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恋をするということ
目の前に運ばれてきた料理に伸ばしていた箸を止めた。
巡は箸を置いてグラスを手に取ると、正面から向けられる視線を睨み返した。
(もう、さっきから何なの!?)
目の前に座るのは白石亮太郎、隣に座る兄・佐々木尋の親友、そして……巡の恋人だ。
巡はいつものように、アルバイトを終えた二人と一緒にファミレスに来ている。
亮太郎と付き合い始めて日も浅く、未だにその距離感を掴みかねていた。
ファミレスで席を選ぶ時、今までなら迷うことなく兄の隣を選んでいたのに、それが正しいのか分からない。
隣同士は近すぎる気がして、どうしても避けてしまってばかりいる。
「どうしたの、めーぐるちゃん?」
付き合い始めてから呼ばれるようになった愛称も、なんだかくすぐったくて仕方がない。
「あ、あんまり……ジロジロ見ないでよ!」
(あー、またやっちゃった)
恥ずかしいだけなのに、つい可愛くないことばかりが口から出る。
周りの女の子みたいに、恥ずかしそうにはにかんで、嬉しそうに笑えたらと思うのに、なかなか思うように出来ないことが歯痒い。
可愛くないことばかりを言ってしまうのに、亮太郎はいつだって嫌な顔一つ見せないし文句も言わない。
その話を友達のひなと千夏にしたら、二人とも声を揃えて「年上の包容力」とか言って、キャアキャア騒がれてしまった。
(包容力とかよく分かんないし、いっつも子供みたいだし……)
「前から言おうと思ってたけど、巡ちゃんが食べている所、好きなんだよな」
「な……っ」
「箸の持ち方は綺麗だし、美味しそうに食べるから可愛い」
(また恥ずかしいこと言った、しかもお兄ちゃんの前で!)
あまりの恥ずかしさに持っているグラスを投げつけたくなった。
こういうことになってから、「可愛い」という単語を聞く回数が爆発的に増えた。
本当に信じられないことばかりが自分の身に起きるし、年上の恋人は信じられないほど恥ずかしいことばかりを言う。
世の中の彼女の皆さんが、どうやってこの恥ずかしさを耐えているのか本当に不思議。
「どーでもいいけど、お二人さん。俺もいることをお忘れじゃ? もしかしてお邪魔虫なら、先に帰ろうか?」
持っていたフォークを振って、亮太郎と巡の二人を指した尋に、巡は慌てて首を横に振った。
「じゃない! お忘れじゃない! 帰らなくていいっ! 帰らないでっ! 帰っちゃだめっ! 一緒にいてくれなくちゃやだっ!」
「はいはい、分かったから。巡はご飯の続き」
テーブルへ乗り出して、必死の思いで引き止めると笑われて、ほとんど中身の減っていない皿をフォークで指されてしまった。
大人しく箸を手に取った巡は、視線に気付いて顔を上げた。
「じゃあ、俺は? 帰った方がいい?」
同じ質問をして、意地悪な顔をして笑う亮太郎に、また正面から視線を向けられる。
「……ま、まだ、ご飯残……ってる、じゃん。残したらいけないんだよ」
帰らないで欲しいと思っていても、気持ちを素直に口にすることはやっぱり難しい。
「じゃあ、俺も飯の続き」
笑った亮太郎が箸を持って、食事を再開したのを見て、巡はホッと息を吐いた。
こういうことにいつ慣れるのか、いつか慣れる日が来たら、二人で食事をすることも平気になるのか、今はまだ分からない。
分かっていることは、箸を持つ度に、食事をする度に、亮太郎の言葉を思い出して、胸がいっぱいになってしまうということだけ。
end
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