愁雨 1
 美凰とリボーンが向かった先は並盛でも超有名なケーキショップ『ラ・ナミモリーヌ』であった。
 ここは店の奥が喫茶コーナーになっていて、美味しいケーキを目当てにいつも人が溢れている…。

「美凰さん! まあまあ、なんてお懐かしい!」
「奈々! 本当に…」

 既に待ち合わせ場所に姿を現していた沢田奈々は美凰の姿を見た途端、涙ぐみながら席を立ち上がった。
 そんな奈々に駆け寄り、美凰は再会の喜びを表しつつ彼女の肩を抱いた。

「もう二十年近くになるかしら?」
「そうですね。家光さんとわたしが結婚する前でしたから…」

 二人は互いにうふふっと笑いあいながら椅子に腰掛けると、紅茶とケーキを注文した。

「家光はお元気?」
「はい! 相変わらず世界中を飛び回ってますけどね」
「お幸せそうね…」
「あらいやだ! うふふ…」

 美凰は眼を細めながら、嬉しそうに奈々を見つめた。

「処で美凰さん…、あのう…、うちのツっ君とディーノ君の従兄妹の麗ちゃんのことですけれど…」

 奈々の不安げな問いかけに美凰は困ったとばかりに苦笑した。



 同盟を寄り強固なものとする為にと、どちらからともなく提案された政略結婚。
 次期ボンゴレ10代目沢田綱吉と先代キャバッローネの姪であり、現キャバッローネのドンであるディーノの従兄妹、風花麗の婚約を成立させ、高校を卒業と同時に結婚の上、イタリアへ移住させること。
 美凰がティモッテオ・ボンゴレ九世から、麗の後見人として依頼された事項である。

「そのことなんだけど…、わたしも正直な処困っているの。ティモッテオと亡きロベルトのご依頼だけど、当人達にその気がなければどうすることも出来ないでしょう? 現に…」

 日本に来て並盛中学に転入した途端、麗は同じクラスの山本武という男子生徒にすっかり夢中の様子であった。
 リボーンに確認した処、彼はボンゴレの“雨の守護者”で将来有望な剣の達人の上、性格も温厚で人望もあるとのこと。
 無論、ボンゴレ10世である沢田綱吉にも同じクラスに思いを寄せている可愛い女の子が居るらしい。
 青春真っ盛りの子ども達の感情に、余計な問題を引き起こしたくないのが美凰の本意であった。

「わたしは…、家光さん同様、息子には思うままに生きて欲しいと思っているの」
「奈々…」
「わたしに出来ることは、息子と息子の仲良しのお友達が常により所になれる様な“ホーム”を作ってあげることだけだし…」

 恥ずかしそうにそう言う奈々に、美凰はにっこりと微笑んだ。

「そうね…。皆の大切な“ホーム”の維持は奈々にしか出来ないことだと思うわ。貴女はすべてのイタリア男性が望む“マンマ”ですもの…」
「あら、いやだ! わたし若い頃に比べて太りました?」

 ケーキを食べの手つきがおたおたしだしたのを見て、美凰はくすくす笑いつつ奈々のほっそりとした身体つきを見つめた。
 子どもを生んでも昔と変わらぬ華奢な身体つきは本当に羨ましい限りである。
 小食であるにもかかわらず豊麗で肉付きのよい身体つきをしている美凰にとって、奈々の身体は憧れの存在といっても過言ではないのだ。
 
「全然! 昔と少しも変わっていないわ。本当に…、羨ましいくらい!」
「まあ! うふふ…。嬉しい…」

〔羨ましい…。家光の様な素晴らしい男性を夫に持ち、愛し愛され…、可愛らしい男の子にも恵まれた…〕

 妬ましいと言った方が正しいのだろうか?
 ただ一人の男に愛される妻として光り輝き、一人の母として愛の結晶を育み生きる豊穣の女神…。
 自分にはそんな幸せは望むべくもない。
 気儘に飛び交う胡蝶の様に花から花へと渡り歩かねば生きてゆけない我が身を呪っても、どうすることも出来ないのだ。
 美凰は胸中に巣食う黒い感情を流してしまおうと、紅茶を口に含んだ。

「でね…、来週の授業参観のことなんだけど…、美凰さん?」

 奈々の声にはっとなった美凰は睫を瞬かせた。

「あっ…、ご、ごめんなさい…。えっと、なんだったかしら?」

 奈々は少しだけ首を傾げて美凰を見つめていたが、再び言葉を継ぎ始めた。



 一方、女同士で和気藹々と楽しく過ごしている様子を尻目に『ラ・ナミモリーヌ』の店先に立っていたリボーンは、かかってきた携帯の通話ボタンをピっと押した。

『やぁ…、赤ん坊…。今どこなの?』
「ちゃおっす、ヒバリ…」



 早々の再会を約束してリボーンと奈々に別れを告げた美凰はまっすぐ店に戻り、仕入れていた古書の整頓に勤しんでいた。
 今日は急遽の定休日にしてしまった為、明日からは暫く不休で営業する予定だ。
『Immortal』…。
 不滅と名づけた店はアンティークなインテリアでこじんまりとまとめられている。
 整然と並べられたオーク材の本棚には、さまざまなジャンルの古書が多数並べられていた。
 とりどりの花や鉢植えに囲まれた、柔らかな雰囲気をかもし出した店先。
 ドアを開けるとふわりとよい香りが漂う。
 入口近くに5人程が座れる止まり木のバーカウンターがあり、そこには数十種類の茶葉が綺麗に並べられている。
 カウンターの向こうには簡単なキッチンが備えられており、シンク台の上に作りつけられた木製枠のガラス棚には、一目で高級な陶器と解るティーカップが整然と並べられていた。
 書棚の向こうには花と緑豊かな噴水つきの中庭を望めるちょっとした寛ぎの書斎空間があり、そこにはセッティングされた何組かのテーブルと椅子があって、購入した本をのんびりと楽しめる設定になっている。
 お茶と茶菓子のサービスもあり、静かに読書を楽しみたい者にとっては至れり尽くせりの世界であった。



 二時間ほど前の事。
 学校から慌しく帰宅した麗は可愛い顔を嬉しそうに綻ばせ、興奮した様子で美凰に飛びついてきた。

「ただいま〜 美凰ちゃん!」
「お帰りなさい、麗」
「今日はお弁当届けてもらってごめんねぇ〜」
「いいのよ。来週からは気をつけなさいね」
「はぁ〜い! 所でさ美凰ちゃん! 今夜さ、京子ちゃんの家でパジャマパーティーなの!」
「まあ、パジャマパーティーですって?」
「うん! 転入してきたあたしの歓迎会も兼ねてらしいんだけどね! 明日土曜日で学校お休みだし…、花ちゃんとハルちゃんと4人でってことでさ。ねぇ、行ってもいいでしょう?!」
「……」

 麗は現在の生活が楽しくて仕方がないのだ。
 ここにはマフィアの令嬢というだけで望むことの出来なかった、普通の女子学生の生活がある。
 幼い彼女はそれを満喫し尽くしていたのだ。
 美凰はにっこり微笑んだ。

「いいわよ。いってらっしゃい。くれぐれも京子ちゃんのお家にご迷惑をおかけしないようにね」
「わかってるよ!」
「それじゃ、わたしの部屋の冷蔵庫にティラミスを冷やしてあるから、お土産に持ってお行きなさい」

 麗は嬉しそうに飛び跳ねた。

「わぁ〜い! やったぁ〜! じゃ早速、支度してくるね!」

 麗は美凰の頬にお礼のキスをちゅっとすると大慌てで支度をし、颯爽と出て行った。
 美凰は笹川京子の自宅に電話をし、京子の母親に丁寧に挨拶をして受話器を置くと、そのまま店舗の荷物の整頓を始めたのであった。



「ふう…。これで終了ね…」

 最後の書籍を棚に並べ終えた美凰は吐息をついてぱんぱんと手を払いながら窓の外の景色を眺めやった。

「午前中は、あれだけ晴れていたのに…」

 店に帰ってきて暫くすると、天候はいつの間にか蕭々とした雨になっていた。



 雨はあまり好きではない。
 遠い昔のことが色々と思い出されるから…。
 幸せだった少女時代のこと、戦によって愛する許婚と死別したこと、略奪された敵国の王の妃にされて愛憎の日々を生きたこと、再び戦が起きて…、この身にこれ以上の汚辱を受けるに耐えかねて死を選んだ瞬間に出逢ったヴラドのことを…、そして…、自らの手でヴラドの命を奪ったあの日のことを…。
 美凰は中庭を望む一段高いフローリングに設置されているハープの傍に歩み寄った。
 気持ちが沈んでいる時は、無心に弾くのが一番だ。
 小さな椅子に腰掛けてハープに身を寄せた美凰は、青菫色の眸をそっと閉じた…。


 Im Schatten des Waldes, im Buchengezweig,
 da regt's sich und raschelt und flustert zugleich.
 Es flackern die Flammen, es gaukelt der Schein
 um bunte Gestalten, um Laub und Gestein.


 Da ist der Zigeuner bewegliche Schar,
 mit blitzendem Aug' und mit wallendem Haar,
 gesaugt an des Niles geheiligter Flut,
 gebraunt von Hispaniens sudlicher Glut…


“定休日”と書かれた看板がドアにかけられているのをものともせず、店の扉を開けた途端、男の鼻腔をくすぐったのは、あの薔薇の花の様な美貌の女性の香りだった。

〔何? ドイツ語?〕

 美しい弦音と切なげな美声に導かれるかの様に、雨に打たれてびしょ濡れになっている男は自らの雫でフローリングが汚れるのもかまわず、つかつかと室内を進んでいった。

_5/23
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