そしてガタンっと突然立ち上がった臨也は噛みつくように言った。 「わ、悪い……っ!?」 「いや、悪かねぇけどよ」 「さ、最近、あんま会話ないし……っ、せ……っ、せっかく俺が珍しく夕飯用意して、シズちゃんの好きなウィンナーとかも買ってさ!?……っていうか事実婚とか言ってもシズちゃん俺に指輪買えるほど給料ないから指輪も旅行もないし、待ってても仕方ないからもういいっ!」 (あ、やべ。忘れてた) 指輪に関しては俺に何か言えるような立場ではない。 臨也は顔を真っ赤にして言い切ると、今にも泣きそうな顔でぜぇぜぇと肩で息をしている。 俺が何かを言おうと口を開きかけた瞬間、臨也がばんっと机を叩いた。 その拍子にコロコロと銀色の円形のものが机を転がる。 条件反射でそれをつまみ上げ、よくよく見ると机の上に叩きつけられたのはシンプルなデザインのシルバーリングだった。 しかもリングの裏側にびっしりと細かい細工がしてある。質がよく、高そうなブランドもののいかにも臨也好みそうな指輪だ。 見ると、先ほどまでは気が付かなかったが、臨也の左手の薬指にも同じものが嵌められている。 「手前……」 これは恐らくいつまでも指輪も旅行も言い出さない俺に対して、臨也が諦めて用意したものだろう。 俺が何かを言おうと口を開こうとしたところ、涙目で潤んだ赤い瞳にぎりっと睨まれた。 「悪い!?」 「悪かねぇ……。けどよ……つか、そんなら回りくどい事しねぇで最初から言えよ。理由言や流石に社長だってわかってくれるっつの」 「言えるわけないじゃん。シズちゃん、サプライズって言葉知らないの?トムさんに俺の事嫁さんとか言わせながら、一緒に暮らして2年もたつのに未だに指輪ひとつ買ってくれないってどういう事だよ。シズちゃん記念日とか忘れそうだし……だから11月22日とかあり得ないくらいあざとい日にしたのに、そもそもわかってないしさ。……それくらい悟れよ!っていうかトムさんなら話の内容でわかるでしょ!?あの人も飲み行く時になんか言えよ!」 「トムさんは関係ねぇだろ……いや、でも、まあ、すまん」 「この朴念人!」 夜中だと言うのに臨也は大声でそう一気にわめきたてると、気が動転しているのか、実質関係ないトムさんまで引き合いに出してくる。 「シズちゃんのアホ!馬鹿!脳たりん!」 わあわあと臨也は小学生のように喚きまくり、驚異的なまでのウザさを発揮していた。 俺もそこまで言われたら黙ってはいられない。確かに、俺が悪いのはわかっちゃいるが、かっと頭に血が登って、思わず持っていた箸がばきりと音をたてて折れた。 …………こりゃ本格的な喧嘩になるな。 そういや喧嘩をするのも久しぶりだと思った時だった。 「あっっつ!!」 コンロがジュウ……という音を立て、あわてて吹き零れた鍋の蓋を閉め、火を消す。 「…………煮詰まっちゃった…………」 煮詰まってかさが減り、灰汁だらけになった鍋の中身を見た臨也がポツリと呟いた。 そして諦めたように項垂れると、覇気のない声で言った。 「もういいよ……これ、美味しくないから、捨てる」 臨也はかたんと俺に背を向けて、ミトンを取りに台所へ向かう。 俺はその後ろ姿をなんとも言えない気持ちを抱いたまま見送った。 本当ならば、せっかくあの意地っ張りの臨也がここまでしてくれたのだから喧嘩などしたくない。それが本音だ。 いくら昔は喧嘩ばかりで今は倦怠期で会話がなくとも、結局俺は臨也が好きで一緒に暮らしているのだから、それで当たり前なのだと思う。 程なくして台所からミトンを持った臨也が戻ってきた。そして用意した鍋をてきぱきと片付けていく。 最後に煮詰まった鍋を持ち上げようとした臨也の手を、がっしりと俺はつかんだ。 「…………………………食う」 小さな声で呟くと、臨也が驚いたように目を見開いた。それからすぐに眉をひそめ、不機嫌そうに唇を尖らせる。 「気にしないでいいよ。これ煮詰まってしょっぱいと思うし、そもそもシズちゃんの都合とか考えないで俺が勝手にやったことだし」 「いや、食う」 それでも鍋を下げようとする臨也の手を力で押さえつけ、俺は鍋を食うと言い張った。 「シズちゃん、トムさんたちと食べてきたんでしょ?デブになるよ。シズちゃんなんて短気で怪力だし、顔とスタイルくらいしかいいとこないんだから、デブになったら誰からも気にされなくなっちゃうんだからさ」 「……デブんなってもいい。どうせ俺なんて手前くらいしか相手にしてくれねえんだからよ」 諭すように語りかけてくる臨也の言葉を撥ね付けて、俺はじっと臨也の目を見つめた。 臨也の顔がじわじわと朱に染まっていき、掴んだ手の抵抗がゆるゆると薄くなっていく。 俺は自分がトムさんや臨也のようにうまいことを言うことも出来ないことをわかっている。だから、たた黙って臨也を見ることぐらいしか気持ちを伝える術を知らない。 こちらに喧嘩をする意思が無いことを伝えるために、俺は鍋から離れた臨也のミトン越しの手のひらを緩く握りしめた。 こいつは本当に卑怯でどんなときでもウザいが、それでもいいと臨也を選んだのは紛れもなく俺自身だ。 そしてそんな奴が俺のために見せた精一杯の誠と想いに、俺も出来る限りの誠意で答えなければならない。 俺は臨也の手を握り、ミトンの下のリングに触れた。柔らかい布越しに、丸い硬いものが触れる。 「――――……すまねえ」 「……シズちゃんは悪くない……」 手を俺に握られたまま、項垂れた臨也はふるふると首を振った。 しかし俺はそれを遮るように続ける。 「……指輪、買ってやれなくて、すまん」 不意に臨也の手がぴくりと動き、項垂れていた顔がゆっくりと持ち上がる。 情けなく下がった眉に、微かに紅潮した頬と臨也の赤い瞳が、奴が今にも泣きだしそうであることを表していた。 「……俺は、俺ね、シズちゃん、が、好き、だよ」 「おう」 振り絞るように呟かれた臨也の言葉に力強く頷くと、緩く握った臨也の手のひらが俺の手から離れる。そしてぽろぽろと泣き始めた臨也の両目を覆う。 「…………一緒に、いたい、です」 臨也はその言葉をすすり泣きの合間から漏らすと、ぐずぐずと鼻を鳴らした。 俺が両目を覆う手を離すと、ミトンがぐっしょりと湿っている。 「……俺も、好きだ」 照れながらではあるが、誤弊の無いように俺ははっきりとそれを口にした。 「……後でちゃんとお前に指輪買ってやる。給料3ヵ月分でも半年分でも、手前が買った指輪よりうんと高えやつ。そしたらそれで手前に改めてちゃんとプロポーズすっから。……だからそれまでは待っててくれないか?」 伺うように臨也を見ると、臨也は一瞬驚いたように目を瞬かせ、涙目のままいつものように悪戯っぽく言った。 「…………あの指輪、高いよ?」 「五月蝿え。そんなの関係ねえ。たとえ何年掛かっても俺は絶対手前にプロポーズしてやんよ」 やっといつもの調子に戻ってきた臨也に、ほっと安堵しながら俺も笑うと、臨也が赤い顔をして俯いた。 「……だからそれまで待ってろ」 俯いているため表情まではわからないが、俺の言葉に臨也はコクリと頷く。 「そんじゃ、食うぞ!頭使ったらなんか腹減ってきた。手前どうせ飯食ってねえんだろ。そんなんだからひょろいんだよ手前は」 するとタイミングよく、臨也の腹がくう、と鳴る。俺は席を立ち、臨也が片付けた鍋の具材と取り皿を取りに台所に向かった。 終わり |