どうかしてる!
いや、昨日の話だから過去形で
『どうかしてた』!
かもしれない。



臨也は頭を抱えながらベッドの中で必死に昨晩の出来事を思い返していた。

「あぁああぁぁあぁあぁ……」

思い出すだに恥ずかしい。
ちらりと横目で見れば静雄がなんとも平和そうな表情で眠っていた。
(俺としたことがあんなやつにほだされるなんて……!!)
枕に向かって悶々とした思いをぶつける。
端的に言ってしまえば、臨也はまだ清い身体だ。
(さ、『触っていいか?』の続きといったら当然アレだろ?! シズちゃんってワッケわかんないんだけど!)
臨也は、静雄の発した例の『さ、触って、いいか?』という言葉の後、少なからず緊張していた。
そりゃ確かに男も女も一通りの事は何事も経験だと思って試してきたため、初めて、ではない。
しかし、
しかし、だ。
あれは予想外すぎる。


あの後、静雄は臨也の頬や髪をぺたぺたと触った後、恐る恐るといった風に唇を押しつけてきた。それは臨也の定義するキスと言うにはあまりにも拙く、文字通り『押しつける』といった感じだ。
その流れで臨也の身体は、まるで重力を感じ入るように静雄の重みで後ろにゆっくりと倒される。二人重なるようになった状態で、臨也は少なからず興奮していた。
密着した肌から静雄の心音が伝わってくる。
ちゅ、ちゅ、と啄むように静雄の唇が臨也の頬や唇に触れ、臨也はそろそろと静雄の唇に舌を差し出そうとした。
薄く口を開け、舌を出した瞬間――――――
すっと静雄の身体が離れていく。
既にいい感じに意識がうっとりとし始めていた臨也は、その行動が理解できずに首を傾げる。
そして離れていった温もりをねだるように両手を伸ばすも、その手は空を切ることになった。
臨也から身体を離した静雄は、そのままベッドから離れ、赤くなった顔を背ける。
シャワーか何かだろうかと考えた臨也は、当然そのままの雰囲気が殺がれるのを懸念し、何とか静雄をその気にさせようと上目遣いで手招いた。
だがしかし、静雄は臨也の想像以上に手強かった。

『や、やっぱ、ここんところはけじめつけようぜ』

『は…………?』

『じゃあ俺、風呂入ってくるわ』

『え……、ちょ、シズちゃん?』

パタン、と、あまりにも呆気なく閉められた扉を、臨也は呆然と眺める。
ベッドに残されたのは中途半端にその気にされた自分だけだった。



しかもその後、バスルームから出てきた静雄は、なんともさっぱりとした、それこそ臨也が彼と出会ってから一度も見たこともないような爽やかな顔で『お前も入ってこいよ』と臨也に言ったのだ。
(そこは『一緒に入るか?』だろ?!)
極めつけは、シャワーを浴びてきた臨也を手招きでベッドに呼んだ癖に、何もせずに一晩中抱き締めて眠ったのである。
対する臨也は、先ほど中途半端にドキドキしてしまっため緊張して一睡も出来なかった。
そろそろ心臓の限界を感じてきた明け方頃に、臨也はやっと静雄の腕から抜け出し、人知れず息を吐いたのが数分前までの出来事である。

(婚前交渉はNGってわけ?!古い!古いよシズちゃん……!君って本当はいつの時代の人なの?!)

臨也は頭を抱えながらベッドに上半身を突っ伏して吼えた。
隣では相変わらず静雄が熟睡している。
(あっ!)
臨也はその様子を暫く恨めしげに眺めていたが、やがてふと思い付いたように半身を上げた。
(シズちゃん寝てるなら起こさないで出てっちゃえばいいんじゃないか! ナイスアイディーア!)
試しに臨也は静雄の頬に手を伸ばしてみる。やはり想像した通り、成人男性とは思えない程肌触りが良い。妙な話だが流石、国民的大スター・羽島幽平の兄だと妙な納得をしてしまう。
(髭とかあんまり生えないのかな……)
静雄の顎や頬に指を滑らせながら、臨也はぼんやりと思った。
そう言えば、と、臨也は昨日初めて触った髪も想像していたより柔らかかったのを思い出す。
脱色を繰り返している為、確かに臨也の髪と肌触りは違ったのだが、それでもまるで手入れの行き届いた大型犬を撫でているかのようだった。
臨也は静雄の頬から手を離し、恐る恐るその金髪に触れる。
指先にふんわりと柔らかい毛先が触れ、そのまま毛の流れに沿って指を動かすと、指の間から金髪がさらさらとこぼれ落ちていった。
(意外に髪細いんだ……)
指の又を掠める感触が気持ち良くて、つい、静雄の頭を撫でるように何度も手を往復させてしまう。
(なんか……変な気分になってきた……)
穏やかに目を伏せた静雄の顔をまじまじと見つめ、臨也はその頭を撫でる。まるで大人しいライオンか何かを撫でているようだ。
「んぅ……」
「……っ!」
突然静雄が小さなうめき声を上げて身動ぐ。
臨也は、びくりと肩を震わせ、即座に手を引っ込めようとしたが、それは静雄の手によって阻まれた。
しっかりと掴まれた手首は臨也の力ではびくともしない。
寝起きだと言うのに凄い力である。
「……なんか擽ってぇと思った……」
そのまま静雄はがしがしと自分の頭を掻きながら気まずそうに視線を逸らした。その頬が若干赤くなっていた。
「……し、シズちゃん、腕、痛い」
「あっ! す、すまねぇ」
臨也がぼそりと呟くと静雄は慌ててぱっと手首から手を離した。
掴まれた臨也の手首には、手形がくっきりと赤く残っており静雄はそれをすまなさそうに見ていた。正直、圧迫のなくなった手首は見た目ほど痛くないのだが、静雄が余りにも痛そうな顔をするので臨也はいたたまれない気持ちになる。
思わず目を逸らすと、静雄に手を取られた。
(……シズちゃんのこんな顔、初めて見た……)
体温の高い静雄の熱が手のひらを通して臨也に伝わる。
臨也はそのまま静雄の好きなようにさせ、腕の力を抜いた。
臨也が知る静雄はいつも青筋を浮かべて般若のごとく怒り狂っていたため、相手のために眉をひそめる静雄の姿は何故だかとても妙な気がした。
「おい、痛くねぇか」
静雄は臨也の手首に残った痕を指でさすりながらちらりと臨也を見る。
「えっ?」
「痛ぇなら冷やしとかねぇと痣んなる」
不意に投げ掛けられた質問に対して、即座に反応することができず臨也は慌てた。
(だっ……て、シズちゃんに心配されるとかさ)
あり得ない。
世界の常識的に考えてもあり得ない。
だがしかし、あり得ないことでも現に起きている。
「おい臨也、痛ぇのか痛くねぇのかハッキリしやがれ」
臨也が黙っている事に苛々し始めたのか、静雄の声に怒気が混ざる。
ちらりと臨也は静雄の表情を盗み見て、わからない程度に小さな息を吐いた。
いつもの凶悪な静雄に変わりはないと認識して何故か安心する。
「い……たく、ない」
しかし、ほっとしたにも関わらず語尾が弱った。
別に静雄を怖がった訳ではない。安心して力が抜けたのだ。
しかし何を勘違いしたのか、静雄は『しまった』という顔をして、おろおろと慌て出す。
そして何やら一人で悶々と百面相をした後、臨也の頭にぱふ、と何かが乗せられた。
重くはない。しかし押さえつけられているような気がしてならないそれは、数回臨也の頭をぽふぽふと上下した。
「あ、あー……なんだ、その、別に俺は怒ってねぇよ」
ようやく臨也はぽふぽふの正体が静雄の手だと言うことに気がつく。
(もしかして……)
臨也には何故突然自分の頭を撫で始めたのかまるで謎だ。しかし静雄の思考回路を状況に照らし合わせている内に一つの結論に辿り着く。
そして臨也は思わずくすくすと笑みを漏らした。
「別にシズちゃんが怖かったわけじゃないよ?」
念のため、臨也はそう言うと静雄はきょとんとして頭の上の手を止めた。重い。しかし、臨也はその事について文句を言うのは後にしようと思う。
「なんだよ、違ぇなら早く言えよ!」
「うん。全然違う。でもだってシズちゃん勝手に一人で盛り上がってるしさ、口挟みづらいじゃないか。ていうか全くの検討外れもいいとこかな。残念無念のまた来週ーって感じ」
ペラペラといつもの調子で話し出した臨也に対して静雄の米神にびき、と血管が浮かび上がる。
(ああ……よかった。やっぱり俺のシズちゃんはこうでなくっちゃ)
臨也は静雄の反応をバカにするようにケタケタと笑うと、内心でほっと胸を撫で下ろす。
(……ん? 『俺の』? ……は? いやいや、別に俺、シズちゃんとかいらないしさ何『俺の』とか言っちゃってんの?)
言葉のアヤだと臨也は雑念を振り払うようにぶんぶんと頭を振った。
瞬間、いつものように頭上に振り上げられた静雄の拳が脳天を突き破るように降り下ろされた。





つづく!