『いつかの夏へ』
1
ピピピ…ピピピ…ピピピ…
「んー…」
遠くの方で聞こえていた電子音が徐々に大きくなる。
眠りから覚めて頭の中にかかった霞がゆっくりと晴れていくとようやくその音が携帯の着信音だという事に気付いた。
(誰…もぅっ…)
重い頭を抱えるようにして起き上がる。
ぐるりと辺りを見渡しても携帯が見当たらずに耳を済ませて音のする方へと這った。
鞄の中からようやく携帯を取り出すと液晶に表示された名前を見てため息を吐いた。
【着信 アヤ】
会社の後輩からだった。
5歳も離れているのに何となくウマが合い飲みに行ったり遊びに行ったりしている。
27歳になると周りは結婚していく友人達が増えて今や貴重な独身仲間の一人でもあった。
このまま無視したい気持ちを我慢してボタンを押した。
「もしも…」
「おっはよーございまーす!」
言い終わらないうちに耳をつんざくような甲高い声がビリビリと鼓膜を刺激した。
思わず顔をしかめて携帯を遠ざける。
アヤには悪気はないのだろうけど二日酔いの頭には凶器としか言いようがない。
「…もーし!もしもーーーし!」
まるで携帯が喋ってるみたいに声が聞こえてくる。
こめかみを押さえながら携帯を耳に押し当てた。
「ごめん…何?」
「もーぅ!聞いてなかったんですかぁ?」
「ごめんね。んで…何だった?」
「今日の夜、谷くん達と飲みに行くんですよーお店はいつもの所で8時からですっ」
アヤの同期の谷くん達とは飲み仲間だった。
アヤも谷くん達も媚びる事のないさっぱりした性格で年齢に関係なく付き合えている。
(気晴らしには最高なんだけどね…)
「真ー子ーさーん!聞いてます?」
ボンヤリとしていると音が割れるほどの大音量で名前を呼ばれた。
「ごめんね…パス」
「エーーッ!!何でですかぁーーっ!」
一段と高くなった声が頭の中で反響する。
「二日酔い。また今度ね」
「えっ…ちょ、ちょっ…」
電話の向こうでアヤが何か叫んでいたけれど構わずに切ると携帯をベッドへ放り投げた。
(…二日酔いだけなら行ったくせにね。下手な嘘だったかな)
重い体を引きずるように風呂場へと向かった。
ぬるめのシャワーを頭から被ったまま立ち尽くした。
シャワーと一緒にアルコールもこの気持ちもすべて流してしまえたらどんなに楽になれるんだろう。
この胸の痛みが心の傷だというなら傷が癒える日は来ないのかもしれない。
「もう平気だと思ったんだけどな…」
誰に言うわけでもなく独り言を呟いた。
平気だと思っていたわけじゃなくて平気だと思い込むようにしていた。
笑うんじゃなくて笑うようにしていた。
そうやってこの10年を過ごして来て今年もいつものように夏を迎えようとしていた。
そう昨日まではまた同じ夏が来るはずだった。
昨日…突然の再会をしたあの時までそう思っていた。
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