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『先生、恋に落ちる』

 約束の時間よりもかなり早く着いてしまい駅前のロータリーの隅に車を止めた。

 タバコを吸うためにほんの少し窓を開けると冷たい空気が車内に流れ込んで来る。

(そういえば……あの日もこんな感じだったよな)

 シートにもたれながらガラス越しに見える曇天の空を見上げ、ゆっくりと煙を吐き出しながらあの日のことを思い出す。


「北倉先生、ここ禁煙ですよ」

「ハハハ……」

 体育教官室でこっそりタバコを吸っているところを見つかってしまった。

 笑って誤魔化そうとしていると「換気、しておいて下さいね」とだけ言って部屋を出て行ってしまった。

「ったく……喫煙者も肩身が狭くなったもんだ」

 世の中の風潮に合わせて学校でも分煙が進み、喫煙者が少数しかいないからと喫煙所は職員駐車場の片隅にされてしまった。

「この寒いのにあんなとこで吸えるかよ」

 ブツブツ文句言いながら窓際へ寄ると窓を開けた。

(さむっ……)

 強い北風が部屋の中へ押し寄せて来て思わず身体を震わせる。

「うわ……マジかよ」

 朝からどんよりと曇っていた空からは白い綿のような雪がフワフワと舞い下りて来ている。

 ところにより雪、なんていう弱気な天気予報が当たってしまったらしい。

 降り出してしまった雪を見上げていた俺は子供みたいにワクワクして、タバコを咥えたまま窓から手を差し出して舞い下りる雪に触れようとした。

(明日積もったら……授業雪合戦ってのも悪くないな)

「うわぁーーー! 見て見てー! 雪だよーーっ!」

「分かった分かった。もうこんなに寒いのになんでそんなに元気なのぉ?」

「だってー! 雪、降ってるよー!」

 跳ねるような元気の良い声に思わず視線が動いた。

(アイツ……)

 両手を広げて雪を手の平で受け止めようとしている女子生徒、キャラメル色のダッフルコートに赤いチェックのマフラー姿は見覚えがあった。

 二年の香坂奈々、一年の時に授業を受け持っただけでそれ以降は何の接点もなかった。

 それなのに記憶にしっかり刻まれている原因を思い出して、俺は向こうから見えないように体を隠しながら香坂を見た。

(こんなオヤジのどこがいいんだか……)

 面白半分でバレンタインのチョコを俺のところに持ってくる生徒は多い、一個も貰えないよりはいいかと遠慮せずに貰っていたけれど……。

 ――ほ・ん・め・いチョコですから

 そう言ったのは今年も昨年も香坂ただ一人。

 昨年は適当にあしらった、まだ記憶に新しい今年はそれが出来ず、しかもその日のうちに貰ったチョコチップクッキーは空になった。

(手作りってヤバイだろ)

 他の生徒も手作りのチョコを持って来たりするが「彼氏に作ったのが余った」だの「形が悪いから」だののありがたい説明付きだ。

「奈々ー! 転ぶよぉ?」

 声がだんだん近付いて来る、俺はカーテンの陰に身を隠して外の様子を窺った。

「平気だよーっ」

 香坂の楽しそうな声、普段は大人しそうに見えるがどうやら友達の前ではそうでもないらしい。

(おいおい……マジで転んでも知らないぞ)

 手を広げたままクルクル回って歩く香坂の足元が心配で仕方ない。

「雪ってーなんかワクワクするーっ」

「なーにーワクワクって」

「分かんないけどワクワクするの! 明日起きたら積もってるといいなぁー」

「奈々ってば小学生みたーい」

 二人ははしゃぎながら俺の前を通り過ぎていく。

 香坂は部屋の前を通り過ぎる時にチラッとだけこっちを見たがどうやら俺には気付かなかったみたいでそのまま歩いて行った。

(な……んだ、これ)

 窓が全開の部屋は寒いはずなのに顔が熱い、いつもより早い胸の鼓動がやけに大きく聞こえる。

 頭の中に浮かんでしまったありえない理由に思わずズルズルとしゃがみ込んでしまう。

(まさか……そんなこと……相手はガキだぞ)

「北倉先生、隠れて吸ってもダメですよ」

 部屋に入って来た他の先生にも気付かずに俺は頭を抱えて呟いた。

「嘘だろ……それ、マズイだろ……」

「えぇ、マズイですよ。生徒じゃないんですから隠れて吸うなんてみっともないですよ」

 呆れた先生の声に言葉を返すことも出来なかった。


(恥ずかしい過去思い出しちまった……)

 今にも雪が降り出しそうな空を見上げ、俺はあの時と同じように熱くなっている頬を手で押さえた。

 ――コンコン

 小さな音がしてパッと振り返ると助手席の向こうに奈々の姿。

「すいません、遅くなっちゃいました」

「俺も今来たところだ」

 そう言いながら咥えていたタバコを灰皿に押し付けて、山盛りのタバコの吸殻に気付いた俺は見られないようにと蓋をした。

「奈々、雪……降るといいな」

「はいっ! 降って来ないか今日は空ばっかり見てました!」

 あの日からもうすぐ二年、今年も本命をくれるのは一人しかいないだろう。

end


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