小説 | ナノ

03/


【始まり】





「何だこの報告書は、このような内容など既に把握している!」

「はっ…」

「もっと真面な情報を持って来い!」

「承知致しました…」




話は終わりだと、視線を合わせることなく、机に目を落とし、仕事を再開すると、さも遠慮がちにゆっくり襖のしまる音がした。




「…全く使えない奴等め」




思わずため息が漏れる。



方々へ散らせている間者の情報では、織田信長が亡くなり、明智光秀を討った秀吉様に対し、良からぬ噂が出回っている。
ただでさえ、これから秀吉様が進む道、戦や交渉等、問題は山積みだ。
くだらぬ噂に構っていられるか。
そうは思うが、大きく育った民意は時に嵐のようなうねりをもたらすこともある。
噂の根源を把握し、早めに対処しておく事に、こしたことはない…というのに。
入ってくる情報は、一様に同じようなものばかり。



噂の元は予想がついている。
秀吉様の天下統一を望んでいない者。
デタラメな噂で民意を操る、姑息な手段をとるなど…。
あの狸のやりそうな事だが、いいように躍らされていると思うと、腹も立つ。



ズキリ…とこめかみに痛みがはしる。
痛みのもとを和らげようと、指先で軽く圧迫していると、不意に視線を感じた。
縁側で茶を啜っていた大谷吉継がじっと俺を見ている。




「苛々するのは、体に毒だぞ。
三成」

「…ふん。
余計なお世話だ」




呼んでもいないのに、時々こいつはこうして部屋に来る。
ただ黙って茶を啜り、帰って行くだけ。
別に邪魔にはなっていないため、放っているが。




「そう言えば…面白い噂を聞いた」

「面白い噂…?」

「あの日、光の球から現れた女は、異国から来たらしい」

「ハッ…。
何が異国だ。
異国では光の球で移動でもするのか。
下らない」

「そうだな…。
その様な話は、聞いたことがない」




粗方小早川隆景の流した情報だろう。
あの日、俺達以外にも兵が傍らに控えていた。
妙な出来事ほど、少々口止めしたくらいでは噂の広がりを止めることは難しい。
何も情報を出さなければ、余計面白おかしく詮索され、噂は広まる。
全てとは言わず、情報を小出しに開示することで、納得させようと考えたのだろう。
開示の情報がデタラメなのか、真実なのかその様なことは関係ない。

世界は広い。

『異国では光の玉で移動する』と教えられたところで、世界の情報を知らないもの達は、疑問を感じながらもそういう国もあるのかと、納得せざるを得ない。



さすが小早川隆景。
やはり食えない男だ。



然し…裏を返せば、そこまでしてあの妙な女を護ろうとしていると云うことだ。



ちらりと吉継に視線をうつす。
切れ長の目を伏せ、どことなく物憂げな表情がうかがえる。



小早川隆景といい、この男といい……。



あの女に一体何があるというのだ。




「暇な男だな。
その様などうでもよい女のことを気にして調べているとは……」

「何も恐れず、ただ真っ直ぐ。
澄んだ目で俺を見返していた」




だから何なのだ。
とは、言えなかった。
四六時中頭巾を被っているため、周りのもの達から妙な視線を向けられ、病があるだの、顔が崩れているだの、いわれのない噂を立てられ、虐げられてきたこの男にとって、真っ直ぐな澄んだ目を向けてくる人間は、少ない。
心に残るのも当然だ。
本当に病があるのか、どうなのか、聞いたことはない。
病があろうとなかろうと、大谷吉継だということに変わりはない。
俺にとっては、どちらでも良いことだ。




「知りたい」

「何?」

「あの女を、知りたい」




は……?
何を言っているのだ。
この男は。



知りたい…だと?



怒りを通り越して、呆れる。




「馬鹿馬鹿しい。
この大事な時に。
お前の艶聞など、どうでも良い」




態とらしくため息を漏らし、机に向かうと。
縁側で小さく笑う声がする。



全く。
何なのだ。
この大事な時に。
どいつもこいつも。




「ひとつ言っておくが、あの夜の出来事は内密にしておくよう言ったはずだ。
妙な話は秀吉様の邪魔になる」




そう念を押すと、『ああ……』と呟いた吉継は、茶を啜った。
何を考えているのか…ぼんやりと空を見上げている。



縁側から見える空は、ただ蒼く澄んでいた。





***







「三成、入るぞ」




一言声をかけ、襖を開ける。俺が入っても、さして気にする様子もなく、相変わらずの仏頂面で机に向かっている横顔と、縁側から振り返る二つの蒼い目。




「吉継が来ていたのか」




そう声をかけると、蒼い目がふわりと緩められる。
そう言えばこの二人は仲が良い。
確か、先達て吉継が秀吉様に士官してからか…。
どちらかというと吉継が三成の傍にいるようだが…三成も吉継を何となく気遣っているようだ。
彼女がいた世界の歴史でも吉継は最後まで三成を護り、命を失った。
三成も吉継を信頼しているのだろう。
この二人の間にある絆のようなものは、きっとこの世界でも変わらないような気がする。
そして、それが少し、羨ましい。
『すまない。また改めよう』そう言って、部屋を後にしようとすると、涼やかな声が引き留めた。




「いや、俺はもう退出する。三成の機嫌を損ねたようだからな」




穏やかな笑みを浮かべ、立ち上がった吉継は、そのまま部屋を出て行った。



機嫌を損ねた?
三成の眉間の皺と何か関係があるようだ。
一体何があったんだ……?




「追わなくて良いのか?」

「訳のわからない女に、現を抜かすような男など知らぬ」




不機嫌を露わにした三成は、まるでやきもちを焼く女のようだ。
流石の三成も、吉継には弱いらしい。



然し…。
あの吉継が女に現を抜かす…。



……珍しいな。



吉継もいい大人だ。
女の一人や二人いてもおかしくはないと思うが…あの白頭巾と白装束のせいで、周囲から距離をとられていることは、事実。
皮膚が焼け爛れていただの、腐っていただの、色々と噂はあるが、本当のところはわからない。
吉継本人も三成以外の人間には積極的に関わろうとしていないようだし、もちろん女の噂も全く聞いたことがない。
その吉継が女に現を抜かす等。
想像が出来ない。




「ところで何の用だ」




吉継の事を考え、暫く呆けていた俺に三成の厳しい視線が突き刺さる。




「ああ…。すまん。
お寧々様から役目を仰せつかった」

「お寧々様から?」

「秀吉様が小早川隆景に冠位を授けるよう手配為さった。
俺とお前で秀吉様の書状を持っていく事と、小早川隆景が冠位を受けるよう嘆願せよ、との事だ」

「…そうか。
嘆願せよとは…秀吉様らしいな…」




三成は、への字に曲げていた口元を少し綻ばせた。



この間の戦で和解という形をとってはいるが、小早川隆景に冠位を与える事で毛利を秀吉様の下におくという思惑がある。
然し、嘆願しなくとも、織田信長が亡くなり、秀吉様が明智光秀を討った今、実質的に力を持っているのは秀吉様だ。
もう秀吉様につく以外、毛利に残された道はないのだ。
それをお願いする、という体裁をとろうとしていることが、秀吉様らしいという事だろう。




「俺と吉継が行く。
お前はここに残れ」




は?
何だと?



予想もしていなかった三成の言葉に唖然とする。



俺と三成で行けと言われているというのに、吉継と行くとは……一体どういうことだ?




「どういう意味だ?」

「そのままの意味だ」




憮然とした表情の三成に思わず苛立ちを覚える。
しかし、ここで怒りをぶつけてしまえば、そこで話は終わりになってしまう。
何かしら意図があるのかもしれない。




「何か考えがあるのか?」




俺は、感情のまま言い返そうとした言葉をグッと飲み込み、なるべく平静を保って問いかけた。



暫く俺をじっと見つめていた三成は、軽く息を吐いた。




「俺と吉継は、先の和解の一件で、小早川隆景と顔見知りだ。
ある程度顔を見知っていた方が話もつけやすいだろうと…考えたまでだ」




それは顔見知りの方が向こうも警戒しないかもしれないが…。
それが理由なのか?



腑に落ちないまま、三成を正視していると、つかの間無言の時間の後、急に言いにくそうに口をもごもごとさせている。




「このような交渉事は俺がやる。
お前は、お前がすべき事のために準備しておけ」




『想いは一緒じゃない?
だから大丈夫だよ』



また、彼女の声が聞こえた気がした。



お互いが気遣い。
お互いが思い遣る。



ああ、そうか。



ふっと短く笑った。
三成が怪訝な顔をしている。
要するに休めるときに休んでおけと言いたいのだ。
全く解りにくい。




「そうだな。
その方が良いかもしれない。
よろしく頼む」




軽く頭を下げ、上げた先に見えたのは、柔らかい笑みだった。



もし、あの世界に行かなかったら…。
もし、お前と出逢えていなかったら…。



きっと、三成のこのような表情をみることはなかっただろう。 



萌。



俺は、この世界で少しずつ少しずつ何かを変えていきたいと思う。
お前に出逢えた事を無駄にしないように。



お前をこれからもずっと……忘れないように。


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