小説 | ナノ

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「あの、大谷さん」

「何だ?」

「いつまでここにいるつもりですか?」

「……迷惑か?」

「いいえ、迷惑と言うわけでは、ないんですけど……」




彼が傍にいるときは、猫のゆきちゃんも必ず傍にきてくれるから、嬉しいんだけど、また三成に怒鳴られるんじゃないかな。
あまりに滞在時間が長いと、三成が彼を連れ戻しに来る。
吉継が私の部屋へ通うことに、三成はいい顔をしない。
というか、不機嫌な顔を通り越して、しかめっ面をしている。
わかっていてもそれを気にしない吉継も肝が据わっていると思うけど、わかっていても毎回連れ戻しにかかる三成が律儀だなと、怒った顔をしていても、何となく可愛く思う。




「気にするな。
三成は、小早川殿と談義中だ」





私、今、何も言わなかったよね……。
エスパー?




「言いたいことが、顔に書いてある」

「えっ?」




顔?



思わず両頬に手をあてると、吉継はクスクスと笑った。




「萌は、愉快だな。
見ていて飽きない」

「……そうですか?」




『ああ』と続けて、彼はまた面白そうに笑い出す。



さらりとした秋風が彼の綺麗な黒髪と、清浄な白い衣をひらひらと揺らす。



自然の色が、とても似合う人だと思う。
桜のうすピンクも映えるし、藤の紫も映えそう。
青々とした緑も良いし、紅葉の赤や橙も良いかも。
深々とした雪も似合いそう。
花と木と光と風。
そう言うどこか心の中で懐かしさを感じるような和の風情ある自然に、彼は違和感なくすんなりと溶け込んでいるような気がする。
だからかな。
まだ出逢って日も浅いのに、こんなに穏やかな気持ちになれるのは。



それにしてもさっきの彼の言葉。
考えていることが分かり易いって事?
言葉を変えれば、表情から感情がダダ漏れってことよね。
真っ直ぐな子供でもあるまいし、それはそれで大人として、恥ずかしい。
そう言えば、清正にもよく言われた気がする。
『お前はわかりやすい』って。
そう言って、綺麗な歯をみせて笑っていた。



石田三成、大谷吉継がこの屋敷に滞在して、二週間ほどたつ。
三成は直ぐにでも帰る勢いだったけれど、隆景が何だかんだと理由をつけて引き留めているようだ。
私のために。



先だって、隆景が、石田三成、大谷吉継に私のことを話した。
これからの目的を考えると、やはりこの二人に同行し、清正の少しでも近くに行くことが重要だ。
近くにいれば話すチャンスも作れるし、様子を窺いタイミングを図る事も出来る。
少なくともこの屋敷にいるよりは、ずっと彼に近付けるだろう。
その為には、まず私の事を話す必要がある。
私自身から話すと隆景に伝えたが、『私から話した方が、首尾良く進みそうですから』と、やんわり断られた。
確かにあの頭の回転が速い三成に私が対峙できるとも思えないし、うまくいく可能性は低いように思う。
『最期まで迷惑をかけてごめんなさい』と謝ると、『最期までお世話させてください』と、こちらが思わず、目を見張るような端麗な笑みを浮かべていた。



私がこの世界に来たとき、目の前で一部始終を見ていた二人だ。
頭のきれる彼等の事、嘘や誤魔化しは、更なる疑念を増やしかねない。
私がどこから来たのか、正直に話すと言っていた。
信じる信じないは、別として、そうしなければ、彼等に信用してもらえないだろうという理由だった。
ただ清正の事は、伏せておいた方が良いだろうと隆景は言った。
清正の事に関しては、三成、吉継が彼に密接に関係し過ぎているから、そのことでいらぬ弊害が出るかもしれないとの理由だった。
『真に大切な想いは、その人に会えるときまで静かに秘めておいた方が良い』隆景は、そう話してくれた。
確かにそうだと思った。
誰のためでもなく、自分のために行動した。
清正に会って、想いを伝えたい、それだけを考えて。
だから、その時のために隆景の言うように、今は、この想いを心にしまっておいた方が良い。
清正を愛おしいという想いは。



不意に視線を感じた。
彼をみると、私をじっと直視していた。




「何で……」




『何ですか?』という言葉を紡ぐ前に、脳裏にハッと先程の彼の言葉が過ぎる。



『言いたいことが、顔に書いてある』



清正の事を考えていた頭を真っ白に戻し、再び仕切り直す。




「……どうしました?」




蒼い綺麗な瞳が真っ直ぐに私を見据えている。
胸が、ざわざわと音をたてはじめる。
この瞳はすごく苦手。
冴え渡るこの瞳の前では、私の悪いところ、良いところ、私の感情までも、何もかも見透かされてしまいそうな怖さを感じる。




「……いや。
どうという事はない」




私へ向けていた視線は、彼の右隣、体を丸めて寝ていた猫のゆきちゃんにゆるりと向けられた。



目線が外れたことに酷く安心する。



優しい目。
ゆきちゃんを見る目は、さっきと違って穏やかだ。




「猫が好きですか?」




そう言うと、彼は少し目を見開いた。




「お前は好きか?」

「私は大好きです。
猫って不思議な魅力のある動物だなと思うんです。
どうして惹きつけられるのか未だに私もわからないんですけどね」




ひたすらにツンツンされても、迷惑そうな表情をされても、ふわふわの丸いしなやかな体、丸い綺麗なガラス玉みたいな目、一見身勝手な、その自由で揺るぎない振る舞いが、羨ましく、愛おしいと思える。



急にゆきちゃんに触れたくなった衝動に突き動かされた私は、彼の右隣で眠っている小さな頭に、彼の左隣から体を超えて、のんびりと指先をのばす。
いつもだったら、触る気配を感じて逃げてしまうけど、今日はお気に入りの彼の隣が心地よいのか、可愛らしい糸目を見せてくれている。



指先にほんのりとしたぬくもりと、ふわふわとした柔らかい感触が広がる。
こしょこしょ眉間を優しく擽ると、薄めを開けたり、また目を閉じたりしている。
『寝てるんですけど、邪魔しないで、ああ…でもここ心地良いのよね』そんな彼女の葛藤が聞こえてきそうな表情にふっと笑みが漏れる。




「やっぱり可愛いなぁ」




あはは、と笑ったのと、ゆきちゃんを擽っていた右手の手首を緩やかに掴まれたのは同時だった。



ほぼ反射的に彼の顔を見上げると、蒼い二つの澄んだ目が、直ぐ傍で、たゆたう。
徐に彼の左手が自身の顔へ伸び、口元まで隠していた衣服を下へずらした。



……!



左の口元から頬にかけて、ケロイド状のような傷跡がある。
それは、ピンクがかったり、赤くなっていて、少しでこぼこしている。
彼の肌が薄絹のように真っ白で滑らかそうなので、そこだけ別の命をもった生き物みたいだ。



ゲームでも見たことのない、大谷吉継の素顔。
はじめてみるそれは、私の思考を止めるのに十分だった。



男性とは思えない桜色の艶やかな唇が、ふんわり動いて何かをささやいた。



距離が狭まる。
揺らめく蒼い目が私を魔法にかける。
時間がスローモーションみたいに過ぎていく。
何か考えなくてはいけないのに、何も考えられない。
まるで頭が考えることを急にやめてしまったように。

唇が、近づいてくる。
掴まれている右手首が熱い。

彼の香りが強くなる。
まるで森の中に迷い込んだような、深くて、穏やかなそれでいて少し神秘的な、そんな香り。

息がかかるくらいのところまできたとき、彼の長い漆黒の睫毛がふわりと閉じられる。


清正の顔が浮かんだ。


途端、ほぼ無意識に顔を背け、魔法がきれたみたいに正気に戻った。


今、キスされそうだった?
勘違いでも何でもなく、さっきのはキスされそうになってたよね。


五秒ほど。
さっき起きた出来事の整理をして、改めて彼の表情を窺おうとすると、蒼い目が開いていて、私を真っ直ぐみていた。
さっきの揺らめきが影をおとして、どことなく寂しげにみえた。



私は、悪くない。
不意打ちでキスしようとした吉継が悪い。



そう。私は、悪くない。
だけど、気まずさ、罪悪感はじわじわと心に広がる。




「ごめんなさい……」




心を蝕む何かに我慢できず、何故か謝ってしまった。



暫く目を伏せていた吉継は、折り曲げていた体を起こし、ゆるりと右手首を離した。
吉継の熱も離れていく。



「……気にするな」




口元の痣をひとつ撫でた吉継は、微笑んだ。



微笑みが悲しげにうつる。
ハッとした。



違う。
そうじゃない。
そういう事じゃ無い。
あなたの傷が嫌だとか、そういう事じゃない。
ただ、私には。
私には。



彼が囁いた言葉が、今更ながら頭の中でリピートする。



どうしてこんな短期間で?
出逢って、話して、まだ、たった二週間でしょう。
私のことなんて、何も知らないのに、よくそんな言葉が出てくるよね。
清正と出逢う前なら、きっとそう思っていたし、彼の言葉も信用できなかったと思う。
だけど、わかるから。
お互いのことを知らなくても惹かれてしまう人がいること。
時間が浅くてもどうしようもなく、心に残ってしまう人がいることを。
知ってしまったから。




「好きな人がいるんです。
凄く愛してる人が……いるんです。
だから、ごめんなさい」




些か静止していた彼に、秋の風が纏わり付く。
さらさらと黒髪が横に揺れている。
じっと私を正視していた吉継は、俄に表情を緩めた。



悲しげなのか、寂しげなのか、わからない。
切なそうにもみえた。



『お前が好きだ』



相手のことをゆっくり知って好きになっていく恋もあれば、突如恋におちてしまう事もある。
ふ、と、現代で読んだ本。シェイクスピアの言葉が想起する。
人間の精神に対して、深い洞察を探求し続けた彼は、こう言っていた。
『誠の恋をするものは、みな一目で恋をする』



彼は、ゆきちゃんへと手をのばす。
お気に入りの人に、眉間を優しく擽られた彼女は、ご満悦な糸目を浮かべゴロゴロと喉をならし始める。
口元へ穏やかな笑みをたたえた彼は、柔らかな表情で私に微笑みかけた。

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