ばか2 | ナノ



顔を上げたシズちゃんを見て唖然とする。目が真っ赤になって兎みたいになっていた。そういえば男に犯されてもう上も下もわからなくなってゲロゲロになった時の俺はこんなんじゃないかなって今思いついたけど、反吐がでる。
「泣いてんの?」
シズちゃんは一言も発することなくまた膝の間に顔を埋めた。シズちゃんが何も言ってこないので俺も調子に乗ってシズちゃんの腹と太ももの間、蹲って丁度アルファベットのAの字みたいになってるところでいう、Aの上の三角の所に両足を突っ込んだ。だって足がね、すごくすごく冷たくて痛かったから。あとシズちゃんが俺を殺さないなら、俺は絶対死なないし、男が万が一ここまで追っかけてきても、シズちゃんがいたら怖くない。
鬼のような形相で追っかけてくる男を見ても『ノミ蟲相手なら仕方がない』とかなんとか言って腑抜けているようなシズちゃんなら、俺はここまでシズちゃん相手に手こずっていないし、いくらなんでもシズちゃんはそこまでバカじゃないと信じたい。
「ねえってば」
腹筋だけで起き上がって、シズちゃんの顔を覗き込んだ。耳を澄ませてみると微かな嗚咽が聞こえる。どうやらいつも俺の事を蟲呼ばわりするシズちゃんは今日は自分が虫らしい。
「おーい、なんなの? 今日は泣きむシズちゃんなの?」
対して面白くない冗談だったが、娯楽が無さ過ぎる生活の中で久しぶりに発した冗談だったため、なんだ妙に可笑しくて吹き出してしまった。あーこれは殴られるな、なんて思って身構えてみたが、シズちゃんはやっぱり動かない。
「シズちゃん?」
そっと頬に触れてみる。冷水を浴びたみたいにシズちゃんの身体が大きく震える。まあそりゃそうだ。今の俺の身体は氷みたいだもの。その氷みたいになってる手のせいでシズちゃんの頬が灼熱みたいに熱く感じた。
シズちゃんはそこでようやくのっそりと再び顔をあげた。相変わらず酷い顔をしていたが、それはもう、お互い様だと思う。俺も人の事言えたような顔をしていない。おまけに向こうはダッフルコートなんていう季節に見合った格好をしているのに、俺はシャツ一枚だ。莫迦じゃないの。
シズちゃんは泣きっ面に不機嫌そうな表情を乗せて、じっと俺を見た後、勢いよく左手を俺に振りかざした。避ける事も出来なかった、俺の肩にシズちゃんの痛烈なチョップが当てられる。
「……イ゛っッ!!!」
路地裏に俺の悲鳴が響いた。もう駄目だ。俺のHPはエンプティである。肩がじんじん痛くて、間接外れたんじゃないかと思う程嫌な音がした。目を見開いて、肩を押さえながら痛みでカヒュカヒュと空気を吸い込む。痛い。これはやばい。でもお蔭でケツの痛みはどかに行ってしまっていた。本当、尋常じゃないくらい痛いのだが、どうにもこうにも体が動かない。身体を折り曲げて悶える。痛い。凄く凄く。頭頂部にシズちゃんの暖かい感触があったが、どんなに暖かくてもシズちゃんはシズちゃんなんだと思った。
やっと肩の痛みがじんじんからずきずきに変わって、身体中の痛みを併発し出した頃、俺はやっと顔を上げる。痛みで眦から冷たいものが滴るが、これはシズちゃんのとは違って生理的なものだ。シズちゃんの涙の理由なんて知らないし、知りたくもないけど、多分想像はつく。シズちゃんって凄く単純だから、大方、また誰かを傷つけた〜とかで泣いてるんだろうと思う。
シズちゃんと目が合うと、情けないくらいシズちゃんは泣いていた。さっきの強烈パンチはどうしたの?と心配になってしまう程だ。シズちゃんは泣きながら俺に手を伸ばしてきた。因みに俺の足はいまだにシズちゃんの腹筋の間にあるから逃げられない。足先はだんだん温かく柔らかくなっていた。
シズちゃんのてのひらが俺の擦りむいた頬に触れる。不覚にもぎくり、と肩が震えた。怖いんじゃない。痛いんだ。俺が震えるとシズちゃんも震える。俺の髪の毛はいまだビショビショだからシズちゃんのあったかい手が濡れる。
「何で泣いてんの?」
シズちゃんの涙の理由なんて知りたくも無かった筈なのにおれは何故か聞いていた。シズちゃんの手に自分の氷のような手を添える。冷えすぎたせいで熱いくらいの体温を感じた。
「こっちはテメーのせいで頬っぺた擦りむいてんだよ。聞く権利くらいあんだろ化けもん」
泣いているシズちゃんを見ていたら、何故だか苛立ちを感じて粗忽な物言いで言い放った。
シズちゃんは一瞬だけ驚いたように目を見開いた後、言いにくそうに俯いてモゴモゴと何か口籠っている。足が動かせなくて、その場から立ち去る事も出来ない俺は、正直変な所に足を突っ込んだな、と両方の意味で納得して溜息を吐いた。
「なんかあったの? 聞きたくないけど聞いてやるよ。仕方ないから」
仕方がないのでできるだけ子供にするように優しく、やさーしく問いかけてやる。でもそんな俺の素敵な気遣いなんて判るはずもないシズちゃんは相変わらずぐずぐず泣いていた。子供みたいに。
「大方、また誰か殴ったんだろう?君の事だからすぐわかるよ。そんだけ泣いてるってことは誰か大事な人?彼女は無いよね。君童貞だもんね。家族とかかな。お母さん?お父さん?違うってことは幽君かな」
これじゃとても埒があかないので、とりあえず俺がした現時点までのシズちゃんが辿った経緯の推測をつらつらと述べた。すると『家族』と俺が発した瞬間にシズちゃんの肩がピクリと反応する。
もう一度顔を上げたシズちゃんは、俺の顔を見るなりひくっとしゃくりあげて、それから「俺なんか……」と呟いた。
「生まれてこなけりゃよかったんだ……」


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