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家に帰ると、風多が夕飯を作って待っていた。ふんわりと味噌の匂いが漂ってきて、鼻を心地よくくすぐる。

「おかえり、1日お疲れ様」

「ああ、ありがとう」

肩から提げていた鞄を椅子へ置くと、すぐそこの洗面所で手を洗う。手をすすいでいるとご飯が炊けるメロディが聞こえた。

「月光、今日はどうだった」

鯖を皿によそりながら風多はちらりと俺の方を見やった。血にまみれた己の指先を思い出して一瞬返答が遅れた。

「特に、……いつも通りだ」

「そっか」

定位置の椅子に座ると、湯気をまとったお皿が置かれる。味噌に埋もれた大ぶりの鯖が寝転んでいた。

「俺は今日はえらいもの見たぜ」

白米とわかめの味噌汁が同様に脇に置かれる。2人分の食事が並ぶと、風多はエプロンをとって真向かいに座った。

「えらいもの?」

手を合わせて、同じタイミングでメインディッシュを頬張る。味噌の塩気と甘味が丁度よい。

「ああ、あのさ……いつも行くショッピングモールがあるじゃん。あそこで通り魔みたいなのがあってさ」

「通り魔?」

「そ。警察がいっぱい来てて、次から次へと人を切ってったみたいだぜ。俺もそこに居合わせたんだけど鯖悪くなるといけねーからさっさと帰ってきた」

「無事で良かったな」

「全くだよ。……あ、そうだ、後で見るか?その時の動画、もうグロテスクだったぜ」

「動画?撮っていたのか?」

「いや、SNSに乗ってたのを保存しといた」

「そうか……」

白米を口いっぱいに詰め込んだその美味そうな顔で“グロテスク”なんて言えるこいつの神経を疑う。前から知ってはいたが、かなり図太い奴だ。ハムスターのようなその頬をもちもちと触ってやりたくなる。

「……そう言えば、俺も帰りに思いがけない場面に出くわした」

「お、どうした」

数秒固まった。あの血の温度と、吹っ飛んだ左手と、警笛と人間が潰れる音を思い出す。

「電車を待っていたら、目の前に並んでいた女性が特急列車に飛び込んで自殺をした」

風多の咀嚼が一旦止まる。が、すぐまたもぐもぐと鯖を頬張った。

「……へー」

「文字通り血を浴びた。ホームには左手が吹っ飛んできたし、その場で発狂した人もいた。すぐそばで見ていたから、他の方と共に事情聴取も受けた」

味噌汁をすする。かつお出汁の味が染み出ていて美味い。

「……どうせお前の事だから羨ましいとでも思ってんだろ」

呆れたような、心配そうな、そんな鋭い視線を感じた。とっくの昔に飯を平らげた風多が、ご飯をよそりながらこちらを見ている。

「……よく、分かったな」

「分かるに決まってんだろ、お前と何年一緒にいると思ってんだ」

はあ、と露骨にため息をつかれた。僅かに残った切り身と味噌をご飯の上へ乗せて、彼は美味そうに頬張っている。
俺は、自分の箸が止まっている事に今気づいた。そこまで心を奪われていたらしい。恋煩いとはまた違うが、説明するとそれと似たような現象だ。

「ああ、羨ましくてな……その女性が。あんなにスッと死んでいけるのがただただ羨ましい。覚悟を決められた事も羨ましい」

箸を握りしめた。どうせ死ぬなら、ぐしゃぐしゃに潰れた己の姿が理想だ。俺は俺が大嫌いだから、原型をとどめない状態で死んでほしい。

「で、お前も死ぬのか」

「……俺には無理だ。死ぬまでの痛みが、苦しみが……怖い」

「なら、生きろ」

「……ああ、分かってる」

握った拳が震えた。泣きそうになって、唇を噛み締める。
ああ、何て弱くて不甲斐ない人間なんだ。周りに恵まれているのに、つまずく事もそんなになかったのに、人生を苦しいと感じて死を望む自分が情けない。反面、死にたくても死ねない臆病な自分も情けない。情けない。情けない。

「でも、……生きるのが、辛い」

俺は、弱い。もっと他に辛い思いをしている人間が沢山いるというのに、この程度で折れそうになっている自分が大嫌いだ。頑張れていない自分が大嫌いだ。今すぐにでも殺してやりたいくらいに、嫌いだ。

「自分を傷付けて生きている自分が嫌になる」

飯粒を口の周りにつけた風多が、不満そうにこちらを見やる。おもむろに左腕を掴まれると、ぐいっと袖をまくられた。そこには、俺が俺を虐げた跡が無数についていた。見慣れた筈の跡だった。

「生きるためなら、お前がした事は許される」

真新しい傷。風多はかさぶたになりかけているその無数の紅い線に、そっと手のひらを被せた。

「月光、生きろ。自分を傷つけてもいいから生きろ。お前の苦しみを分からずにいる奴らは全部無視して生きろ。それでも辛いなら、死ね」

「…………」

「お前は強い。苦しみながらそれでも生きてるお前は強い」

「…………ぅ、くっ」

嗚咽が漏れる。そんな、そんな優しい言葉をかけないでくれ。こんなどうしようもない人間にかけていい言葉じゃない。

「月光、お前は頑張りすぎてんだ。お前は優しいから、色んなもののキャパ越えても気付かねーふりして頑張るのが普通になってんだよ」

視界がぼやける。ぼたぼたと暖かいものがテーブルの上に落ちていく。

「死にたいと泣き叫ぶのも、自殺者や死者に自分を重ねるのも、俺は悪く言わねー。そうしないとお前は生きていけないんだろ。不器用で優しいのが全部裏目に出てんだ」

頬に柔らかいものが触れた。彼の手のひらだった。両頬を挟まれて、顔を上げられる。

「やめてくれ……」

きっと今、猫のようなその瞳には俺の泣き顔が映っているだろう。目元を真っ赤にして、ぼろぼろ涙をこぼして、頼りなく眉毛を八の字にして、口ぎゅっと結んだだらしのない顔。
目を逸らして、伏せて、ふるふると手を払うべく頭を左右に振った。風多は無理に固定しようとはせず、やんわりと手を放してくれた。

「泣くって事は図星なんだろ。……お前は本当に抱え込みやすい奴だな」

「うるさい……」

「後でさっき言ってた動画共有してやるからそれ見て落ち着け、な」

「ありがとう……」

しゃくりあげながら息を整えて、パーカーの袖で涙を拭った。前髪も巻き込んで拭いたので目元も髪もボサボサになる。

「風多は……優しいな」

「なんだ、いきなり」

「俺が死にたいと言ったら、否定することなく、包丁を向けながらでも“死ねる勇気はあるのか”と問うてくれる」

「お前がどう足掻いたところで、どうせ死ねない事を知っているからな」

「……俺はきっと、風多が死にたいと言っても同じように対応する事はできない」

「そっちの方が人間味はある対応だと思うけどな」

よいしょと腰を持ち上げた彼は、食べ終わった皿を流しへ下げる。そうして今度は俺の隣に座って、俺の頭を撫で始めた。また、花が萎れるように項垂れた。俺の食事だけが一向に進まないのは当然だろうか。
しばらく撫でられていたが、ふと髪を優しく梳く手付きが止まった。

「……俺はお前が楽しそうにしてる姿が好きだ。だからこんな事はあんまり言いたくねーんだけどさ」

「……なんだ」

「あまりに辛くて苦しくて、もう生きてられなくなったなら、俺が自主的にお前を殺してやるよ」

「……なっ」

言葉が詰まった。こんな話を風多からされるのは初めてだった。いつも俺が死にたいとすがって、彼が慰めてくれるのがパターン化していたから思わず顔を跳ね上げた。

「その時は俺は、お前が苦しんだこの世を憎んで生きる。憎むために、恨むために生きる」

「何を……」

「お前を苦しめた世間を呪うようにして生きる。お前と、お前との思い出以外の全てを敵と認識してな」

「何もそこまで……」

「お前は優しいからそう思うのも当然だろうな」

風多の目付きが変わる。どこか悲愴で、強く生を感じさせる眼差しだ。

「俺も結局はお前を死ぬほど好きなんだよ」

ふっと表情が和らぐ。指と指を絡められて、その手の甲に優しく唇を乗せられた。

「風多……」

すさんだ俺の心に、たったその一言でヒビが入った。
俺の事を好いてくれている風多。それなら、俺は風多のために生きよう。俺も風多が大好きだから。

「お前に殺されるなら、俺は喜んで死ぬ」

風多に殺してもらえるならどんな手段でもいい。どんな強い痛みと苦しみを伴ってもいい。思わず薄くて小さい胸にすがりついた。暖かい、愛する人の温もりが感じられて、また涙が滲む。

「好きで好きで……だからお前を生かすも殺すも俺次第にしてしまいたい、勝手に死なせたりなんかしない」

一瞬彼がぼそりと何かを呟いたように思えた。

「何か、言ったか?」

「んーん、何も言ってない」

「そうか」

安心するその体温に顔を埋めた。同じ洗剤を使っているのに、不思議と甘い香りが漂ってきて気分が落ち着いてくる。子供のように甘える俺を、優しくなだめてくれる。



「……お前は俺が殺す、自殺なんてさせない」

聞き取れない程度にぼそりと呟くと、風多は変わらずに越知の頭を撫で続ける。包丁を隠し持ったその手で、優しく。


END




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