上向きの三日月型に割れた口。闇の中に光る二つの目。
太い、蹄の割れた二本足。
私たちの五倍はあるようにみえる巨体は、まるで孤独な山のようだった。
【私の不思議な妖精さん 第九話】
「何……あれ……。リョウは……?」
低く唸る巨体に、ただただ竦む私。
「ご主人様、落ち着いてください」
「ルナ」
私の隣には、いつものようにルナが居てくれた。
「クエストの記述にあるのです。倒れたハンターに魔石の力が宿り、イーター化する、と」
「え……じゃあ、あれは……!」
ルナが首を横に振った。
「しかし、イーターと呼ぶには魔石の力が強すぎるようです。ご主人様。あれのことは、”ボス達の思念体が結合した邪神”とお考えください」
「そんな……そんなのって」
ルナが言葉を濁してくれたけれど、つまりあれは。
「ぐおおぉ……!」
邪神……なんて、私は言えない。
姿の変わってしまったリョウは、片手に持った巨体サイズの大剣を、私たちに振り下ろしてきた。
「きゃあっ! あいつ、なにすんのよ!」
「プリン!」
声はプリンのものだった。
そちらを向くと、隣にローズもいる。
よかった、みんなとりあえず一緒らしい。
「力を求めたなれの果て……まるでグランドソードのようだな」
「グランドソードと一緒にしないで、リョウはリョウだよ!」
私はローズの言葉を否定して、リョウに向き直った。
「どうしたら元に戻ってくれる? どうしたらいつものおっとりしたリョウに戻ってくれるんだろう」
「倒すしかないでしょう」
ルナが冷静に言う。
「もし、まだイーターになりきっていないなら、きっと戻ります。ご主人様」
ルナは私の目をじっと見た。
「信じて」
「……決まってるじゃない」
その黒い瞳に、私は何度助けられただろう。
私はルナの言葉に、強くうなずいた。
「いつだって私は、ルナ達を疑ったことないよ。
大丈夫だよね。リョウ、今から元に戻すから! ちょっと痛いかもだけど我慢してね!」
私たちは、リョウに武器を構えた。
暗い、混沌とした場所だ。黒い霧のようなもので足場もロクに見えないけど、きっと平らなんだと信じる。転ばない、転ばない。
リョウの大きな身体を、赤い光がぬらりと照らしている。
私は杖に祈りを込めた。
「パワップ!」
「マジップ!」
プリンも一緒に叫ぶ。強化の光が辺りを包んだ。
光をうけたルナが突撃していく後ろで、ローズが杖をかかげる。
「ターコルド!」
無数の氷塊が現れ、リョウに浴びせられる。それを縫うようにしてルナは走り、リョウの片足を切りつけた。
「パワップがなければ皮膚も切り裂けないっ」
ルナが舌打ちをして、足を登って飛び上がり、顔面めがけて剣を打ち込む。
しかし、相手もやられているだけではない。
巨大な剣でハエを払うように、リョウは右腕を動かした。
その動きに気づいたルナが、標的を変えてリョウの分厚い肩を足場にして背中側へ飛び降りた。
大きな空振りをしたリョウの背中に、きっとルナは剣をたたき込んでいるんだろう。そういう音がする。
「ライラーン、ライラーン!」
「ライカヅチ!」
ローズとプリンも魔法で応戦する。魔法はダイレクトヒットを繰り返す。けど、リョウは倒れる素振りをまったく見せない。
「どうしたら……」
私は考える。
リョウに向かって走りながら考える。
遠くで私を呼ぶ声が聞こえる。
ふと、あのときのことを思い出した。
リョウがオーブーンに食べられてしまって、とんでもないと思ったこと。
戦いが終わったら、リョウがオーブーンの腹から出てきたことを。
「外側が固いなら」
私は走っていた。走って、ルナと同じルートで肩まで登って、そして。
「ご主人様ーー」
小さな身体じゃなければできないこと。
妖精さんの身体じゃなきゃできないこと。
ルナの絶句を聞きながら、私はその大きく裂けた三日月型の口へとダイブした。
口の中は粘ついていて、体中がすぐにべとべとになる。
這うように奥に向かっていくと、お腹のほうへ降りる穴があった。
リョウの身体が大きく暴れてるのが、振動でわかる。
なんとか穴まで辿り着いて、滑り台を頭から滑り出すように入った。
ずるずるずるとウォータースライダーを下るように進む。
と、突然通路が終わって、
「わぁっ」
空洞に身体が投げ出された。
胃袋らしき部屋は、軽く走り回れるくらいの広さがある。
その中心の柱に、リョウは肉弁でくくりつけられていた。
「リョウ……え、っ」
近づいて、肉弁を触ると同時に、身体から力が抜ける。
「な、何?」
なんでこんなに力が入らないんだろう?
考えて、私は思い出した。
ここは胃袋らしき部屋ではなかったか、と。
「どうしよう、あるじ、あるじがっ!」
「落ち着けプリンっ」
異形の怪物に駆け寄ろうとしたプリンを、ローズが制す。
再び正面に回り込んだルナは、開いた口がふさがらないようだった。
「ご主人様、ご主人様ご主人様ぁっ!」
何度も叫ぶが、返事はない。
やがて、怪物が暴れ出す。
やむなく距離を取るルナ。三人が一箇所に固まるのと同じくして、怪物の背後から太刀のように広く大きな尾がビュルンと生えた。
「ご主人様が、消化されている……?」
「ルナ、おまえも冷静になれ!」
「冷静になどなっていられるか、ローズ!」
ルナは語気を荒げた。
「ご主人様だぞ? 神の復活されたかもしれない世界から私たちのためにやってきてくれた、私たちのお優しい大切なご主人様だぞ?! あんなわけのわからないものに喰われて、消えてなくなってしまったら……、どうするんだ……!」
「大丈夫だ、ルナ」
「なんで?!」
ローズは構えていた杖を下ろした。
「ご主人様ならうまくやってくれる。俺たちを信じてくれた俺たちの主を、俺たちが信じないでどうするんだ」
「……、でもっ……!」
剣を握る手に力が籠もる。それに、プリンが優しく手を重ねた。
「ローズの言うとおりよ、ルナ。あたしもさっきは慌てちゃったけど、あるじはダイジョーブ! あたし、わかるわっ」
怪物がルナ達にむかって走り出す。
「我らの主がお戻りになるまで、遊んでいてやろうじゃないか」
「……、無事でいてください、ご主人様」
三者は三様に、怪物に立ち向かった。
「リョウ、今助けるからね……!」
力の抜けた身体で、必死にしがみつくように肉弁に手をかける。
ぎゅううと引っ張ると、端のほうで小さく、みちみちと肉がちぎれる音がした。
「……ぬしさん?」
「リョウっ」
とっても小さなおっとりした声が聞こえて、はっとして見上げる。
薄めを開けたリョウが、私を見ていた。
「ぬしさんだぁ……へへ」
声だけで優しく笑うリョウに、私の声は震えていた。
「リョウ、リョウなんだよね? いつものリョウだよね?」
「いつものって何さぁ……」
初めてリョウとまともに話した気がする。いや、本当に初めてかもしれない。
「今、こいつを剥がすから……待って、て」
「うん」
力を振り絞って、リョウにまとわりついてるヤツを引き剥がそうと奮闘する。
「うぐぐぐぐぐ」
しかし、なかなか剥がれない。
「あのねぇ、ぬしさん……」
「なに、リョウ」
「僕、結局どうなっちゃったの?」
「どう、って」
怪物になった、なって、とてもじゃないけど言えない。
「強いて言うなら、とらわれの身、かな」
「ぬしさんってジョークうまいんだねぇ」
「冗談じゃないよ、ほんとの、ことじゃん!」
足をかけて、ぐいーっと引っ張る。
ちょっと緩んだところで、リョウがもぞもぞと動いた。
「僕ね、マスタァに遊んでほしかったんだ」
「そう言って、たね」
「でも、マスタァもおんなじこと考えてくれてたんだよねぇ?」
「うん」
それを言ったマスターは酔っ払ってたから、たぶんホントの本音だと思う。
「じゃあ」
腕が自由になったリョウは、一振りの大剣を背中から出して肉弁をざくっと切り裂いた。
辺りがぐわんぐわんと揺れる。
リョウが自由の身になった!
「僕からマスタァに会いに行かなくちゃ」
「そのとおりだよ、リョウ!」
思わず私はリョウに抱きつく。
「ありがとう、リョウ! いつものリョウだ……ホントに、ありがとう」
「……はこっちの言葉だよぉ」
「何か言った?」
「うぅん、なんでもなぁい」
リョウは構えた大剣に力を込めた。
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あとがき
次でラストです。