口説き文句
「想像してごらんよ」
 空のランチプレートを下げる給仕の少女を視線で見送った男は、己と卓を挟んでいる清楚な女に笑いかけた。
「白樺の木々に囲まれた、未だ鳥も鳴かない夜明けの湖。もやがかっていて、世界を染めようとする光は柔らかくぼやかされている。そこは、風が吹いたことさえ気づかないほどの、ひどく幻想的で隔絶された空間だ。
 そのような静謐な湖が今、目の前にあったとして、妄想族の僕はどうしてもこいつを出さずにはいられない。深い森からほとりに姿を現すのは、乙女よりも潔白で騎士よりも凜々しい一角獣(ユニコーン)だ。
 一角獣が音もなく茂みを踏み従え、流れるような所作で水面に口づけると、何人たりとも歪めることができないであろう真円の波紋が広がっていく。すると、波紋と共に朝靄が打ち払われて、気高いいななき一つを以て初めて、黎明が今日の時を刻み出すんだ。
 さて、そいつが一歩、また一歩と水鏡を渡る。黄金の蹄が自らに触れる度に、澱み黒ずんだ心すらも清める、何とも言いがたいーー僕の貧相なボキャブラリーから無理くり引っ張り出すに、わずかな金属の摩擦をもゼロにした鈴音のような音が鳴るんだ。
 音は、世界に秩序と意味を与える。もやを飛ばしたのと同じように、清浄な空気をさらに透明に、または鮮やかに彩り広がりながら、空はどこまでも高く澄み切っていて、大地は力強く生命を支えている、と、存在するあらゆるものの無意識に伝達していくんだ。
 ここまでで、君は理解できたかい?」
 何が? と口を突いて出ようとした言葉を飲み込んで、女はそっと息を吐いた。男の背後に見える青い海から男に意識を切り替え、いつの間にか気怠げについた肘を引いて姿勢を正す。
「ええ、理解できたわ。自分の世界に浸って酔いが回れば回るほど、帰りかけのお客さんも離れた廊下の家族連れも立ち止まるような声の大きさになって、慣れすぎてしまった私が疲れてあくびをするということがね」
「違う、そうじゃないっ」
 否定に声を荒げて立ち上がった男が、女の焦点がぶれそうなほど近くで指を鳴らす。同時にシュッと伸びたのは、一輪の小さな白百合だった。
「君が、僕にとって、この世に奇跡をもたらした一角獣のような、百万回輪廻転生を繰り返しても出会うことは叶わないだろう素晴らしい存在であるということだ!」
 妙に興奮の色が強い鼻息が、ふんすと鳴っている。女は痛くなった目を何度かしばたたかせ、至近距離の物体を腕ごと退けた。
「ひとこと言っていい?」
「なんだ」
「……妄想、乙」
 ぽとりと落ちた罪無き花を尻目に、女はグラスに残った昼酒を飲み干した。



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 あとがき
 わけのわからない文言を書き散らしたくて書いた即興文、でした。


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