『姫の王子様』
ある夏の一日'09 P7

 大きなストライドであっという間に近付く人影。

「篠田……くん」

「あー貴俊、ちょっと落ち着けよ」

 拓朗の背後に立ったと思ったらあっという間に拓朗の腕を掴みひねり上げ、自由になった祐二の体を引き寄せて自分の背中にかばうように立った。

 沙希や珠子が通う私立青稜学園の生徒会長――篠田貴俊。

 雅則と兄弟のはずだが茶髪に軟派なイメージの雅則に対して、貴俊は黒髪で大人びた顔立ちだが穏やかな笑みを絶やさない正統派王子。

 だがいつもの柔らかい印象は消え、冷たい双眸は真っ直ぐ拓朗を睨み付けている。

「……ってぇ、次から次へと何なんだよ!」

 拓朗はひねり上げられて痛めた腕を擦りながら貴俊を睨み付けた。

 祐二を庇いながら立つ貴俊はまっすぐ拓朗を睨み付け、拓朗の鋭い視線を受けても怯むことなく睨み返して来る。

 拓朗はムッとしながら腕の調子を確認するように肩を回していると、冷えていく場の空気に割って入るようにして雅則が二人の間に立った。

「あーえっと……これが俺の弟」

「雅則の弟!? これが!?」

 拓朗が驚くのは無理もない、誰が見てもまるっきり対極に位置している。

「祐二……大丈夫? ちっとも戻って来ないから心配したんだよ」

「テテテ……。ボール取りに来たら雅兄がいたから喋ってたら頭グリグリされたー」

 せっかくこの場を取り成そうとしている雅則の気遣いも空しく、貴俊はまったく聞こえていないフリをして祐二の顔を覗き込んだ。

 涙目の祐二がこめかみを押さえるのを見て、貴俊の怒りのオーラは増し拓朗だけではなく雅則も睨み付けた。

 久々に弟から向けられる本気の怒りに雅則の顔がヒクッと引き攣る。

 普段から穏やかで大抵のことは怒らないよく出来た弟、ただ一つの欠点はある一つのことになると常識も何もかも通用しなくなることだ。

 今回……拓朗はその地雷を思いっきり踏んだ、しかも貴俊の目の前で。

「貴俊ー、これにはちょっと理由があってな? なんていうか祐も自業自得というか……」

「だからって暴力を振るっていい理由に?」

「落ち着けよ。確かにそれが暴力を振るう理由にはならないが、祐二も決して褒められるような言動はしていない」

 顔からふざけた色を消して対応する雅則に貴俊の表情からほんの少し怒りが薄れた。

 見守るように黙っていた沙希が何か言おうとしたが、それを遮るようにして雅則は一歩前に踏み出す。

「何も本気でやったわけじゃない。お前もこれくらいで血相を変えるな、分かったな」

 これは拓朗と沙希には聞こえないように小さな声で囁いた。

 すぐ側にいた祐二にはもちろん聞こえたが、雅則の言った言葉の意味は祐二にも関係することなので構うことはない。

「貴俊……俺が……その……」

 祐二が説明しようとするが上手く言葉が出て来ないのを見て雅則は二人の肩に手を置いた。

 そのまま二人を押して歩くとポンと肩を叩いて兄らしく二人を送り出す。

「お前達は遊んで来い! 夕方には海の家まで迎えに行ってやる」

 まだ何か言いたそうな貴俊は振り返ったが、ちょうどその時に友達に大きな声で呼ばれた祐二が掛け出すと貴俊もその後を追うように走り出した。

 二人の後ろ姿を見ながらホッと体の力を抜いた雅則は振り返り微妙な顔をして立ち尽くしている二人に苦笑いをした。

「弟どもがご迷惑をかけました」

「まったくだ……」

 素直に頭を下げる雅則に少々面喰った拓朗だったが、その潔さはやはり気持ちが良く不満そうな物言いをしつつもそれ以上は何も言わずにレジャーシートに腰を下ろした。

「沙希ちゃんも、なんかごめんね」

「あ……いえ」

「祐にはちゃんと説明しておくから」

「はい。でも……ビックリしました、篠田君のあんなとこ初めて見たから……」

「んーちょっと色々あってね。でも良い奴だから今まで通り接してやってね」

 弟思いの兄らしい言葉に自然と沙希の顔が綻んだ。

 完璧ともいえる生徒会長の本来の姿をほんの少しだけ垣間見てしまい驚いたけれど、近寄りがたかったイメージしかなかった相手だけにそれはいい意味での驚きになった。

「あー沙希ちゃん、カキ氷……溶けちゃったね」

「あ……ほんと」

 すっかり水に戻ってしまいカップの中にピンクと黄色の水が溜まっているのを見て三人は思わず吹き出した。

「せっかく買ったのにもったいないなー。とりあえず……沙希ちゃん飲んでおこうか」

「えー飲むんですか!?」

「そうだよー。頭の中でカキ氷をイメージしながらこうやって……」

 いつの間にか和やかな雰囲気になっている。

 拓朗はさっきまでのギスギスした空気は何だったのか首を傾げ、ふと随分前に連れ立って海へと向かった珠子と庸介は今頃何しているんだろうと海へと視線を走らせた。


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