、美桜子?」
 見張った視界に映る、銀灰色の微笑み。美桜子はぽかんと口を開けた。
「きみ、ひとさ……?」
「迎えに来たよ。授業、もう終わったんだろう?」
 今朝、二度と会えないかもしれない思いで別れた皇人がそこにいた。
 どうして、夢じゃないかとまばたきを繰り返す。
「っきゃあ!?」
 キャンパス内にいる皇人の存在が信じ難く、美桜子が呆然としていると、有無を言わさず抱き上げられ、荷物のように肩に担がれた。
 周りにいた人達が驚いてこちらに注目する。
 だが皇人は全く気にもせず、歩いていこうとする。
「き、皇人さんっ」
「正門で待っていてもなかなか来そうになかったからね。すぐ見つかって良かった」
 美桜子の混乱などないかのように、いたって普通に会話をする彼が、ふと、「そうだった」と呟く。
「……私に黙っていなくなった言い訳、ちゃんとして貰うよ……?」
 ぱくぱくと二の句が継げず美桜子は唇を開閉する。
 怒っている。もしかしなくとも怒っている……!
 低い声でささやかれた宣言に、美桜子は凍りついた。
 担がれたまま拐われていこうとする彼女に、呆気にとられていたマナが我に返って、叫んだ。
「……ちょっと、貴方何よ! その子何処に連れて行くつもり!」
 皇人はたった今マナに気付いた、という素振りでチラリと目を向けると、イヤミなくらい綺麗に笑んだ。
「ああ、昨夜はどうも、うちのホテルをご利用ありがとう、お嬢さん。できれば次は、もう少し品の良いことに使って頂けるかな?」
(うちのホテルとはなんだろう)と眉を寄せた美桜子を抱え、皇人はもう用はないとばかりにマナに背を向けて再び歩きだした。
 最後に美桜子の目に映ったのは、一人ぼっちで立ち尽くす、どうしてだか迷子の子どもみたいなマナの姿だった。
 ……ばいばい、マナちゃん。
 わたし、違う幸せの居場所を見付けてしまった――。

 門までの短い道のり、たくさんの人の目に晒され、美桜子は朝とは違ってそれが気になって仕方がなかった。
 だって荷物のように担がれたままなのだ。
 こちらを見て笑っている人もいるし、面白そうに写真を撮っている面々もいる。
「き、皇人さん、もう下ろしてくださ……」
「美桜子には前科があるって忘れていないかい? 手を離したとたん、逃げられるのは嫌だよ」
 もっともな言い分に、美桜子は言葉に詰まる。
 だって、でも、美桜子はもっとしっかりしてから、皇人に逢いたかったのだ。
 さよならして六時間しか経ってない。
 引き際の情けなさにへこんだ美桜子に、皇人の呆れた溜め息が落とされる。
「まったく……、私が君の学生証を見ていたからいいようなものの……。シンデレラ、硝子の靴くらい置いてゆくのが礼儀だろう」
「……だって、もっと大人になってから、皇人さんにふさわしい女性になってからじゃないと、会えないと思ったんです……」
 子どものままの自分では、きっと昨夜のように迷惑をかけてしまう。
 一緒にいることに、引け目を感じてしまう自分の姿が、ありありと想像できた。
 そんな美桜子の逃げ腰な考えを、皇人はあっさりと一蹴する。
「美桜子が大人になるまでなんて待ってられないよ。おじいちゃんになってしまう」
 皇人が、おじいちゃん……きっとカッコイイ。
「何か関係ないこと考えてないかい」
「ななな何でもないです!」
 見透かされてぷるぷる震える美桜子を叱るように睨んだ皇人は、向き合う体で彼女を抱きしめ直した。
「皇人さん……?」
「……それとも、こんなおじさんに抱かれて、後悔してる?」
 美桜子がはっと見上げると、皇人は自身に似合わぬ気弱な微笑みを浮かべていた。
 必死で頭を振る。
 そんなことは、絶対にない。
「ないです……! それは、絶対に、ないもの!」
 みんなが見ているとか、ここが何処とか関係なかった。
「皇人さんが好き……」
 背中に手を回して抱きつく。
 ごめんなさい、まだ自信がなかった。
 きっと立派なひとである、貴方の側に、そのままの美桜子がいていい自信が。
 だが、皇人があんな顔をするくらいなら、そんな弱気な気持ちなど何処かへやってしまおう。
 だって、やっぱり側にいたいのだ。
 いつかじゃなく今。
 皇人の側に。
「言ったね」
 ……ん? と怪訝に思った美桜子がゆっくり顔を上げると、してやったりな笑みの皇人が彼女を見ていた。
 もしや嵌められたのか――愕然とする美桜子が苦情を申し立てる前に「それじゃ、遠慮なく」と今度はお姫様だっこで再び抱き上げられる。周囲から悲鳴が届く。
 驚いて目を白黒させる美桜子に、皇人がささやく。

 ――大人になるなら私の側でにしなさい。

 軽い束縛を感じる発言は、痺れるように甘くて。
 魔法が解けないことを願って、目を閉じた――。



 fin

←previndexnext→

[しおりを挟む]
PC TOPmobile TOP
Copyright(c) 2007-2019 Mitsukisiki all rights reserved.

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -