*おにはうち
 

「今年の方角はどちらだったかな」
 とんとん、と丸めた巻き簀で肩を叩きながら、レシピブック片手に近江が呟く。
 さっきまで器用にも節分の太巻きを作っていたのだ、この男は。
 あたしが答えるのを待たずに、「東北東か、」と一人で納得。
 ついで、思い出したようにそうそう、と呟き笑顔になる。
「魚屋の奥さんが、鰯を三匹オマケしてくれたんだ。いつも思うんだが、あそこはアレで商売が成り立っているんだろうか」
 奥さんが大サービスするのはアンタだけにだから、要らない心配よ。
 せいぜいうちの家計の足しに、その無駄な美貌で愛想振り撒いてちょうだい。
「今日の分に一匹づつ焼いて、あとはツミレにでもするか」
 あたしと暮らすうち家事万能になってしまった男は、最近購入した高性能なフードプロセッサーが大のお気に入りだ。
 そんなの別にいらないでしょ、と購入に難色を示したあたしを床に正座させ、そのフードプロセッサー様がどんなに有能かつ食いしん坊(あたしのことらしい)のためにどんな働きを見せてくれるのか、具体例を出しこんこんと諭すくらいだ。
 深夜の通販番組を一度利用してみたかっただけのくせに。
 あたしのジト目に何を思ったか、胸を張って続ける。
「ちゃんと豆も用意したぞ? 明日香はいくつ必要だった、29か、30か?」
 あたしの歳を勝手に増やすな。
 更に眉間にシワが入る。
 28だっつーのこのハゲ。
「失礼な、ハゲてなどおらん。この豊かな髪が見えぬか」
 あ〜ハイハイ、
 流石のキューティクルですね、艶々で紺色が美しゅうございますわ。
 コイツでなければ許されないであろう、あり得ない長さの三つ編みを振りかざす男にあたしはいい加減な返事を返す。
 心のこもっていない相槌にムッと近江の眉が寄るが、そんなの知ったこっちゃない。
 だってあたしはもう三日も髪を洗っていないのだ。
 イライラする、カユカユする、お風呂に入りたいよ〜〜〜!
「まだ駄目だ。熱が下がって少し具合がよくなったからと、調子に乗ればどうなるかは目に見えておる。明日香は愚かだからな」
 コロス……!
 起き上がれるようになったら、真っ先にアンタを退治してやるんだから!
 臥せった布団の中から睨み付けていると、近江はこちらに身を寄せ、世の奥様方がうっとりするような微笑みを浮かべてあたしの額に掛かった髪を優しげにすいた。
 そして労るような声音で嘲りやがったのだ。
「邪気払いを行う前に、邪気を取り込んでおいて威勢のよいことだな。豆を撒いても既に手遅れとは」
 ニヤリと笑う顔が憎たらしい。
 アンタがあたしに寄生してる時点で手遅れも手遅れなのよ。
 言い返したいのだが、いかんせん風邪で枯れた喉はいうことを聞いてくれず、さっきまでと同じようにただ睨み付けるだけで終わってしまう。
 まあ言葉にしなくても近江はあたしの思考なんて簡単に読めるから、いいけど。
「……そういう瞳をするとどういう目に遭うか、たった4日で忘れたのか、明日香?」
 こちらもずっとお預けをされて餓えているんだからな、と耳元をかすめる囁き。
 や、やば……スイッチ入りやがった……!
 病人!
 あたし病人ーーー!!
 しかし一度オニチクショウスイッチが入ってしまった近江を、普段のあたしでも止められないのに病床では言わずもがな。
 どのくらい快復しているか確かめてやろう、と妖しく笑う男に唇を塞がれた。

 熱と汗でベタベタする肌を、近江の指先がなぶる。
 戯れに弱いところに触れられて、呻くあたしをやっぱり愉しげに見つめて。
 この鬼!
 鬼畜野郎!
「鬼に鬼と罵ってもそれは悪口にはならんぞ」
 じゃ、じゃあ、この聖人っ!
「……阿呆かお前は」
 あたしの胸元を悪戯していた近江が呆れきった表情になり、顔を上げた。
 ううう、自分でもそう思ったわよ、いまいち罵りにキレがないのは熱のせいなんだもん!
 もう熱のせいなのか近江の悪戯のせいなのかスベった発言のせいなのか自分でも分からない理由で瞳を潤ませるあたしに、滅多に見せないやわらかい笑みを浮かべた近江がくちづけてくる。
 意地悪じゃない、愛しさのこもったキス。
 風邪がうつる、なんて心配はしない。

 だって近江は、―――鬼だもん。
(比喩じゃなく)


 長い長い紺色の髪から覗く、乳白色の二本の角。
 ギラリと金色に光る鬼族の瞳に見つめられ、畏れより体の奥が熱くなるような想いを抱くようになったのはいつだっただろう。
 争い、狩る関係だったあたしたちの関係が変わったのは―――、

 きっと最初から。

 名残惜しげに唇が離れて、溶けきった表情で息を荒げているあたしを満足そうに見下ろして、近江は言う。
「抵抗出来んお前を抱いてもつまらんし、続きは全快してからたっぷりしてやる」
 いやいや。それは余計なお気遣いってものよ。
 てゆーか抵抗するのが良いのか。
 鬼の上ヘンタ……
 まだ餓えの余韻を残す目がこちらに触れて、あたしは慌てて逸らした。
 おにでへんたいでえろえろだなんてなんにもかんがえてませんよ。
 もう一度こちらに手を伸ばしかけた近江は、キッチンから漂う香ばしい匂いにハッとする。
 いかん鰯が焦げる、なんて鬼のくせに所帯じみたことを呟き台所へ戻る男の背に、あたしは架空の豆を投げるふりをした。

 おにはそと。
 おにはうち。

 近江と共にいる限り、あたしに追儺は必要ない。
 もう随分になる、鬼の青年との暮らしは、今年も、そしてきっと来年も、こんなふうに過ぎていくのだ―――。


 終.
初出:2009/02/03;拍手お例文

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