長編 | ナノ

 第056夜 悪夢



罪人は罪を償わなければならない。罪は背負うためだけのものではない。償うべきものでもあるのだ。
だから償わせる。裁きを下すことは、残された者の宿命なのだから。


『アレン、ちゃんと仇は討つから…』


私はギッと瞳を鋭くし、双燐の柄の部分を強く握る。
それと同時に懺悔の嵐はさらにその大きさを増し、ティキを凄まじい竜巻で包む。


『はああああああああああ!!』




ピシ…




――………あ……
ヒビ、だ。双燐を掲げる私の腕にヒビが入った。
そしてそれは足に、腹に、腕に、肩に、顔に…私の身体に次々と亀裂が入る。


『強制開放の…影響、か…』


何の前触れもなしに来たことに少し驚いた。いや、いきなりここまでやったから一気に来たのかもしれない。
――…痛い。
痛い。痛い。痛くて、苦しい。
身体がもたない。もう、壊れる…
ガクッと私の膝が崩れる。
身体の全てが強制開放に侵されていく。どんどん壊され、潰されていく。


『…アレンも、こんな感じだったのかな…』


私は目の前で暴れる竜巻を見る。
まだまだ大きいが、勢いが衰え始めてきている。黒白の十字架で埋め尽くされた竜巻は、先程よりもティキの姿が捉えやすくなっていた。


『…無理、かな』


私がそう言った時、懺悔の嵐が一気に弾け飛んだ。
これは私が操る技だ。操る者の力が尽きればそれは威力を無くし、一瞬にして消え去ってしまうもの。恐らく勢いが弱まったのを見計らったティキが先程のように振り払ったのだろう。
しばらくすると、技の余韻のように吹きゆく風に髪をなびかせながら歩いてくる男の姿が見えた。先程までは立派な紳士だったその男だが、もう服はボロボロでそこら中が切り傷だらけだ。まさに見る影もないが、こちらに寄って来る本人は手で顔を覆い、おかしそうに笑っていた。


「…やってくれたじゃねェかよ。クッキー少女」
『ふふ…さすがのあんたでも大ダメージだったみたいだね』
「まあな。だがお前も余裕そうには見えないぜ…?」


私はぶるぶると自分の震えている手を見る。
その震えは既に全身に広がっており、見ると指先から手の甲まで鱗がはがれるように亀裂が入っている。
もう、体が動かない。強制開放でノアに太刀打ちするのはやはり無謀だったか。
だが後悔はしていない。アレンと同じ苦しみと痛み、私も味わったのだから。
私はドサッと地の上に崩れ落ちた。
地面を覆う笹の葉のいい香りが鼻をつくが、それはすぐに鉄さびの匂いへと変わる。スーマンとの戦いもあったし、極めつけの全開放で何処か出血してしまったか。それともこの匂いの主は私の目の前にしゃがみこむ男のものだろうか。
私は視線を動かし、煙草を取り出すティキを見る。


「どうした?さっきまでとは大違いだぜ?」
『身体が、壊れ…てる。多分…もう……立てない…』


だんだん喋れなくなってきた。
認めたくはないが、私の運命はもう決まった。命が、尽きる。


「ここまでやってくれたんだ。もっと足掻けよ。スーマンみたいに命乞いしてみろよ」


――スーマン。
スーマンは確かに命乞いをした。だがそれは家族に会いたかったからだったのだ。


『スーマンは…家族の所へ帰りたかった……お前が、それを奪った…んだ』


やっと助け出した。イノセンスからも、戦争からも解放されたはずだった。
それなのにこんな奴に殺された。家族に会えなくしてしまった。


「あいつは自分で何でもするって言ったんだ。だからティーズの苗床になってもらった」
『ティーズ…?』


ティキはニヤッと笑うと不気味に光る蝶を手の中から放った。


「こいつはティーズ。千年公の食人ゴーレムだよ。こいつらは人間を食らう程繁殖して増えていく。オレの手につけて人の心臓を食わせるんだ」


――人を、食わせる…?
ティキはイノセンス以外の物質を通過させる能力を持つ。そのティキが食人ゴーレムを手に持ち人の身体に入れたりなどしたら…
私は揺らぐ瞳でひらりと舞うティーズを見る。


『まさか、それで…』
「ああ。ティーズに心臓だけを食わせてた。何人かのエクソシストもそうやって殺した。もちろん、少年も同じように」


確かにアレンの身体には傷が1つも見当たらなかった。それは、臓器をやられたから。生きて心臓だけを食べられてしまったから。生きたまま、心臓だけを…
――そう…やって……?


『……っ』


アレンは全身に怪我を負っていた。
痛くて、痛くて、痛くて、本当に苦しんだ。もう、苦しみすぎているほどだった。
それなのに、そんな殺され方までされてしまった。私は何一つ、アレンを救ってはやれなかったのだ。


『……アレン…っ』


私は歯を食い縛ってアレンの名を呼んだ。
視界がレンズのないカメラのように不鮮明になる。目に溜まった液体が、視界に映る全て物を歪ませる。


「女の泣いてる顔は綺麗だけどな、死に顔がそれだと辛いだけだぜ?」


ティキは私の喉を掴み、仰向けに押さえつけた。


『ぐっ…』
「生きて心臓だけを喰われる感覚、どんな感じだと思う?お前も少年と同じやり方で殺してやるよ」
『………』


私も、殺される。アレンのように。元帥のように。他の部隊のエクソシスト達のように。心臓を喰われるという、そんな死に方で。


「………おい」


ふいに発せられたティキの声に視線を向けると、その表情は面白くないものを見るような目だった。


「お前これから殺されるの。何でそんな顔してられんの?」
『…フン』


私の今の表情、そんなもの自分では分からない。どんな顔をしてるなんて分かるはずがない。それでも、
――…悪くない、かな…。
ふと、そう思った。何故だろう、死んでもいいと思った。
そんなこと思ったこともなかった。全てを失っても死ぬことだけは拒否していた。命を失うことが、物凄く嫌だったから。
だけど、今死ぬのも何となくだが悪くない。苦しむのは嫌。それでも、一人ではないから…


みんな、いてくれるから…


皆、きっと待っていてくれる。こんな私でも、きっと笑顔で迎えてくれる。よく戻ってきたな、と。


『…やっと……自由に、なれる……』


私は笑いながら涙を流した。
もう、解放される。使徒の道から。血生臭い戦争から。
縛られて生きてきた世界だった。自由などない世界だった。
でも、もう解き放たれる。もう、私を縛るものなど何もない。風のように、自由でいられる。
気付けば私達の周りにちらほらと黒い羽が降りてきている。不吉の象徴が、揃った。


「死を受け入れたな。つまんねェの」
『でも、ね…』
「…ん?」


私は、死ぬ。それでもただではやられてやらない。
私は力なく腕をあげ、指を天へと立てる。


「…何してるんだ?」


私は答えず、目を閉じた。


………来い。


私は指先を動かしてそれの行く先を操る。
風は、資格を持った者ならば自由に操れる。資格を持つ、私なら。


『…主の…最後の命だ。こいつを…刺せ』


私は人差し指をくいっと下に振り下ろす。


「がっ!!」


次の瞬間、ティキの苦しげな声が聞こえる。
――…やった。
私はフッと笑う。
青嵐牙でティキの背後を突き刺したのだ。まさかイノセンス以外の物に攻撃されるなど予想すらしなかっただろう。
青嵐牙は他者の干渉を受けないために真の敵以外は一切手を出さないが、逆に言えば真の敵はそのことに関係なく、確実に仕留める。
黙ってやられてやるほど素直な性格ではないものだから。
私は折り曲げていた人差し指を再び立てる。
すると青嵐牙はティキの背後から離れ、大空へと舞った。


『お前にも…自由をあげる。バイバイ』


私は親指と人差し指を同時に折り曲げ、次にピンッと天に向って弾いた。
すると青嵐牙は何処とも知らず、大空へと飛び立っていった。月明かりで輝く夜空へと…――


「…かはっ」
『ふ…ざま、みろ…』
「こんの…」


ティキは私の胸倉を掴み、タバコ臭いその顔を近づけてきた。


「少年もお前と同じ顔をしてたよ。勇敢な奴は、苦しんで死んでいけ」


ティキがティーズを手にするのが辛うじて見えた。
――…あぁ、本当に殺される…
だが最後に攻撃できただけよかったか。負けず嫌いな私なりの最後の悪あがきだ。もう、自分に出来る全てをやり切ったのだ。
私はスッと目を閉じた。




ブシュッ!!




『あ゛あ゛!!』


胸に激痛が走る。血を吐き、苦痛の声を漏らす。
切り傷のような痛みではない。心臓に穴を開けられ、血液が全身を満たしていく感覚。
苦しい。苦しい…
痛い。痛い。痛い。痛い。痛い…
アレンもこんな感じだったのか。 こんなに苦しんで死んでいったのか。死んだ者の苦しみを理解出来るのは自分の死を持ってこそ、という事実は、何と皮肉なものなのだろう。
私はふと、教団に入った時に何となく考えた時のことを思い出す。“自分が死ぬと分かっている直前、何を思い、何を考えるだろう”と。
その時はそれが何なのか全く分からなかったが、今になってその答えが分かった。分かって、しまった。
――どうして…浮かんでくるのが、みんなの顔なの…?
アレン、ラビ、リナリー、神田…教団の皆の顔が次々に浮かんでいく。
復讐のために教団に入ったはず。殺そうと思って入ったはず。
だが死を前に私が思い出すのは教団での出来事ばかりだった。私とは、一体何だったのだろう。どういう存在だったのだろう。
頭に巡るのは教団やエクソシストの残像ばかり。一体何やっていたのだろう。


《……フィーナ………》


ふと今まで流れていた映像が止まり、代わりに違う人物がそこにいた。
ニコッと笑って私のことを見つめている。
今までは、思い出して苦しんだ。身体で拒絶し、必死に振り払おうとした。
だが今はそんな負の思いは感じない。
私は心の中で笑った。
やはり、迎えに来てくれた…
――……ティアナ………
私は心の中で彼女の名を呼んだ。
そして私の意識は、闇の奥底へと落ちて行った。





第56夜end



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