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レバーを捻り、お湯を出す。キュキュッと摩擦音がして蒸気を含むぬるま湯が体に振りかかった。水の分量が多いのか少し冷たい。そう感じ、越知は設定温度を少し上げた。
シャワーを浴びる音だけが響く浴室。窓を閉め切っているのでたちまちの内に湯気に包まれた。顔面にへばりつく前髪を頭のてっぺんへ撫で付ける。すぐそばに置いてあったシャンプーのボトルを掴み、その中身を少し掌に取った。そうして少し泡立てると、指を髪に絡めた。

越知の白い肌には、今日も生々しい傷痕が絶えない。
人の目につく場所……顔や手足の先端には痣や傷口はあまり見られないが、それでも衣服を脱がせれば、ありとあらゆる部分が変色したりかさぶたになったりしている。腰や脇腹、太もも、尻など、布で隠れる場所は重点的に痛めつけられていた。特に酷いのは背中だ。焼印を入れられたかと見まごう程の深い痕が見て取れる。一体どんな事をしたらこんな風になるのだろうか。公衆浴場などに行ってしまえば注目を集める事間違いなしだ。
しかしそれは決して、嫌っているからだとかストレス発散の為に受けた暴力ではない。2人にしか分からない、きちんとした意味がある。

髪についた泡を流しながら、越知は目を瞑った。

(……いつからだっただろうか。)

古い記憶が、段々と思い出される。せき止めていたダムから、水が少しずつ滲み出てくるように。


ああ、一体いつからだったか。2人が、こうして愛を確めるようになったのは。








最初は、どこにでもいる普通のカップルだった。
……いや、寧ろ普通よりもベタ甘だったかもしれない。

毛利が意を決した初夏のある日。2人は正式に交際をする事になった。元から互いに惹かれていた事もあり、告白を受けた越知はその場で答えを出した。宜しく頼む、と。その時の毛利の嬉しそうな顔を、今でも鮮明に覚えている。
早速、その日から彼らは行動を共にした。
朝起きると、メッセージアプリでおはようと挨拶を交わす。朝食をとり、家を出る時には行ってきますといったような文を送り、学校に居る間はやり取りをしないが、タ方家に帰ればただいまと打つ。その後はそれぞれの時間を過ごし、布団に入ってからは寝落ちるまでチャットなり電話なりする。
休日には、待ち合わせてデートをする。ご飯を食べたりウィンドウショッピングを楽しむのだ。人混みを歩く時は周りの目を気にして手を繋いだり腕を組んだりはしないが、誰も居ない場所では堂々といちゃつく。1ヶ月に1回は足を伸ばして映画館や水族館にも行った。
彼らは自分たちの行動を苦に感じた事はない。挨拶を打たなければと焦ったり、どこかに出かけねばと気を重くした事は一度もなかった。意見が合わずに衝突する日もあったが、翌日にはどちらからとは言わずに謝罪し、元の甘い2人に戻っていた。
楽しさと愛しさだけを重視してきた。ノーマルな形で愛し合い、その恋心を愛で、時には甘く体を重ね、傷付けぬように接して来た。


そんな生活を続けて半年程経った頃だろうか。

2人は大変な大喧嘩をした。
いつまでもゲームに夢中になっていた毛利に、越知がぶち切れた。
原因はとても単純な事だった。数日前からやけに毛利の態度が冷たかったのだ。
寝る前の電話ではそっけないし、一緒にランチを食べても上の空、ショッピングに行っても楽しそうでないし、挙句の果て呼びかけにも反応しない。たまに話しかけてきたかと思えば「忙しいからまた後で」だとか、「眠たいから今日はもう寝る」だとか、一方的に斜断する言葉ばかりだった。
一度堪えきれずに、越知は「冷めたなら少し距離をおこうか?」と言ってみたが、「冷めるなんて、そんなん杞憂っすよ?」と笑顔で返された。その時は屈託のない微笑みをされたので今まで黙っていたのだが……。
ついに我慢の限界を迎えてしまったのだ。
普段、何があっても温厚な越知がここまで激怒するのはとても珍しい。食後のデザートを食べられても、蕎麦打ちセットをなくされても、本を散らかしても怒らないあの越知が。……それほど心を傷付けられたのだ。

肌が針で貫かれるように空気が冷たい日だった。
毛利の家でくつろいでいた越知は、ふと立ち上がり台所へ向かう。少しかげりのある顔をして、棚を開けると、インスタント珈琲の粉末をつまんで静かに閉めた。
毛利はリビングでゲームをしていた。長方形の型をした携帯ゲーム機を握りしめ、足先をパタパタと動かしながらタイミングを見計らって敵に攻撃を仕掛ける。
越知は無言で毛利の隣に腰を降ろした。体中から怒りと悲しみがだだ漏れ状態だが、彼はそれにすら気付かず、慣れた手付きでボタンを操作する。

「……寿三郎。」

やけにか細い声が出た。喉に何か引っかかっているのかと勘違いするような、芯のない声色だった。

「……ん、何すか?」

主人公を動かしながら、薄っぺらい返事を返す毛利。丁度ボスと戦っているらしく、表情は真剣そのものだ。タイミングを合わせてガードしたり攻撃をしたりしている。
遠目からぼうっとゲーム画面を眺めていた越知は、テーブルの上のマグカップを取った。淹れたてだった為か、仄かに取っ手が熱い。縁に軽く口をつけ、温かな無糖の珈琲を啜る。別に猫舌という訳ではないが、意外に温度が高くて舌が痺れる感覚に襲われた。
今こうしている最中も、毛利はゲームに釘付けだ。徐々に敵の体力が減っているのか、比例するようにしてその顔も神妙さを増していく。
……越知の口から溜め息が出た。心の中でカッと燃えていた感情は、あっという間に消え去ってしまった。代わりに無というものが感情を侵食してくる。
自棄と言えば良いだろうか。平常ではなく、“どうでもいい”という言葉ばかりが浮かぶ。
湯気の立つカップをテーブルへ静かに置いた。焦げ茶の液体にさざ波が立ち、とぷんと揺れた。



「お前は本当に俺を愛しているのか?」



室内に、嫌に大きな声が響いた。



「……へ?」


ぴたりと、毛利の手の動きが止まる。まるで電源を切られたロボットのように、体が固まっていた。
こちらを向く赤茶の瞳には、自分の顔が映っている。見開かれてはいるが綺麗な目だった。その中にやっと自分が入ったかと思うと嬉しかったが、……もう遅い。

「俺と居てもつまらないのなら、別れるか。」

先程と打って変わって平淡に言葉を放った。震えたりなどしない、意思を突き付ける声。毛利はそれに圧されるように、びくりと体を震わせた。

「え、ちょ、月光さん……?」

慌てて名を呼ぶ彼はかなり焦っていた。動揺を隠しきれず、何度も瞬きをしていた。
手を止めたせいで、みるみる内に主人公の体が減っていく。

「俺よりゲームの方が好きなのだろう?だったらずっとゲームをしていれば良い。」

傍に置いていたスマートフォンを掴むな否や、越知はその場に立ち上がる。つられて毛利もソファーから尻を離した。

「はあ?!何言ってんすか!これはただ……」

「今になって言い訳か?見苦しいぞ。」

画面をスイスイと親指で操作すると、カチリと横のボタンを押してスリープ状態にした。ポケットに携帯端末を入れると、周りの荷物をまとめ始め、鞄に突っ込んで肩から提げた。そしてドアの取っ手に手をかけ捻る。

「今日はもう帰る。……邪魔をしたな。」

振り向き様に悲しそうな目を向けると、それきり無言で玄関まで足を進めた。

「……!月光さん!」

毛利は急いで追いかけたが、彼の背中は何の感情も見せてくれない。
結局、さっさと家を出ていく越知の後ろ姿を見ている事しか出来なかった。
















その夜、2人は初めてやり取りをせずに眠った。
気まずさにとらわれた毛利は、反省文を送ろうとチャットアプリを開いた。しかし送信ボタンを押す勇気が出ない。つらつらと書いた長めの文を何回も読み返すが、最後までボタンを押せず、折角書いたものを消してしまった。そして首をぶるぶると左右に振り、無理矢理目を閉じて眠った。
一方、越知は電話をする気もメッセージを送るつもりもなかった。自分から離れておいてまた寄って行くなど……というプライドの問題でもあったが、何より話をしたくなかったのだ。自分を放っておいて、ゲームや漫画に釘付けになっているあいつに謝まられたとしても、許したくない。本当に愛しているのかも確信できないあいつの言葉など、聞きたくない。……そう思うあたり、彼は少し意地っ張りなのかもしれないが、とにかく断固としてアプリに触ろうとしなかった。
翌朝も「おはよう」のやり取りはされなかった。いや、それどころか「行ってきます」も「ただいま」もなかったし、勿論その後も彼だけに説定した着信音が鳴る事はなかった。
その状況は、毛利にとって堪え難いものだったらしい。みるみる内にその顔から元気の色が消え、ため息ばかりを着くようになった。クラスメイト達にも心配されて、別れ話をされた事を喋ってしまいたい気もあった。だが、周りに“男の恋人がいる”という事を打ち合ける勇気はない。男の恋人ではなく彼女に置きかえてぶちまけてしまおうという自分も居たが、その案は却下。自分が愛しているのは越知月光という男なのだ。それを偽りたくはない。だから喋りたい衝動を押さえ込んで、胸の奥にしまった。そして、何もなかったように振る舞った。

そんなこんなで、2人がコミュニケーションを取らなくなって一週間が経った。
どちらも未だに喋ろうとはせず、恋人のいない時間というものを過ごしていた。今まで隣にいた男の存在を忘れ、一人の時間を大切に使っていた。チャットや電話に当てていた時間に読書をしたり、テレビを観たり、音楽を聴いたりと、かなり充実していた。
反面、ぽっかりと何かが抜けてしまった感じもあった。まだ完全に別れたという訳ではなかったが、急に恋仲が居なくなってしまえばどこか釈然としない日常になる。時折、猛烈な寂しさが襲ったが、そんな日はさっさと風呂に入って寝て誤魔化した。

そんな生活を続けていた時だ。
また、ある出来事が2人に降りかかった。







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