季節外れ乙!







『――お鍋はさ、一人で食べるものじゃないんだって!わかってる?!――あっちょ、シズちゃ、切らないでよ!だめ……っも、あんっ、や、あっ、あ――――!』

ぷつん
つー、つー

「なんか……嫁さん、最後すっげぇ喘いでなかったか……?」
俺の横で歩きながら缶コーヒーを啜っていたトムさんが気まずそうに俺を見た。
『嫁さん』とはもちろん臨也の事である。
俺たちはちょうど2年前、付き合い始めたひとつの区切りとして一緒に暮らし始めた。
結婚というものが存在しないため、俺たちの関係はどこまでいっても同棲止まりだが、付き合う上で互いに対する妙な遠慮(元から無いかもしれないが)無くなって、二人でいることが大分自然になってきていた。
「お前ら……っつーか何やってんだよ……?」
トムさんが顔を引きつらせながら苦笑いを浮かべる。
「いやいやいやいや……!確かにあいつは変態ッスけど」
話は戻る。
俺の名誉とトムさんへの信用のために一応言っておくが、別に俺はAVのような放置プレイをしてきた訳ではない。
俺はあくまでも、ごくごく普通に、朝は7時に起き、生活が不規則でいつも大体昼過ぎまで寝ているノミ蟲と俺の分の朝食を用意して、8時には出社。そしていつものように取り立ての業務をこなしている。
現在はある程度の回収も済み、小休止を兼ねて公園で一服していたところだった。
時計を見るとすでに15時を回っている。そろそろノミ蟲が起きてくるだろうと思い、俺は携帯を取り出した。
今朝、急に会社の飲み会が入ったため、夕飯はいらない遅くなるという内容のメールを送るためだ。
一緒に暮らしているとはいえ、ノミ蟲の生活は昔と全く変わらず気ままなもので、食事だって一緒に食べたり食べなかったりとまちまちである。
休みも滅多に合わないので、ここ数日は、ノミ蟲が寝ている間に俺が出社、俺が寝た後にノミ蟲が帰宅するというすれ違いの生活が続いていた。
流石に一緒に暮らし始めた当初よりも喧嘩は減ったが、代わりに会話も減った。
たまに一緒の休みがとれたとしても、休みの日まで出かけるのは億劫だと昼過ぎまで寝ているか、ノミ蟲はパソコン、俺はテレビと共同でなにかをすることもない。
流石に同棲2年目ともなればこんなものかと思っていたところだ。
その上ノミ蟲と俺の関係は10年近いものになる。もしかしたら同棲2年でも倦怠期としては早いのかもしれない。
そこで俺は特別感慨に耽ることもなく簡潔に連絡文を打ち込み、メールを送信したのだ。
しかしその3分後、ノミ蟲から着信があり、冒頭の台詞に戻る。
「なんだよ最近微妙だとか言っときながら熱々じゃねぇか」
俺は不器用ながらも今までの経緯を話すと、トムさんはほっとしたように笑った。
トムさんに脇を小突かれ、俺は思わず苦笑いを浮かべる。
なんでいきなり鍋なのだ、とか突っ込みたいことは山ほどあった。大体昨日だって臨也が帰ってきたのは夜中の12時過ぎで、明日も仕事がある俺はとっくに布団に入っていたから、ろくな話もしていない。
確かに11月も中頃の今の季節は鍋が美味い時期ではある。
ならば明日にしろと俺は言いたい。
なんでわざわざ一方の都合が悪い時に鍋だなんだと言い出すのか。
しかしそれをあの状況で、俺が感情まかせに言ったらまた喧嘩になるだろうと思った。
(面倒くせぇなぁ……)
こんなところで、しかも鍋ごときのつまらないことで怒鳴りあいの喧嘩などはしたくない。
スライド式の携帯をたたみ、尻ポケットにしまうと同時に、再び携帯がバイブ音をたてて震えた。

『 from ノミ蟲sub☆★☆ 鍋 ☆★☆

今日は8時にはぜっったい帰宅!
絶対だからね!やくそく!』

面倒くせぇ。


正直な話、いくらただならぬ仲だとは言ってもあいつの気紛れに付き合ってやれるほど暇じゃないのだ。
メールの返信は打たず、携帯を閉じる。
「おいおい、いいのかよ」
「いいんすよ。どうせ多分いつもの気紛れっすから」
携帯を早々に仕舞った俺に、トムさんが苦笑いを浮かべながら尋ねた。
俺はちびた煙草の火を携帯灰皿で揉み消しながら、答える。
「……まぁそれならいいけどよ……それはそうと、そろそろ帰んべ。暗くなっちまう」
「うす」
トムさんは一瞬だけなんとも形容しがたい微妙な顔をしたが、飲み終わったコーヒーの空き缶を屑籠に投げ入れ、いつものように言った。
俺もこれ以上その話を続けたくなかったためとても助かる。


――――。


会社付近の居酒屋で行われた飲み会も終わり、俺は昼間の電話の事なんてすっかり忘れ、ほろ酔い気分で帰路についていた。
(あー……飲み過ぎちまった)
一次会のみで帰ったヴァローナを含む女性社員数名を除いた全員が二次会に出席。
その場の雰囲気もよかったので、珍しく今日は俺も二次会に出席したため、大分帰りが遅くなってしまった。
なんとなく携帯を取り出してみると、案の定、着信が15件にも達している。
内心、やってしまったとは思いつつも、時間が時間だけに流石に臨也は寝ているだろう。
起こさないようにそろそろと部屋に入ると、リビングの明かりが煌々と光っていた。
しかしテレビの音などはしないので、やはり電気を消し忘れて眠ってしまったのだろうか。
俺は余計な音をそろそろとリビングの扉を開ける。
ギィ……と、蝶番が小さな悲鳴をあげた。
細い明かりが扉から漏れる。
それから鍋の煮えたつグツグツという音。
(まさかなぁ…………?)
まさかとは思うが、さすがにこんな時間まで待ってはいるまい。
時計の時刻は深夜2時を指していた。
音のする方へ身体を向けると、カセットコンロの上でグツグツと煮えた土鍋からもわもわと湯気がたっている。
そして向かい合わせのテーブルの越しには、鍋の向こう側でテーブルに突っ伏すようにして眠りこけている臨也の姿があった。
(おいおい……?!火傷するぞ……あぶねぇな……つーか、火事んなったらどうすんだ!)
とりあえずカセットコンロの火を止め、煮詰まって具がくたくたになってしまっている鍋の中を覗き込んだ。
煮詰まってはいるが、味噌と出汁の良い匂いがしていて美味そうである。コンロの傍らには、皿にこんもりと盛られた大量のネギと白菜、肉団子やらカニやら、ウインナーまで用意されていた。
普通あまり鍋にウインナーは入れないのだが、俺の実家では鍋にウインナーは定番だ。
それを臨也は大層怪訝な顔をして、いつも文句をブーブー言いながら鍋をつついていたから、うちで鍋はあまりしない。
(あいつ……どんな顔してこれ買ったんだよ……恥ずかしいやつだ)

そう考えると頬が熱くなった。
いや、鍋の湯気のせいだな。
思わず妙な顔になりそうだったため、片手で口元を押さえていると、不意にカサカサと紙片が足元に落ちた。
「……ん?」
それを拾おうとしてしゃがみこむ。
……と、俺の動作はそこでピタリと完全に停止した。

やべぇ。

受けた衝撃を飲み込むため、暫し固まる。動悸がヤバイことになっている。
小さなメモ用紙には、あいつ特有の丸っこくて女みたいな汚い字で

『シズちゃん
お仕事お疲れさま★
今日はシズちゃんといいふうふう(鍋的な意味でw)
……なんちゃって(^m^)』

「……“鍋的な意味でw”ってなんだよ……くそさみぃ」
思わず漏れそうになった笑みを押し隠し、一人ごちる。
それと同時に微かな罪悪感に胸がチクリと痛んだ。
こいつは確かに至上最悪のゲス野郎で呆れるほど卑怯な奴だが、俺はそんなこと端から知っていてこいつを選んだのだ。
(くそっ)
そんな自分に苛々して思わず机の角を握り潰してしまいそうになったが、それをなんとか抑える。
そもそもぐだぐだ考えるのは性に合わない。
俺はすっくと立ち上がり、スヤスヤと寝息をたてているノミ蟲の頭に拳骨を落とした。
「ぃいいッッッッたぁ……!?!?!?!」
いきなりがばりと飛び起きた臨也は状況がわかっていないのか頭を押さえながらキョロキョロと首を左右に振る。
「…………ッ!!」
そして俺と視線が合った。
てっきり一方的な約束を破った俺に対して理不尽に怒り狂うかと思っていたのだが、臨也は居心地悪そうに俺から視線を離し、うろうろと泳がせる。
「……ぉ、かえり」
「おう」
俺は拾い上げたメモを無造作にポケットに突っ込み、臨也の向かい側の席に腰かけた。
そして皿から山盛りの白菜とネギをわしづかんで土鍋に放り込んでいく。
「……シズちゃん食べてきたんでしょ?」
驚いたらしい臨也が目を丸くして俺を見る。
だって食い物を無駄にしたら勿体ねぇだろう。
ざくざくと野菜と肉、豆腐などを鍋に入れていき、蓋を閉める。
大分煮詰まってしまっていたのだが、火を弱めてまぁ白菜から汁気が出るから大丈夫だろう。
それから数分、俺たちは無言で机の中心に置かれた土鍋を見つめていた。
沸騰してカタカタと音をたて始めた蓋を取り、そろそろよい頃合いかと菜箸で鍋をかき回す。
良い香りがぷん、と鼻腔を擽った。
不意にくぅ、という子犬の鳴き声のような音が聴こえ、俺は向かいの席を見た。
臨也はふいと顔を背け、照れたような不機嫌なようなそんな顔をしていた。
多分鍋には一口も手を付けないで待っていたのだろう。
妙なところで律儀な奴である。
俺は無言のまま臨也の取り皿に具をよそってやり、差し出した。
「ん」
臨也もそれを無言で受け取り、両手を合わせると、箸を持って緩慢な動作でもそもそと食べ始めた。
「……ていうか……23日になっちゃったじゃん……」
「あ?」
「……シズちゃんって本当に馬鹿だよね」
急に唇を尖らせて呟いた臨也に、俺は頭にクエスチョンマークを浮かべる。
携帯を取り出して時間を確かめると、確かに臨也の言う通り、11月23日午前2時40分の表示が出ていた。
だからそれがどうしたって言うのだ。
「んだよ」
自分の分の具を咀嚼しながら俺はぶっきらぼうに尋ねた。
臨也は食べる手を止め、何やらもにょもにょと言い淀み、やがて小さな声で「もういい」と呟いた。
なんだよ。せっかく良い雰囲気になったと思えばまたこれか。
先ほどとはまた違った気まずい沈黙の中、不意に訪れた苛々を無理矢理かき消すように俺はテレビのリモコンを手に取った。
『――ふうふう ふうふう』
『 ふうふう土鍋!当たる!』

某有名深夜ラジオ番組で馴染みあるテーマソングと共に、満面の笑みで鍋を頬張る女優が出演する発泡酒のCMが流れてきた。

『22日の夜は、銀麦、冷えてるよっ』

「……もう日付変わってんじゃねぇか」
思わず突っ込み、ウィンナーに箸を伸ばす。
ふと臨也の手がぴたりと止まる。
「んだよ?」
「……べ、別にっ」
再びもぐもぐと鍋を食べ始めた臨也に不審な目を向けながらも、チャンネルを回す。

『もう日付変わっちゃいましたけど昨日は“いいふうふの日”でしたねーっ今夜はハッスルしちゃいますか?!』
『もーっやだーっ』

ある深夜番組でチャンネルを止め、きゃあきゃあと黄色い歓声をあげる女性タレントを見やる。
「いいふうふ……ああ、11で“いい”か。22はなんだ?」
「ひ……」
素朴な疑問を口にすると、それを受け取った臨也が口を開いた。
「……ひぃふぅみぃって数えると2は“ふぅ”でしょ。……22だから“ふぅふぅ”だから、11月22日で“いいふうふ”」
「あー」
だから“ふうふ”か。
全くうまいことを考えたものだ。
……ん?そういえばあの発泡酒のCMでもそんなことを言ってたような気がする。
もしかして……と、俺はついさっき考えついた疑問を口にしてみることにした。
「お前……だから鍋?」
ぶはっと臨也が白菜を吹き出す。
「汚ぇな」
席を立ってごほごほと噎せている臨也の背を擦ってやりながら、机に吹き出されたものを布巾で拭いた。
全く世話の焼ける奴である。
「んだよ。お前、俺と鍋食いたかったのか」
ばっと臨也が真っ赤な顔をしてこちらを見た。
パクパクと口を酸素を求める金魚のように無意味に動かす。