若さを乗せると恋が始まる。
奴がくるとムカッとくる。
自ら乗って深呼吸。





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初めて会った時から「いけすかない奴」だと思った。
別に俺は奴の何かを知っている訳ではないし、初対面でそんなことを言うのはいくらなんでも失礼だ。だがしかし、一旦口を開いた奴は想像以上に「いけすかない奴」だった。
「気に食わねぇ」
俺の放った不躾な一言に、奴の顔は少しひきつった。
「はぁ?」
不機嫌を体現化したように眉をひそめた奴は、意外にも端正な顔をしていて不覚にもドキリとした。今思えば若さっていう奴だ。あの頃は確かに奴も、俺も若かった。引くことの約9年か。

俺は感慨深く昔話なんぞを思い出しながら、苛つきを鎮めようと深く深く煙草を吸った。
そしてふぅ、ときつく目が閉じられている奴の顔に向かって煙を吹き掛ける。
奴は一瞬眉をひそめ、小さく呻きながら身動ぎをした。が、閉じられた目が開くことは無い。ちょっと強く殴りすぎたか。しかし軟弱な奴である。
放置しようかと一瞬思ったが、もしこの現場が誰かに見られていたとしたら大変だ。俺は良いとしても幽に妙な噂が流れたら困る。

「……くせぇ」
仕方なくノミ蟲野郎を担ぎ上げ、眉を寄せた。
ノミ蟲くせぇ。
そりゃ密着してるんだから当たり前と言っちゃ当たり前なんだが、とりあえずくせぇ。不愉快極まりない。
苛々しながらその辺りにあるボリバケツを蹴り飛ばしたら物凄い音がしてビルの壁に当たって粉々になった。んな強く蹴ってねぇ。






「……なに?これ」
「なんだよ文句あっか」
「例えて言うなればありありだよ。静雄」
新羅の自宅である高層マンションへと向かった俺は、深夜であるにも関わらずインターホンを押した。
扉を開けた新羅が俺の顔を見た瞬間、何も言わずに扉を閉めようとしたのでそれを片足で制す。
「なんで静雄が臨也担いでるの」
ここまで来る時にもさんざっぱらぶしつけな視線を向けられたが、新羅の表情はそれ以上だった。ブチ、と青筋の浮かぶ音がする。
「ぶちのめしたら動かなくなった。それにゴミは持ち帰れって張り紙があったからよぉ……」
「臨也はゴミかい……」
「似たようなもんだろ」
まぁ否定はしないけどね、とかなんとか言いながら新羅は部屋の中に俺を招き入れた。
俺は街の清掃作業という名のボランティアを働いたのだからコーヒーくらいは出るだろうか。




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ぱち、と臨也の目が開く。
「……最悪なんだけど」
そして開口一番に発した言葉がこれだった。
柳眉がみるみるうちに寄せられていき、眉間に皺を寄せる。
脳震盪を起こしていたため、軽い吐き気があるのは仕方がないとしても、だ。明らかに臨也は生理的な不快感ではな、く情緒的な不快感を露にしていた。
「なんで新羅いんの?」
「ここは僕の自宅だからねぇ」
「頭は痛いし身体中ギッシギシなんだけど」
「自業自得だね。今日はまた何やったんだい?」
「別に……今日はたまたま菜倉と歩いてただけだよ。そしたら頭上から電信柱が降ってきて、それは避けたんだけど瞬間ローキックと右ストレートが交互に入って吹っ飛んだわけ」
「わぁお……なかなか野生的で刺激的だね。ていうか菜倉とまだ付き合いがあったのか」
「何を言ってるんだい?俺と菜倉君は『お友達』だよ?」
臨也が半身を上げようと身体を動かす。
「イタタタタタタ……」
折れた肋骨がやはり痛むらしく、顔をしかめた。やはり暫く安静にさせる必要があるかもしれない。
「肋骨イッてる?何本?2本くらいかな?」
腹と胸を押さえながら問う声は微かに掠れている。
「ニアピン。3本だよ。相変わらずぽっきり綺麗にイッてるから治りは早いね。肺に刺さんなくて良かったじゃないか。刺さってたら間違いなく死ぬよ」
「そんな楽しそうな笑顔で言わないでくれるかなぁ」
さて、ここらで臨也の目がうとうととしてきた。それはそうだ。痛み止めと安定剤が入った注射がやっと効いてきたらしく、臨也の睫毛が伏せられる。
「……ちょっと……寝る」
少し呂律の回っていない舌足らずな言葉が耳に届き、私はとりあえず臨也の頭を軽く撫でた。
「ん、寝るといいよ。薬が切れてスッキリしてから帰るといいさ。じゃないと今の君は静雄にボッコボコにされるからね」
すう……と穏やかに規則正しい寝息をたて始めた臨也をまじまじと観察しながら思う。
こうして大人しく寝てさえいればそれなりに見られない顔でもないのに。
臨也が寝入ったのを確認して僕は立ち上がる。さて、一仕事は終えた。
問題は次である。
僕は臨也の寝ている寝室を後にして静雄の待つリビングルームへと向かった。
奇跡に近い状況で均衡を保っている我が家を魔の手から救い出さなければならない。
それから、僕の手を煩わせる彼らに少しのお仕置きも。

「やあ」
砂糖とミルクがたっぷり入った、味覚音痴だとしか思えないコーヒーを啜っている静雄に俺は声をかける。
あれは恐らく静雄が勝手に淹れたものだ。全く非常識な奴である。静雄、最近臨也に似てきたよね。余計なことを言ってやぶ蛇になるのは嫌なので黙っているけれど。
「臨也なら寝てるよ」
ぴくり、と静雄の頬が引き吊る。手の中のカップがみしりと音をたてた。ああ、それはこの前ネットショップでセルティが買ったばかりの奴だというのに。
「それにしても珍しいねぇ。静雄が臨也の保護なんて。まあ臨也は大方身体が動かなかったんだろうけど。かわいそうにね。とはいえ、まあ彼と君の場合、臨也の自業自得って奴だけどさ」
一気にまくし立てると、静雄の米神がぴくりと動く。
さすがに皮肉り過ぎただろうか。いやしかし静雄も大概脳筋だからこのくらいの皮肉なら気がつかないはずだ。
「……あいつ、調子悪かったのか」
静雄はぽつりと呟いた。
抑揚の無い声音に一瞬動揺し、背中に一筋の冷や汗が流れるが、咄嗟に平静を取り繕い言葉を続ける。
ぶっちゃけ今のは出鱈目なのだが、そもそも、静雄のパンチをまともに食らって平然としてられる方が普通じゃない。
しかしそんなまともじゃない臨也がまともらしく倒れたのである。そう考えると『体調が悪かった』も、それなりに当たらずとも遠からずの話だったかもしれない。適当だが。
だがしかし、大事なのは臨也の身体ではない。静雄と臨也に反省してもらうことだ。
何故、普段は温厚で平和にセルティへの愛に生きるこの僕があの臨也のために命懸けの嘘をついているかと言えば、そもそもはセルティのためである。

僕も流石に、毎度毎度あそこまでボロボロになった臨也の面倒を診るのは面倒だし迷惑この上ない。その上セルティと過ごす時間は減るし、臨也の性格はいくら私が強制しようとどうしようもない。
たまには静雄にも反省してもらおう。彼は大人しくしていればそれなりに常識人だ。話せばわかる。臨也と違って。
「寝不足じゃない?またろくでもないことでもしてたんだろう。食生活も生活態度も荒れてるしあれでよく生きてられたねって話だ。いつか糖尿病と骨粗鬆症と高血圧を併発するか癌で死んでもおかしくない状況だよ。だから今回の件は君には全く責任は無い。因果応報ってやつで仕方なかったのさ。だから気にすることはないよ」
「……」
様子を窺うように静雄をちらりと見やると、表情の読み取れない複雑な顔をしており、一瞬ドキリとする。
しかしここまで静雄を全面的に肯定してやれば、たんじゅ……心優しい静雄なら良心の呵責に苛まれることだろう。
(うまくいってる……のか?)
押し黙ったままの静雄の二の句を待ちながら僕は背中に嫌な汗が伝うのを感じた。
さて、静雄がどうでるのか。

静雄は煙草をくわえて黙ったまま、何を考えているのかわからない表情を浮かべる。
「…………」
「…………」
沈黙のまま数秒が過ぎる。
ふうっと紫煙を吐き出し、静雄はゆっくりとソファーから立ち上がった。
「帰るわ」
「……えっ?ああ、うん。わかった……って静雄?!そっちに何の用があるんだい?!そっちには君の嫌いな臨也しか置いていよ?!」
「世話かけたな。まぁ……自業自得とは言ってもお前だって忙しいみてーだし、ゴミの処分を他人任せにしちゃいけねぇよ。持って帰るわ」
「…………え?!」


…………これはやばい 。まずいことになった。
臨 也 死 亡 フ ラ グ 。


ちょ、ちょちょちょちょちょ、それはいくらなんでもまずい。私はただ反省して帰ってくれるだけで良いのに。
臨也は安定剤でぐーすか寝ているので当分は起きない。
いつもの調子で静雄がキレたら臨也は確実に死ぬ。暴走した静雄を止めることはできない。
俺の浮かれた気分は一瞬にして血の気が引いた。
「……ちょっ!静雄!待って……!!」
僕とセルティの愛の巣が殺害現場になる……!ごめんよセルティ……!!というか、友達を見殺しなしたなんてことがセルティにバレたら嫌われる……!!
私は電光石火の勢いで臨也の眠る寝室に走った。
「臨也…………ッ!?生きてるかい!?」
「あ?」
ばんっと勢いよく扉を開け、部屋に飛び込んだ私の目に、ぐったりと弛緩した臨也を背中に担ぎ上げている静雄と言うこれまたあり得ない光景が飛び込んできた。
遅かったか?……と、一瞬だけ危惧したが、顔色は優れないものの臨也の胸は規則正しく上下している。
「世話んなったな」
静雄はけろりと言い放つと、まるでなんでもないことのようにすたすたと歩き出した。そしてそのままの状態でバタンと扉の向こうへと消えていく。
僕は余りにも男らしく、潔い静雄の去りっぷりに茫然自失の状態で空っぽの寝室に立ちすくみ、神か仏かわからないが、とりあえず平等そうな方に臨也の冥福を祈った。