Melty Lover | ナノ

T. How came it to be so?

 03. 彼女の狼狽

 ――何かの間違いに違いない。
 そうであってくれと、晶子は切実に願っていた。
 出掛けるための身支度は、行きたくないという気持ちを表すかのように時間がかかり、プルプル震える手でうまくまとまらない髪を結んでいたところを、母が急かしにやって来た。
「晶子なにぐずぐずしてるの! ほらお待たせしちゃダメでしょっ」
 嫌だ。と言えるような性格をしていれば、晶子は現在の晶子ではなかった。
 もう、アンタはのんびりなんだから、という母のボヤキに背中を叩かれるようにして、玄関から一歩踏み出した晶子が見たものは、今日も隙なく出来た男が、にっこり微笑んで家の前に佇んでいる姿。
「おはよう、晶子さん」
 その美声にぶるりと身を震わせる。
 有り得ない、有り得ないのだ! こんなわかりやすいイイ男が自分を選ぶなどということは!
 絶対、間違いに決まっている……!


 驚愕の見合いから数日。
 晶子が思考を停止している間に、宇都木はテキパキと全てを進め、ハッと気づいたときには話がまとまっていた。
 そう、どういうわけか、彼と晶子は半年後に結婚することになったらしい。
 もとより、見合いというのは結婚を前提にしたものだ。
 相手が気に入れば、そうなることは当然で――だが、あくまでも間に合わせで身代わりだった晶子にとって当然のことではなかった。
 だいたい、自分のどこを見て宇都木が結婚を考えたのかすらわからない。一時間ほど話しただけで、それも、記憶に残らないくらいの曖昧な内容。
 これが姉が相手だったのならわかる。
 自分の魅力をわかっていて、それを有効活用している頭もよく人の機微にも聡い姉なら、結婚相手にも相応しいだろう。
 ぼんやりしているうちに話が進み、理解が追い付いた頃には既に別の話に移っていて、会話に取り残されるようなトロい晶子では、こんなエリート然とした人のお相手は務まらない。
 どうにかして、なかったことにしなければ。
 そう思い続けて数日。本日は初めて彼と二人きりのお出掛け――いわゆるデートになる。
 最初は呆然としていた両親も、彼の巧みな話術に丸め込まれ、平凡な二女に降ってわいた良縁に今では諸手を上げて賛成している。
「ちょっと早いかもしれないけれど、晶子は家庭的なことが好きだから、結婚しても大丈夫でしょう」と都合よく解釈し、晶子を嫁に出す気満々だ。
「やったじゃん晶ちゃん」と妹はこちらの困惑をわかっているくせにニヤニヤ笑い。
 元凶の姉は未だ戻らず、一度だけ国際電話で「今パリー。あと一週間したら帰るから、お土産楽しみにねー!」と晶子を身代わりにした見合いのことなど一切気にした様子のない連絡があったのみ。
 見合いを取り持った父の上司夫婦は、「まあまあ、思っていたのとは違ったけれど、却って良かったかもしれないわねぇ」とカップル成立記録が伸びてホクホク顔だった。
 どういうこと、と晶子は頭を抱える。
 おかしいと思わないのだろうか。そもそも見合いなどせずとも、恋人には不自由しないだろう男が、周囲に埋没している娘を選ぶなんて有り得ない。しかも、鈍い晶子にわかるくらい結婚に積極的ときた。
 不器量とまではいかないが、十人並みだと自分のことを理解している晶子は、「カッコイイ彼が目立たない私にベタ惚れシンデレラストーリー」なんてフィクションが現実にそうそう転がっていないこともわかっている。
 きっと何か理由があるはずだ。あってほしい。そして早く冗談でしたと言って解放してほしい……!
 やたら乗り心地のよい車の助手席で、身を強張らせている晶子とは裏腹に、宇都木はなんの気負いも感じさせずハンドルを握っている。そわそわと落ち着かない彼女を見て、軽く微笑む。
「私服も可愛いね」
「い、いえっ(お下がりと安物ですから!)」
「髪、巻いてるの? ストレートも清楚で良かったけれど、そういうのも似合うよ」
「そんな……(寝癖が直らなくて誤魔化しただけです!)」
「車酔いしてない? 平気?」
「はぃ(どちらかというとアナタに平気じゃないです!)」
 隣から聞こえてくる心臓に悪い甘い声に、上ずった返事を返しながら晶子は必死に探す。
 断りを口にするきっかけを。
 が、しかし。
「着いたよ」
 気のせいか愉しげな宇都木の声音に顔を上げた。
 晶子がぐるぐると考え事をしていた間に、本日の目的地に到着したらしい。
 そういえば何処に行くとも聞いていなかった、と車を降り――洗練された店構えに輝く『ジュエリー』の文字に、晶子は再び思考停止に陥った。
「満足行くものを選ぼうね。僕の給料三ヶ月分は結構あるから、遠慮しなくていいよ」
 慣れた仕草で彼女の肩を抱き、にこりと笑う婚約者。晶子は戦慄く。
 どうしてこうなった……!


 晶子が普段身に付けるアクセサリーといえば、せいぜいが腕時計。
 髪が長いためピアスもしていないし(引っ掛かるのが怖い)、指輪もしない(なくすし、洗い物に邪魔)。ネックレスはシンプル可愛いを重視した、千円台の廉価物。
 もちろん興味がないわけではないが、必要かといわれるとそうでもなく――というわけで、彼女は至って飾り気のない娘になってしまっていた。
 なのに。
「これはどう?」
「キ、キレイデスネ」
 燦然と輝くダイヤモンドリングを、宇都木が示し晶子が棒読みで答える。この店に入ってから一時間、そんなやり取りを交わしている。
 ただでさえ光り物には縁がないというのに、エンゲージリングの良し悪しなどわかるわけがない。
 というか、こんなものを受け取ってしまえば、もう取り消しは効かないのではないか? クーリングオフは? キャンセル代金は!
 第一、晶子に宇都木との結婚の意志はない。
 父の上司、とはいうが、幼い頃から家族付き合いをしてきたおじさんとおばさんへの義理と、姉のドタキャンという失礼を詫びる気持ちがあったから、強くは出れなかったけれど。
 このまま意味不明な結婚話が進んだあとで、断わるほうがもっと失礼ではないかと晶子は覚った。
 指輪など頂いてしまえばもう、結婚一直線。
「あ、あのですね宇都木さん!」
「晶子さんには華奢なタイプがいいかな。石も細かめの……ああ、これなんて似合いそうだ」
 晶子の言葉を見事に聞き流し、宇都木はひとつのリングを指し示す。
 心得顔のコーディネーターがケースからリングを取り出すと、彼は晶子の手を取り、流れるような手際の良さでそれを彼女の指に填めた。
「ひぅ」
 がっちり掴まれているわけでもないのに、何故か振り払えない。
 指先を握られたまま固まる晶子に構わず、宇都木はリングの填まった手を試し眺める。
「うん。どうかな、晶子さん?」
 満足げに微笑む人に、何を言えと。
 晶子は恐々、リングの填まった手に視線を落とした。
 僅かに捻った形の環に、細かなメレダイヤ、ピンクの石がランダムにちりばめられている。中央には、花のように囲まれたダイヤモンド。
 目が潰れる。晶子はそう思った。
 素敵、なんて、万が一にもときめいてはいけないのだ……!
「こちら、横から御覧になりますと、爪がこのようになっているんですよ」
 指輪の誘惑に負けまいと、ぷるぷる耐えている晶子を押すためか、コーディネーターが同じリングを布張りのカルトンに置き、横からのフォルムがわかるように傾けた。
 環から繋がる捻りの入った爪は、花の(がく)に模されている。上から見たときはわからなかったが、更に小さな石が土台に二つ填め込まれていた。
 しかも、プラチナだと思っていた環は、線を描くようにピンクゴールドとの二重になっている。
 わかるかどうかという遊び心の入った細工に、晶子はつい魅せられてしまった。
 マンガちっくに表現すれば、そのときの彼女の瞳はハートに煌めいていただろう。
「かわぃい……」
 思わず呟いた言葉をもちろん宇都木は聞き逃さない。
「気に入った? じゃあ、やっぱりこれかな」
 違う! 違わないけど違う!!
 商談はほぼ決定だろうと、今までの営業スマイルから更にグレードアップした笑顔で、コーディネーターはエンゲージと揃いのマリッジリングを出してくる。
「あ、あの」
「晶子さん、どうかな?」
 男性用のリングはカーブの端が鋭角的になっており、結婚指輪といえばつるりとした装飾のない物だと思い込んでいた晶子の常識を覆す。
 何より、やわらかいのだか鋭いのだかよくわからない宇都木に、それはよく似合っていた。まるで誂えたようなデザインだ。
「お似合いです」
 ここでもまた、晶子はウッカリ肯定してしまう。
 ハッと口を押さえた時にはもう遅く。
「新婦様のエンゲージリングは、結婚後も仕舞いこまずに是非マリッジと重ね付けなどしてお楽しみ頂けたらと思うんですよ!」
 お買い上げありがとうございますと顔に書いたコーディネーター、結婚を控えたカップルに向けるあたたかいまなざしの店員たち。
 その期待を裏切れるならば、晶子は晶子ではなかった――――




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