ばか3 | ナノ



「は?」
そこでようやく口を開いたシズちゃんに、俺は思わず大きな声を出した。
ここに至るまで散々ヒイヒイ喘がされていたお陰で、喉がひりひりと痛むというのに何だこいつ。俺に声を出させやがって。莫迦なの? 阿呆なの? 死ぬの? いや死んでください。
「そんなつまんない事でこの俺の障害物になってたわけ?」
「お……親父、に、俺、ついカッとなっちまって、幽がいたの、気付かなかったんだ。……あいつ、止めようとしてくれてたのに……投げたら、お袋にあたって、幽も……」
幽君って今いくつだったっけ……脈絡のないシズちゃんの話を聞きながら、事に至るまでの経緯を取りあえず推測してみる。要は、父親と口論になった際、カッとなったシズちゃんは家の中にある何か(冷蔵庫か何かじゃない?)を父親に向かって投げた、と。それがシズちゃんを止めようとしていた幽君と母親に当たって、シズちゃんはとんでもない自己嫌悪中……という事だろう。確かシズちゃんの最愛の弟・幽君はシズちゃんと歳はあまり離れていなかったような気がする。小学生の弟とかならともかく、同級生に向かってサッカーゴールだのホワイトボードだのを平気で投げてくる男の台詞とは思えない。可笑しくてちゃんちゃら笑える。
……なんだこの胸糞話。化け物の癖に何を今さら人間みたいなこと言ってんだよ。
日常的な性的暴行(w)を受けても健気に学校に通って(高卒資格が欲しいだけだけど)今だって変な薬のお陰で得体のしれない恐怖に悩まされているというのに。いつもいつも俺の顔見るなり追い掛け回してきてさ、痛い身体を引き摺って相手してやってるっていうのに。なんだ、あそこで障害物になってたのはそんなくだらない親子喧嘩の償いか。あああああ、舐めんな。クソこの平和島静雄。
薬のせいかは判らないけれど、感情のコントロールが上手く出来なくなっている自覚はあった。シズちゃんのこの発言にやたらイライラする。うじうじ島ウザ雄に改名した方がいいんじゃないだろうか。
「じゃあさぁ、一応聞くけど当たってたのがお父さんだったらよかったわけ?」
「!……ッんなわけねえだろ!!」
「でも今のシズちゃんの言い方だとそう聞こえるよ?」
頬にビリビリとした殺気が触れるのがわかった。見ると、シズちゃんの泣き顔が鬼のようになっている。ヒュッと空気を切る音が耳元にして、シズちゃんの右ストレートが頬を掠めたのだと気付いた。
「怒ってるの?」
「俺は……俺は誰も傷つけたくなんか無ぇんだよ……」
挑発するように首を傾げて問うと、文字通り『苦虫を噛み潰した』ような苦々しげな顔でシズちゃんは呟く。
「でもそれが有言実行出来た所なんて見たことないよ?シズちゃん口ばっかりじゃん」
俺は、といえば、もういい加減寒さを通り越して身体中の関節がキシキシと痛んで仕方がなかった。シズちゃんの怒りに満ちた瞳が俺を射抜く。正直な所、今日こそ殺されるかな、とは思った。黙って殺されるつもりは毛頭無いけれど、腕の一本二本は覚悟する。ただでさえ痛いのだから今更痛みの二乗三乗くらいどうってことはない。
シズちゃんは言葉に詰まって、再び膝頭に顔を埋めた。何この人、メンタルクソ弱い。もしシズちゃんが今の俺の状況に陥ったら多分数時間で発狂するだろう。残念ながらシズちゃんがあのような状況に陥ることは地球が逆回転してもありえない事だけれども。
「シズちゃん、あのさあ君、自分がどれだけ寝ぼけた事言ってるかわかってる?」
もうやめて!静雄のライフはもうゼロよ!なーんて、今のシズちゃんにそんな優しい言葉をかけてくれる人物は今の段階で不在だ。俺が見てもわかる。シズちゃんの心のライフポイントはエンプティだった。でも俺にはシズちゃんのライフがゼロになろうがなるまいが関係ないので、小さくコンパクトサイズに折りたたまっているシズちゃんに畳み掛けるような言葉を発した。
「俺の事酷いって思う? 俺は今君に酷い事を言ってるよねえ。苛々するだろう? 殴りたい? なら俺の事を殴ればいいさ。俺今全身打撲だらけだし、どこもかしこも滅茶苦茶痛いしさ、今更痛いの二乗三乗くらいどうってこと無いからね。ただ動けなくはなると思うし、現に今も動けないけど。俺がもしここでのたれ死んでも、それは俺が許可してシズちゃんがやったことだから君が気に病むことは無いよ」
相変わらずコンパクトサイズなシズちゃんは俺の台詞に逐一反応してビクリと動く。ダメージは効いているようだ。
「でも君は俺に対しては何やっても後悔しないんだろう? ならいいじゃないか。でもなんだ、君はさっき俺の事を認識しても殴りかかってすらこなかったよね。それは幽君やお母さんを予想外に傷つけてしまってシズちゃんは自分の存在理由について深く傷ついたからだったりするわけ?それで俺の事殴る自分にも嫌気が差したりしてるの?」
「そ……んなんじゃ、」
「無い?」
やっと一言発したシズちゃんの言葉を先取って首を傾げる。シズちゃんが膝の間から目だけをきょろりと動かして俺を見た。
「あーもういいや。もう君、マジでつまんない。飽きちゃった。足離して。もう充分温まったから家帰って風呂入って寝る。明日から俺もうシズちゃんに構わないから安心してよ。君、つまんない」
一気にやる気をなくして俺はシズちゃんの体の間から足を抜こうと踏ん張った。先程までと違ってやっと人間の体温まで温まった足は俺の言うとおり素直に聞く。
全身の埃を払い、立ち上がると忘れかけていたケツの痛みが再発した。ずきん、ずきん、とまるでそこに心臓があって脈打つかのように痛い。我慢できない程では無いが、これは早い内にあの男に汚された所を洗ってきれいに消毒しなくては。
「俺ね、忙しいの。暇じゃないの。シズちゃんとか、はっきり言ってもうどうでもいい。だって今の君、本当にそこらの誰よりもつまんない人間だもん。あ、シズちゃん人間じゃないから人以下? 家畜? ううん、そんなのよりもっとどうでもいい」
そのままシズちゃんに背を向けてひょこひょこと歩き出す。足が痛い。温まった足は冷たいアスファルトによって本当、泣きたくなるくらい急速に冷たくなった。ひりひり、ずきん、ずきん。



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