年末の風景2君の隣

 ストーブの上のヤカンがシュンシュンシュンと忙しなく音を立て、大して面白くもないテレビ番組にチャンネルを変える指も忙しない。

「祐二!! 食べ散らかさないで!!」
「へいへーい」

 テレビの前、毛足の長いホットカーペットに腹ばいになって、スナック菓子を口の中に放り込む。パリパリと良い音を立てて、言われた側から食べかすがカーペットを汚していく。

「あー暇だー」

 チャンネルを変えることに厭きて、緩みきった猫のように四肢をだらりと伸ばして仰向けに転がった。
 視界に映った天井には昨日自分が磨いたシーリングライト、脚立なんて立派な物がないから50センチもない踏み台に上がり、狭い足場の上でつま先立ちになった。

「俺、すげー頑張った」

 たとえそれが母親に尻を蹴られそうになったからとか、お気に入りのゲームを取り上げられそうになったからとか、今年の年越し蕎麦を海老天ではなくニシンにすると脅されたからとか、胸を張れる理由は一つもないけれど、すべての部屋のシーリングライトを磨いたことは誇ってもいいはずだ。

 大掃除は昨日のうちに終わっている。年末はのんびり過ごしたいという母の鶴の一声によるものだったが、当の本人は朝からダイニングテーブルに張り付いて動かない。
 今も難しい顔をしている母親に、仰向けから腹ばいになって声を掛けた。

「なーなー、なんで今年はカニなんだよー」

 毎年、隣の家と合同でしている忘年会のことだ。
 去年のピザは最高に良かった、ただボリュームのないピザってのは少々物足りない気もしたが、食べ放題のジェラートが最高に美味かったことを思い出す。

「嫌なら留守番してなさい」
「別に嫌とかじゃねぇしー。つーか、俺は焼肉がいいっつったじゃん。何で却下されんの?」
「お兄ちゃんしつこいよー。多数決で決まったんだから諦めなよ」

 母親の隣にいた妹の琴子の偉そうな物言い、イラッとしたけれどいつものことだし、兄の威厳を振りかざせるほど兄らしい兄じゃないだけに、あまり強気に出られないのが現実だ。

「ハア!? お前だって、鍋がいいって言ってたじゃん。何だっけ、コラーゲン鍋?」
「もう食べたからいいんですー」
「ハアアア!? 俺、食ってねぇし!」
「お兄ちゃんにコラーゲンなんて必要ないでしょ。この前、お母さんとおばさんと三人で行って来たもんねー」

 この前というのはきっと三日前のこと、「夕飯用意してないから、貴俊君とおうどん食べに行ってねー」と、ハートマークが散りばめられた母親からのメールが届いた日だ。
 何でうどん? どーせならハンバーガー食ってやると思ったのに、家に帰ったらテーブルの上には駅前のセルフうどんの割引券と500円玉、がっかりして数秒立ち直れなかった。
 夕飯なんだからせめて千円は用意して欲しかった、確かに割引券を使えば500円でも十分に腹は満たせるが、気持ちはまったく満たされないという男子高校生の気持ちを察してくれ。

「カニって面倒なんだよなー」

 コラーゲン鍋のことは羨ましくはない、うどんもそれなりに美味かったからそれでいい、問題は今日の夕飯だ。
 気持ちを切り替えてみたものの、カニの身をチマチマと取り出す姿を想像して、食べる前からゲンナリしてしまった。

「お兄ちゃんの好きなカニグラタンあるらしいよー」
「マジで!? それならいいかー。つーか、どうせカニの身は貴俊がやってくれるだろうしなー」

 幼なじみという枠を超えて恋人同士になった貴俊の顔を思い出す。昔から男のくせに気が利くやつで、まだ恋人という関係になる前にそういうところも女にモテる一因なんだろうと親友の日和にボヤいたことがあった、その時の日和には呆れた顔で「何も知らないって罪だよね〜」と言われてしまった。
 あの時は意味が分からなかったけれど、恋人という立ち位置になってようやく理解した。
 学校では生徒会長で品行方正、気配りが出来る上に誰にでも優しい。完璧な男と思われがちだが日和が言うには「ぜんぜん違う。みんなにも優しいけど、祐には優しいっていうより尽くしてる」らしい。
 自分だけに向けられる感情は恥ずかしいけど気持ちいい、何ともいえないモジモジと落ち着かない感覚は、つい乱暴な態度や口調で誤魔化してしまう。

「くそっ……」

 今も思い出しただけで何だかムズムズする、何でもない時に貴俊のことが頭に浮かぶ自分の恥ずかしさに耐え切れず、ジタバタしているといつの間にそばまで来たのか、琴子が上から覗き込んでいる。

「何してるの、お兄ちゃん」
「……何でもねぇよ」

 今さら取り繕ったところで遅いが、起き上がりあぐらをかいて座りなおすと、琴子は目の前に五千円札を突き出してきた。

「なに、くれんの?」
「そんなわけないでしょ。プリンタのインク買ってきて、お兄ちゃん」
「はあ? 自分で行ってこいよ!」
「私はまだこれから自分の年賀状作るの。どうせお兄ちゃん暇でしょ、行ってきてよ」
「俺だって色々とやることあんだよ」
「色々って?」
「い、色々は色々だよ!」

 琴子は同じ親から生まれたとは思えない、貴俊と同じように口も頭も良く回る。子供の頃ならともかく中学生になってからは口で勝てたことはない、腕力なら……とも思うけれど、年下のそれも女に手を上げるなんてことはさすがに出来るはずもなく、どんな時も結局折れるのは自分の方だ。

「……帰りに買い食いしてやる」
「はいはい。何でもいいから行って来なさい。あまり遅くならないでよ?」

 唸るように答えればテーブルの上のパソコンとプリンタから視線を外さない母親にも言われ、女二人に勝てるわけもないと知っているからこそ、渋々立ち上がると五千円を持つ琴子と目が合った。

「お前……」

 また背が伸びたのか、という言葉は呑み込んで、同じ目線にある琴子を軽く睨みつけてから五千円を奪い取った。
 どうやら俺は身長でも妹に負ける日が来るらしい。
 受け入れたくない現実から逃げるように足早にリビングから出て、脱ぎっ放しにしていたダウンジャケットを腕に引っ掛けた。

「ううっ、さみっ」

 暖房の効いた部屋にいた体に冷たい風が突き刺さる、風を少しでも防ごうと首下までジッパーを上げたダウンジャケットに唇の半分ほどまで埋め込んだ。
 無防備な耳だけは寒さで痛いけれど、いくらかマシになったところで背を丸めて歩き出すと、聞きなれた声が自分の名前を呼んだ。

「祐二!!」

 何てタイミングでここにいるんだ。
 浮かんだ疑問をこっちに向かってくる本人にぶつけようかと思ったが、聞かなきゃ良かったと思うような返事が返ってくるに違いない。

 貴俊なら自分が出てくることを予知出来たって不思議じゃない、本当に怖ぇよストーカーかよ、なんて思いつつも、嫌だとは思わないのだから自分もいよいよ重症なのかもしれない。


end


prev | next

comment
戻る
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -