『姫の王子様』One step P13
料理研究家としても名が知られている保志の妻が庸介のために予約した店は、小じんまりしたイタリアレストランだった。
大急ぎで二人分の服を選んだおかげで、二人はそれなりの格好で予約の五分前に店に着くことが出来た。
「よ、庸ちゃん……ここ高そうだけど、本当にここで大丈夫? あのね……私ファミレスとかでいいよ?」
店構えはそれほど立派ではないが、外から店内を覗くことが出来ないこととライトアップされた入口のせいか、珠子は心配そうに声を潜めて庸介の袖口を引いた。
(俺をタクと同じだと思ってるな……)
まだ学生の拓朗と早くからモデルの仕事をしている庸介とでは、自由に使える金は違う。
例えそうじゃなかったとしても庸介はどんなに見栄を張ってでも、きっとこういう店を選んでいた。
「せっかく彼女が東京に遊びに来たのに、ファミレスなんか連れて行きません」
「ふぇ?」
「タマ、分かってるか? いつもみたいに晩飯食いに来てるわけじゃないんだぞ。これはデート、だろ?」
「あ……そっか、デート……庸ちゃんと、デート……へへへっ」
(おいおい……デートじゃなかったら、何だと思ってたんだよ)
確認するように口の中で呟いてから恥ずかしそうに笑う珠子に不安を感じたが、珠子の小さな手が自分の手を遠慮がちに握るのを見てホッとした。
いつもは小さい頃からの延長のような感じでなかなか恋人らしい雰囲気にはならない、それはそれで肩肘張らなくて気楽だと思う一方で、たまには恋人らしい雰囲気も味わいとも思う。
今回は誰にも邪魔されず二人きりの時間を過ごせるし、絶好の機会だと思って店選びもそっち方面に詳しい保志の妻を通じてお願いしたくらいだ。
「タマ、腹減ってるか?」
「もうペコペコだよ!」
さっきまで緊張していた珠子がようやく柔らかくして自分の腹を撫でながら笑った。
これで美味しい料理を食べれば大丈夫だろうと、安心した庸介は珠子の手を引いて店へと入った。
「予約している……」
「おぉ! 来た来たー」
入口で応対に出た店員に名前を告げようとした庸介は聞こえて来た大きな声にギョッとして顔を上げた。
(ゲッ……なんで……)
手を振りながら歩いてくるのは数時間前に電話で話していた保志だった。
トレードマークのアロハも頭のてっぺんで揺れる花付きのゴムもなく、Tシャツにジャケットという普通の格好で現れた。
(何でいる……というか、何で声を掛ける!)
偶然出会った感じならまだしも、いかにも来るのを待っていたという保志の態度に庸介は嫌な予感がした。
「待ってたぞ! といっても時間ぴったりだな、すげぇなお前」
「保志さん……何でここにいるんですか」
「何でって……飯食うためだろ」
「そうじゃなくて! 何でココの店に居てワザワザ声を掛けるんですか!」
「そりゃあ……お前、一緒に飯を食うからだ」
「ハァ!?」
当然とばかりに胸を張る保志に庸介は額に手を当て、やられたと俯くと隣でポカンとしている珠子と目が合った。
(くそ……せっかく二人きりで良い雰囲気になって、この後ちょっと夜景でも見てとか考えたのに……このオッサン余計なことしてくれやがって……)
声に出したい恨み言を胸の中で吐き捨てるように言い、それから珠子の視線に合わせるように腰を屈めた。
「庸ちゃん……、あの……」
「えっと……タマ、悪い。この人は……」
説明しようとした庸介は隣にいた保志に突き飛ばすように割り込まれ、あっという間に珠子の前から弾き出された。
代わりに珠子の前に経った保志は庸介がしたように腰を屈めると、顎に手を当てじっくり顔を覗き込みそれから少し離れて全身を見て、また腰を屈めるとパッと顔を綻ばせて珠子の頭をポンポンと叩いた。
「この子がヨウの子猫ちゃんか! んー想像してたよりずっと可愛い。いやぁ……本当にちっちゃいなぁ」
「え、え……っと」
見知らぬおじさんと顔を突き合わせることになった珠子は動くに動けず、勢いに圧倒されながらチラッと庸介を視線だけで追った。
「ちょっと……保志さんっ」
庸介は二人の間に割って入ろうとしたが、鍛えられた腕にあっけなく押し返されてしまった。
(あぁ……もう最悪だ)
何もかも予定通りに行かないことに今日は厄日かと思いたくなる。
「あぁ、紹介が遅れてごめんねぇ。お兄さんはヨウと一緒に仕事してる……」
「エツくんっ! そんなに近付いたらビックリしちゃうでしょ! 離れなさい」
困惑する庸介と珠子に構うことなくマイペースで自己紹介をしようとした保志の後ろからよく通る声が下りて来た。
「ああ……陶子さん!」
現れたのは保志の妻で料理評論家の保志陶子(ホシトウコ)、ふくよかな体つきと優しそうな顔立ちはとても怒っているようには見えないが、五歳という年齢差のせいか保志はパッと珠子から離れ陶子の隣に並んだ。
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