緋の邂逅 第九話
「ココ……」

 デリクは最近自分がつけたばかりの心愛の愛称で呼びかけた。

 優しい声で何度呼びかけても、心愛は首を横に振りデリクの顔を見ようとはしない。

 途方に暮れたデリクは服の裾を摘まんでいた指を離し、肩の辺りまで髪の伸びた心愛の頭に手を置いた。

「ココ……ごめんな」

 それ以外に口にすることしか出来ないデリクは、気付かれないように唇を噛んだ。

「――――る?」

 俯いていた心愛が、縋るように両手でシャツを掴んだかと思うと、消え入りそうなほど小さな声で呟いた。

 今夜も同じように虫の声が一切しない静寂だったが、それでもデリクの耳に心愛の声は届かず、デリクはシャツを握る小さな心愛の手に指で触れると、もう一度と促した。

「帰ってくる?」

 瞳に涙を溜めた心愛に縋るように指を握り返されたデリクは、その手の力の強さに驚きを隠せず一瞬だけ目を見開いた。

 迷いながら何度も口を開いては閉じるデリクの前で、心愛の瞳からは瞳に溜まった涙が限界を限界を越えて頬を伝った。

 それでも辛抱強くデリクの答えを待つ心愛に、ようやく観念したデリクは「ああ」と短く返事を返すと、心愛は何度も念を押すように確認した。

「ココがいい子にしたら帰ってくる。泣き虫の奴のところには帰って来ない」

 いつまでも鼻を啜っていた心愛は慌てて服の袖で鼻水を拭った。

 頬を伝っていた涙も手の平で拭うと自慢げに胸を張ってデリクに笑って見せた。

「デリクお兄ちゃん、約束だよ」

「ああ。ココがいい子にしていられるようにお守りをやる」

 デリクは自分の左耳からピアスを外した。

 手の平の中に落とされたピアスを見て心愛は目を輝かせた。

 真っ赤に光る石は月の光も浴びていないのに、キラキラと輝き心愛の心を一瞬で虜にした。

「これがあればココがどこにいてもすぐ分かる。失くすなよ」

 デリクに頭を撫でられた心愛は落とさないようにしっかりと手を握り大きく頷いた。


 それきりデリクは本当に姿を現さなくなった。

 何日か外へ出て待っていた心愛も、いつの間にか外に出ることはなくなり、貰った赤い石のピアスを大事そうに握って毎晩のように眠った。

 あれから十年以上の月日が流れた。

 18歳になった心愛は真っ暗な空を見上げてため息をついた。

(約束したのにね……)

 約束は違えるためにあるのかもしれないと落ち込む日もある。

 ずっと一緒に暮らしていた兄が二年前、突然姿を消してしまった、あの日以来そう思う日が多くなったが、心愛は今までよりも強くデリクの事を想うようになった。

 もう支えはデリクしかいないとでもいうように……。

 心愛は袋からピアスを取り出すと、指で摘まんで空にかざすように持ち上げた。

「キラキラしないね」

 赤い石はどんよりと曇ったまま、輝きを放つことはなく心愛の心をますます曇らせるだけだった。

「ダメダメ!」

 心が折れてしまう前に心愛は立ち上がると、ジャングルジムから思い切って飛び降りて、着地のポーズを決めると胸を張った。

(必ず帰ってくるもん! あの人は違ったかもしれないけど必ず帰ってくるもん!)

 自分に言い聞かせて大きく頷いた心愛は、冷えてしまった体を震わせながら中へと戻る途中、視線を感じて振り返った。

 だが真っ暗な園の庭に誰かが立っているわけもなく、気のせいかと首を傾げながら足早に中へと入っていった。

 心愛の姿が見えなくなると、樫の木の陰に隠れていたその男は、闇夜に紛れすぐに見えなくなった。

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