見慣れない天井。
(家……じゃない)
そうか、高跳びしたんだったっけか……と、知らない天井を見つめながら臨也はぼんやりと思った。
腹部が痛い。
何事かと見てみると、腹部に拳大の酷い痣ができている。
「……?」
不意に辺りを見渡すと、どうやらそこはリゾートホテルの一室らしい。
観葉植物やセンスの良い家具が収まるべきところにきちんと収まっている。
「…………!?!?」
しかし臨也はそんなホテルを予約した覚えはない。
そして意識を失う直前に与えられた凶悪な笑みと強烈な痛みを思い出した。
「シッズッちゃ……!!」
「なんだよ」
臨也は妙な抑揚を付けて飛び上がると、いつものバーテン服を着た静雄が入り口に立っていた。
「え?ぇぇえぇ?」
状況がわからない。思わずあがってしまった奇声と共に、臨也はとりあえず困惑する。
「とりあえずここはどこ?何があったの?ていうかお前はなぜここにいる!?」
「ここはどこって……イタリアに決まってんじゃねぇか」
しごく当たり前だと言わんばかりに静雄は首を傾げると、臨也のいるベッドに歩み寄る。
「は!?なん、で!?シズちゃんイタリア行きのチケットなんて持ってないでしょ!?ていうか俺誰にもイタリア行くって教えてないし、なんで知ってんの!?」
「いや、この置物見つけて手前ん家に行こうとしたら、手前の知り合いだとか言う変なおっさんにお前が成田に行ったとか言われたからよ……携帯に電話しても出ねぇし、つか家に誰もいねぇし……マジかと思って走ってたらそのおっさんにイタリア行きのチケットもらったんだよ」
(九十九屋か……!!)
実際には会ったこともない人物を思い浮かべ、臨也は声にならない叫び声をあげるが、やがてぐったりとベッドに突っ伏した。数十秒ほどそうしていただろうか。
気を取り直して臨也は再び上半身を起こし、静雄を睨みつけた。
「ねぇシズちゃん、どういうつもり?」
「なにがだよ」
心底わからないといった風に首を傾げる静雄に、畳み掛けるように臨也は迫る。
「わざわざイタリアにまでついてきてさぁ……何?シズちゃん、俺を好きだなんて本気なの?」
「本気だ」
臨也の目を見て真っ直ぐに言い放った静雄は、臨也の腕をつかみ、自分の胸元に引き寄せる。
「本気じゃなきゃ、こんなとこまで来ねぇよ」
「はははっ嘘だろ?俺、男だよ?シズちゃんってホモだったの?」「違ぇよ。でも好きだ」
「俺は嫌い」
「好きだ」
「嫌いだよ」
「好きだ、臨也」
「離、せ……っ」
ドンッ
と、静雄の胸を突飛ばし、臨也は条件反射で後退った。
「やめてよ気持ち悪い。なんで俺がシズちゃんなんかと結婚しなくちゃならないわけ?まさかシズちゃん俺の言ったこと本気にしてる?……はっ馬鹿馬鹿しい。あんなの嘘に決まってるじゃないか」
静雄を睨み付け、臨也は挑発的な笑みを浮かべる。いつもならばこの辺りで静雄がキレてくる筈だった。
だがしかし、静雄は臨也のその言葉を受けても微動だにしない。
それどころか、曖昧な困ったような泣きそうな顔をしていた。
「すまねぇ」
「は!?」
そして深く頭を下げる。
「今までの事は謝る。だから結婚してくれ」
臨也は、頭部を鈍器で殴られたかのような衝撃がした。頭がくらくらする。謝る覚えはあるが、謝られる覚えはどこにもない。
しかし静雄は尚も頭をあげず「すまん」と言い続けた。
「……ば……」
情けなさと苛立ちとその他の感情がぐずぐずに蕩けあって、唇がぶるぶると震える。
今まで臨也は、静雄の嫌がる事は全て率先して、誰よりも早く実行してきた。そのための努力や、根回しは惜しまない。それなのに、それなのに……
プライドはずたずただった。
引くことも押すこともできずに臨也は拳を握り締める。
繰り返すが、臨也が静雄にしたことは人として最低最悪の事である。しかもそれは一回や二回の事ではない。
「な…………っ……んで」
感情に任せて静雄の頭を殴りたいと思った。
「なんで、シズちゃんが謝るんだよ……」
臨也は項垂れながら呟く。
今まで自分がやってきたこと全てが無駄だったような気がして、酷く気分が悪い。
しかし静雄は尚も続ける。
「いや、確かにお前は救いようがねぇくらい最悪なんだけどよ……でも確かに、言われてみりゃ俺がお前のこと、すっ……すき、だって自覚してからここ数年は自分からちょっかい出してたじゃねぇか」
静雄はぼりぼりとばつが悪そうに頭を掻くと、眉尻を下げて臨也をちらりと見た。
「それってよ……悪いのはお前なんじゃなくて自分からちょっかい出しにいってる自分なんじゃねぇかってな。好きだから気になるっつーのか……? いや、俺、いつも手前に結構デカイ傷負わせてたりするじゃねぇか」
そして深く大きなため息を吐き、臨也の前にずいっと上半身を乗り出す。
「もう俺もお前も子供じゃねぇんだ。ムカつくからって傷つけて良い訳じゃねぇ。よく考えたら俺がやってる事だって客観的に見たら悪ぃ事には違いねぇ。大体好きなやつにちょっかい出すとか最低じゃねぇか。俺は手前が好きだ。だから手前の人間として最低な所も、腐れ外道で救いようのねぇ所も、調子が良くて卑怯な所も全部受け止めてやる」
(何それ……全然褒めてないじゃん……)
とは思いつつ、真摯な静雄の言葉に臨也は自分の頬が確かに紅潮するのを感じていた。
そして静雄は臨也の腕を掴むと、何やらごそごそとポケットを探る。
かさ、と乾いた音を立てて臨也の手のひらの上に置かれたのは、何重にも折り畳まれ、かつ、くしゃくしゃになった紙切れだった。
「な……なに?」
恐る恐る臨也が尋ねると、静雄は「開けてみろ」と言わんばかりに鼻を鳴らす。
臨也は、そのくしゃくしゃの紙切れをそっと開き、小さく息を飲んだ。
思わずはっと顔を上げると、はにかんだようにぽりぽりと頬を掻く静雄がいた。
「結婚してください」
同時に、臨也の眼前に静雄の金色の頭頂部が差し迫る。
(し……シズちゃんの敬語なんてはじめて聞いた……)
不意に臨也がぱさりと落とした紙切れには、婚姻届と書かれており、夫の欄には既に角ばった大きな字で『平和島静雄』と書かれていた。
「手前が悪さしなくても退屈しねぇように俺が一生楽しませてやる。他のどんな人間よりも俺の方が面白ぇって思わせてやる。だからお前はもう『人、ラブ!』とか色んな意味で痛々しいこと言うな」
臨也の手を静雄の大きな手が包む。ぎくり、と臨也の肩が震えた。
(な…………っ、なんだよ……)
臨也はその手をふりほどこうと力を入れるが、何故かびくともしない。しかし静雄は力をいれついない筈だった。
臨也よりも熱い静雄の体温が手のひらから伝わる。
それに連動したかのように頬が熱い。
心臓が痛い。
目と鼻がひりひりする。
「シ、ズちゃ……」
照れて緊張したように頬を紅潮させ、鼻筋の通った静雄の顔が眼前に迫る。

「さ、触って、いい、か――――……?」




つづく!!