ツイてる乙女と極悪ヒーロー【3】
道路を挟んだ向かい側、ちょうど正面に窓のある部屋が次郎の部屋。
それほど広くない道幅の距離は呼べば声が十分届く距離。
今まではすごく近くに感じていた距離は、真っ暗な次郎の部屋のせいか、今は不思議なほど遠くに感じる。
そういえば、呼んだこともあったけど、呼ばれたことの方が多かったっけ。
小学生の頃にはお互いの部屋を糸電話で繋いで、弛んでしまった糸が道路を遮って二人で怒られたこともある。
中学生の頃には宿題を写すではなく、私が回答を読み上げて次郎が書く、なんていう横着なこともした。
ただ、英語だけはいくら読み上げてもスペルが分からなくて(私の発音もかなり怪しいけれど)、結局はノートを持って私の部屋で書き写していた。
尽きない思い出はまた目頭を熱くさせてしまい、しつこく溢れ出ようとする涙を誤魔化そうと、あの頃のように名前を呼んだ。
「じーろー」
まるで犬を呼んでいるようだと文句を言ったけれど、次郎はいつも窓を開けて返事をしてくれた。
(はいよー)
そうそう。
いっつもとぼけた顔で、同じ返事をするんだよね。
まるでそこに次郎がいるかのように、頭の中でハッキリと次郎の声が聞こえてしまい、つい嬉しくて笑ってしまう。
窓枠に手を付いて、真っ暗な次郎の部屋を眺めながら記憶を辿る。
小さい頃からそれだけは変わらなくて、学校で次郎を呼ぶ時も同じ返事なもんだから、ある時には夫婦だと、からかわれたりしたこともあった。
クラスで一番可愛い女子に呼び出されて「次郎くんにベタベタしないでっ」と、文句を言われたこともあった。
まぁ、見た目がいい方だとは思うけど……。
高校に入った頃から、次郎は少しずつ雰囲気が変わっていった、もちろん良い方に。
たまに一緒に帰ることがあると、すれ違う他校の女子高生が、次郎のことをキャアキャア言うのを聞いたこともある。
でもねぇ……。
思わずため息が出てしまう。
いくら見た目が良くても、性格も頭の中も人一倍軽い事実が、すべてを台無しにしていた。
「だいたい、何が長年連れ添った夫婦よ。失礼しちゃうっつーの。私にだって選ぶ権利くらい……ってまぁ、そりゃ昔は少しはアレだったけど? それも小さい頃の話で、最近はそんなのありえないんだから。だいたい、次郎のことカッコいいとか言ってる子がいるけど、一度眼科で目の検査してもらった方がいいと思うんだよね。次郎よりカッコいい男子なんて山ほどいるじゃない」
(いやいや、花子こそ、メガネ作った方がいんじゃねー?)
「うっさいわね! だいたい花子って呼ぶなって言ってんでしょ。乙女よ、乙女! 花子なんてダサい名前で呼ばないでよ!」
ん、あれ……?
慣れたやり取りのせいか、違和感も感じず声に出していたけれど、私はどうやら相当疲れているらしい。
聞こえるはずのない、ううん……聞こえちゃいけない次郎の声を聞いた気がした。
さっきの返事もやたらハッキリ聞こえていたし、そういえば気を失う直前にも次郎の声を聞いたような気がする。
「はは、ははは……ない。ないない」
一瞬だけ過ぎった考えに、背筋がゾクリと震えてしまい、自分を抱きしめるように腕をさすり、あってはいけないことを頭から追い出そうと、強く首を横に振った。
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