「すうちゃん、南条くんの実家に拉致監禁されかけたっちゅうじゃないの。そっちはもう大丈夫なの?」
先日の事件を耳にしていた千葉は、受付業務の邪魔にならないように脇へ寄り、表面上は笑顔を保ちながら、ひそひそと友人たちに訊ねる。
マメに飲み会をしていた以前とは違い、最近はそれぞれがある程度の責任ある立場にいるため忙しく、なかなか情報交換ができなかったのだ。
千葉の言葉に、和音の夫である田上が笑みをひきつらせた。
「あー、まぁ……すうちゃんはケロッとしてたから、大丈夫なんだろうけど……南条がなぁ……」
「私たちもいい加減、彼の呼び方改めないと、八つ当たりされそうよね」
「会社では役で誤魔化せるけど、プライベートの場に出ると南条って言っちゃうよな」
うんうんと頷くのは結婚してないが同姓カップルの三浦二人だ。
隠していても長い付き合いだ。新郎と実家に確執があることは、細かいことはわからないながらもみんな察していた。
伯母夫婦の籍に入り、今は来生と名を変えた彼が、実家と絶縁に近い形を取っていることは最近になって知ったのだが。
同期仲間の間では、どちらかというと政治家の息子というよりも、自分たちの勤めている会社の跡取りという面が強かったので。
彼の実家の家業ゆえに、いろいろあったのだろう。来生になってから、彼が何度も名前の訂正を求めている様子を目にしていた。
「例えるなら夏によく出る黒いアレ」のように、彼は実家のことを思っているのだと言っていたのは、当の新婦だった。
叩き潰したいのか駆除したいのか絶滅したいのかはわからないが、とりあえず嫌っていることだけはよくわかった。
なのに、溺愛している嫁がその実家に連れ去られたなど、想像するだけでも恐ろしい。
拐われてケロッとしている嫁も恐ろしいが。
「なんつうか、こう、揉め事に愛されちゃってるよね、あの二人」
「やめて。今日は朝倉様もいらしてるのよ……例のお嬢様付きで」
千葉のヘラヘラ笑いが固まった。
数ヵ月前、社内で繰り広げられたぷちストーカーお嬢様の騒ぎはまだ記憶に新しい。
「え、突撃お嬢? なんで? 朝倉様はわかるけど何故にお嬢」
「式にも出てたよ。感激しまくって鈴ちゃんに抱きついてた」
「何故すうちゃん……」
たしかお嬢様は新郎に傍惚(おかぼ)れしていたはずではないのか。
「なんか仲良くなったらしい。南条がぼやいてた」
「木内って、癖のある相手に好かれるよな……」
筆頭が新郎その人だが、誰もそれは口にしなかった。
ていうかさ、と綺麗にセットした髪を掻きながら、千葉がぼやいた。
「あの二人がそれぞれトラブルに好かれてるから、倍々になって余計に揉め事が大きく……」
無言になる一同だった。
微妙な沈黙に満ちた受付へ、コツリとヒールを鳴らして数人の女性がやって来る。
「ごきげんよう。本日は誠におめでとうございます」
「はい! ありがとうございます、……」
思わず漏らしそうになった驚きを飲み込んで、受付側の彼らは貼り付けた笑顔を固まらせ、分厚い祝儀袋を受け取りつつ、サラサラと書かれていく名前を恐々と見つめた。
タイプ様々ながらも美しい女性ばかりのその一行は、先ほど千葉がしていたように、ウェルカムボード周辺の飾りを微笑ましげに眺めて、笑いさざめきながら披露宴会場に入っていく。
美女たちの背中を茫然自失に見送っていた和音がポツリと呟く。
「……ねえ、あれって」
「南条の」
「昔の」
「彼女たち……」 文字まで麗しく整った記名を半目で見下ろし、千葉がトドメの一言を放った。
「平穏無事、無理でしょー」