『姫の王子様』One step P10
珠子にとっては宇賀村宙という名前よりも、彼が吹替えをしているアニメの鹿沼次郎(カヌマジロウ)の方がずっと馴染みがある。
通称「ジロちゃん」と呼ばれる彼が出てくるアニメは『ツイてる乙女と極悪ヒーロー』というタイトルで、ファンの間では『ツイゴク』と呼ばれてアニメの第二シーズンの放映が決定されたばかりだった。
今日はそのアニメのイベントでさっきまで舞台の上には彼が「ジロちゃん」役として立っていたのだ。
どうして今の今まで気付かなかったのかと呆れながら目の前にいる宙の顔をマジマジと覗き込んだ。
「嘘だぁ……」
「いや、ホントだし。オメェ……まだ信じてねぇのか?」
「うわぁ……本物だぁ」
今のセリフはまさに幽霊になったジロちゃんがヒロインで幼馴染の花子の部屋で言ったセリフそのまんまだった。
感動のあまりポカンと口を開けていると彼は手にしていた帽子を被って立ちあがった。
「それで……お友達とはぐれちゃったんだろ? 大丈夫なわけ? 俺もそろそろ次の仕事の時間なんだけど……」
「あーーーっ!! どうしようっっっっ!」
一番大事なことを忘れていたことに慌てて立ち上がると、一体さっきの会場はどっちの方向なのかグルグルと辺りを見渡した。
「はい、落ち着いてー。深呼吸ー! 吸ってー、吐いてー、はい吸ってー! ゆっくり吐いてー」
ジロちゃんのようでジロちゃんじゃない声は気持ちがいいほどスルッと耳に溶け込んでくる。
言われた通り深呼吸をした珠子は気持ちが落ち着くと、彼に向かって頭を下げながらお願いをした。
「イベントの会場の場所、教えて下さいっ」
「待ち合わせはそこ?」
「はい」
きっと今頃必死に探してくれているはずの庸介の姿が頭に浮かぶ。
自分がウロウロしてしまったおかげで、きっとすごく心配しているだろうし、もしかしたら兄の拓朗にも連絡がいったかもしれない。
兄に許して貰えないかもしれない、そう思うと悲しくなったが、今は何よりも庸介と会うことが大事だった。
「すぐ近くだよ。そこの道をあっちに真っ直ぐ歩けばあるから、今度は迷いようがないと思うよ」
「あ、ありがとうございますっ!」
「いえいえ。それで……気分は大丈夫? 待ち合わせ場所に着くまでにまた倒れたら大変だよ」
「はいっ、もう大丈夫ですっ!」
「そう、良かった。それじゃあ……俺はこれで……」
「はい。本当にありがとうございました。そっ……それと……あの頑張って下さいっ!」
先に歩き出した宙に向かって珠子はもう一度深々と頭を下げる。
(あぁ……本当に夢見たい……)
もしかしたらまだ夢の続きを見ているのかもしれないと思ったが、軽い足音が戻って来て視界にスニーカーが飛び込んで来たのは、紛れもない現実。
夢見心地のまま珠子が顔を上げると、宙は真剣な表情をしながら珠子と視線を合わせるために腰を折った。
「大事なこと聞き忘れちゃった」
「大事なこと?」
「そ。君は……ジロちゃん派? それとも……嵐(ラン)派?」
真剣な表情をして何を聞かれるのかと身構えた珠子だったが、宙の口から出た言葉に思わず吹き出した。
「わーらーうーなっ! ここは大事なとこなんだぞっ!」
嵐というのはタイトルの中にもある『極悪ヒーロー』のこと、花子は偶然知り合った性格の悪い嵐を毛嫌い。花子のピンチには必ず嵐が助けるけれど絶対にそのことを気付かせない、色々と謎が多い役柄の男の子。
「は、はいっ……すみません。あの……私はジロちゃん派です。嵐様もカッコイイんですけど……ジロちゃんのお調子者で頼りないのに、時々言う男らしいセリフとかたまに見せる寂しげな表情とかすごく好きで」
「うーん……嬉しいんだけど、なんか君の感想を聞いてると微妙な感じ」
アニメに出てくるジロちゃんを頭に浮かべながら嬉しそうに好きな所を挙げる珠子に宙は複雑な表情を浮かべた。
(あれ……変なこと言ったかな?)
決して嫌なことは言っていないはず、むしろすごく褒めたつもりだっただけに、どうしてそんな感想が出るのか珠子には理解出来なかった。
「それは……俺の声も込み?」
「え?」
「だーかーら……俺の声も好きだから、好きなんだよねっ?」
「も、もちろんですっ! すっごく大好きですっ!」
「やったっ! 今日のイベントでもさぁ、嵐様嵐様って凄かっただろー? なんかへこんでさぁ、でも今の聞いて元気出た。少なくとも一人は大好きだって分かったから!」
本当に嬉しそうにヨシッとガッツポーズをする宙はまるで同級生のような感じさえする。
テレビ見るよりもずっと子供っぽい感じの宙に珠子は今までよりもずっと親近感が湧いた。
「じゃあね!」
宙は手を振りながら駈け出していく、珠子が振り返すと、ニカッと笑って背を向けて公園を飛び出して行った。
「うわぁ……すごい……夢みたぁーい。…………あっ! サイン貰えば良かったぁぁぁぁっ!」
初めて有名人に会ったからか、ようやくそのことに気付いた珠子は頭を抱えたが、庸介のことを思い出すとすぐに教えられた方へと駈け出した。
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