神父淫魔4 | ナノ



地響きのように響き渡る低音の声に俺は思わず竦み上がって両耳を抑える。
「村に来るんじゃねえって何度言ったらわかるのかなあ!? 臨也君よお!」
次は俺の横を大きな丸太がヒュッと空を切って掠めて行った。丸太はその巨体からは想像も出来ないような速度で飛んでいく。
「やぁだぁ……見つかっちゃったー……」
ぱたぱたと羽を動かしながら、俺は空中高く上がり、その人物、もといゴリラを見下ろす形で留まった。粉塵の中から、キラキラと陽に透けて輝く金色の髪が覗く。
その人物は、端正な顔を歪ませ額に血管を浮き上がらせながらふしゅうふしゅうと鼻息荒く俺の事を見上げる。そしてその両手には、その痩身にはとても似つかわしくないたった今幹を千切ったような巨大な丸太を抱えていた。
「シズちゃんさー……善良な淫魔相手にやめてよね? 俺、シズちゃんには何にもしてないじゃん」
「小汚え悪魔の分際で何言ってやがる。浄化してやるからさっさとそっから降りて来いこの腐れビッチが!」
「ビッチじゃないもん淫魔だもん」
ビッチと一緒にされた事にカチンときた俺は、そう言い返す。確かにセックスは楽しいが、俺はただのビッチとは違う。そもそも淫魔とビッチは似て非なるものだ。俺は一応その辺りはわきまえているつもりだし、ただ乱交をしているつもりもない。良い事をしている訳ではないが悪い事をしているわけではない。
つい口答えをした瞬間、脳天をくらりと貫くようなあの甘い香が鼻腔を擽った。
今までで一番強い香りだ。これは恐らく、この香りを発している人物が近くに居るという事である。
(えっ? どこから……?)
きょろきょろと辺りを見回してみるも、思い当たりそうな人物はいない。
というか、今現在ここに居るのはこの胸糞悪い暴力神父といたいけで善良な淫魔である俺だけだ。
「五月蠅え、神の掟に逆らってるって点では一緒だろうが。今日も善良な青年を二人も食い物にしやがってよお……手前のお陰で村の女たちが困ってんだよ!」
心ここに在らずと言った態度が癪に障ったのか、シズちゃんは吠える。
耳にタコができる程聞かされた言葉に、俺は辟易とした表情を露わにした。
平和島静雄。それが彼の名前だ。彼が来る前はこの村も平和だったのに……いくら嘆いても仕方が無い事をひたすら嘆く。
なんでも、俺と一夜を共にした男どもが俺の魅力に骨ぬきにされてしまったらしい。そのお蔭でこの村は数年前から少子化が問題になっているのだ。そこで俺の事を排除する為にシズちゃんは街の正教会から数年前村に派遣されてきたらしい。
俺はいったん香りについての諸々を頭から切り離し、毒づくように言い放つ。
「これだから一神教の信者は嫌だよねぇ。俺は確かに淫魔だよ? でもちゃんとモラルを守って生活してるじゃないか。16を過ぎていない女子供には手を出していないし、精を取るのだって相手に支障が無い程度に控えてる。偶には失敗しちゃう事もあるけど、俺だって生き物だもん。仕方ないじゃん。でも俺は食事で人を殺めた事無いし。むしろその教会の教えとやらで一年に一回しか女を抱くことも出来ないような環境のせいで溜まりに溜まった性欲を俺が吐き出させて上げてるんじゃないか。人間は動物と違うんだよ? 性欲だって無理に我慢したら身体に悪いに決まってる。そんな不自然な神の教えってなんだか信用できないけど?」
それに俺は無駄に長生きをしているから知っているけれど、街の貴族たちの性はそれこそもっと乱れている。貴族こそ最も神に近い人種だ等とつまらない事を言っているが、不倫愛人乱交パーティー、裏取引に違法カジノ。下々の暮らしの方がよっぽど建設的で慎ましやかだ。
俺も昔はそういうものに紛れ込んで、人間の汚い裏側を観察しては盛大に楽しんでいたものだがそれよりも今はこうして、小さな村の人々の暮らしを観察する方が楽しい。
「貞淑貞淑って、貞淑さだけじゃ人類は滅びちゃうだろう? 赤ん坊はコウノトリがキャベツ畑から運んでくるものじゃあないんだからさ。そんなのそこらの小娘だって知ってる事だろ。処女だの童貞だのって偉大なる神がなんでそんな性体験の有無なんてちっぽけなこと気にするのさ? それこそ矛盾じゃないか。たった一回しか無い人生なんだから、我慢せずに気持ちいい事しようよ。俺はそれをお手伝いしてるだけじゃないか。それの何が悪いの?」
はあっと大きなため息を吐いて俺はシズちゃんを小馬鹿にしたように横目で見やる。シズちゃんは俯いたまま何も言わない。
シズちゃんが今何を考えているかは知らないが、俺が愛する人間を愛して何が悪い? シズちゃんの言う『神サマ』とやらだって愛は素晴らしいものだと隣人愛を説いているじゃないか。
俺はシズちゃんがなかなか反撃してこないのを見て、戦線離脱を図ろうとくるりと踵を返した。ねぐらと方向は違うが、今日はシズちゃんが居るので遠回りして帰ろうという事だ。急がば回れ、シズちゃんが静かな内に俺は朝日に向かってぱたぱたと羽を動かした。

「!? ぎゃっ!!!!」
その瞬間、羽を根元から無理やり引っこ抜かれるような激痛が走って俺は思わず悲鳴を上げた。痛い! なんだと思う隙も無く俺の身体は地面に突き落とされていた。一瞬意識が遠のいたが、頭を振って無理やり脳みそをふるい起こす。顔を上げると『善良な神父』とはおおよそ似ても似つかない凶悪な微笑みを浮かべる暴力神父が俺を見下ろしていた。
鳶色の瞳が俺の瞳を捕え、俺はまるで捕食される寸前の草食動物だ。こんな危険動物、淫魔よりもよっぽど性質が悪いじゃないか! 叫び出したい衝動は喉が引きつってしまって敵わなかった。