【一部】 01/
【最低&最高の誕生日】逆トリップ一日目
それは、誕生日の予期せぬ出来事だった。
「萌、別れよう」
唐突に彼氏から言われた言葉に私は唖然とした。
…何を言っているのだろうか、この人は。
呆然と立ち尽くす私に、彼氏は明るく話を続ける。
「俺、萌の後輩の梨花ちゃんと付き合うから」
なぜそこに私の会社の後輩である梨花の名前が出て来るのだろう。
…ぁあ〜。
成る程、浮気してたのね…。
そういえば最近会う頻度も減っていたし、今思えば徐々に避けられていたのかもしれない。
「萌は強い女だから大丈夫だよな!
梨花、凄く泣いて悩んでたから。
あんまり責めないでくれよな」
全然強い女なんかじゃ、ありませんけど?
ただ、自分が傷つくのが怖くて相手に依存しないように付き合って来ただけで。
それが強い女として捉えられている原因なのかもしれない。けれど、今の彼氏とはかれこれ二年付き合っていた。
少しは私の本当の性格も理解してくれてるかもしれないという考えは幻想だったようだ。
「あぁ〜そう。
まぁ、梨花はイイコだから、いいんじゃない?
幸せにしてあげて」
へらりとひきつるように顔が緩む。
自分の意思とは関係なく動く顔が少し気持ち悪い。
何笑っちゃってんの、私。
しかも、何故か認めちゃっているし。
「ありがとうな、萌!
やっぱりお前いい女だな〜梨花にも伝えとくよ。
また職場でな」
「…はいはい。
また職場でね〜」
嬉しそうに新彼女の元へ走っていく元彼氏を、呆然と見送るしか出来なかった。
平凡な社会人、女性、今日誕生日を迎え、また1つ年を重ねた。
なかなか誕生日が喜べない年になってきたのにも関わらず。
極めつけに職場恋愛し付き合った彼氏を職場の後輩の女の子に奪われ、自分の誕生日にあっさりと振られる。
なんてドラマチックな展開。
どん底ドラマなんてものがあればかなりいい展開なのではなかろうか。
元彼を玄関で見送って部屋に戻るとハッピーバースデイ萌と描いてあるケーキと、豪華なオードブルが置いてあった。
選別のつもりだったのか元彼氏が置いて帰ったものだ。
「食べる気がしない…」
ドラマならここで、ケーキを投げたり、捨てたりするのであろうが…勿体ないと思ってしまう自分が小さくて嫌だった。
そして、不思議な事に余りに突然の出来事があると人間は涙も出なくなるものなのか…。
案外冷静になっている自分が更に嫌だった。
「明日食べようかな」
有り難い事に明日から二週間有給だ。
日頃、休みを返上して働いていたので優しい上司から頂いたプレゼントだった。
特に予定はないが、二人に会わなくて済むと思うとほっとした。
流石に気持ちの整理をする時間が必要だ。
浮気されていたとしてもつい先ほどまで自分が好きな彼氏だったのだから。
「はぁ〜。
もう、寝よ〜かな…」
悶々と今日おきたことを考えながら、ローズのボディクリームを身体に塗っていると、ふとゲーム機が目についた。
元彼氏の物だ。
二人でよくゲームをした思い出が蘇ってきて、私は首を振った。
「あーっ、もう!
ゲームでもしよ」
スイッチを入れて始めたのは、戦国無双というゲームだ。
元彼氏が好きなゲームだった。
私も嫌いではなかったので、いつも二人で遊んでいた。
思い出に浸るのも今更だがローズの薫りで気持ちも少し落ち着いているし、何よりリフレッシュしたい。
「清正〜!
傷心の私を癒やして〜」
ゲーム上のビジュアルに好意を寄せるのはどうかと思うけれど、…私は戦国無双の加藤清正が大好きだった。
無双シリーズのビジュアル的にはモロにタイプだし、性格もおねね様への異常なマザコン具合を除いては、硬派で格好いい。
ある程度の時間ゲームを堪能し、ふと時計を見ると、午前0時を回っていた。
そろそろやめようと思いスイッチを切るために画面に近付くと、テレビの画面が急にモノクロのようになり、そのうちあり得ない速度でチカチカと光り出した。
「何!?
どうなってるの?」
言葉と同時にパァーっと光の渦が広がり、私は目を開けていられなくなりぎゅっと閉じた。
しばらくたって、うっすらと目を開けると…そこにはいるはずもない人物が立っていた。
う、嘘。
こんなこと有り得ない。
有り得ない筈なのに。
私の目の前にいる人は。
間違いなく。
戦国無双の加藤清正。
そのものだった。
仁王立ちで私を見下ろしている彼を、私は真っ白になった頭で唖然と見詰めていた。
***
か、加藤清正?
本当に加藤清正?
私は驚きと…会えた嬉しさと、複雑な両方の気持ちを抱えて目の前に突然現れた加藤清正を見つめていると、しばらく辺りを見渡していた彼と、ふと目が合った。
姿形は戦国無双の加藤清正。
まるでゲームから、そのまま出て来たみたい。
澄み切ったとても綺麗な目をしていた。
私が瞳を反らせず見つめていると彼は徐に口を開いた。
「…此処はどこだ?」
声もいい…と思いながら、そのまま見入っていると加藤清正は訝しげな顔でもう一度訊ねてきた。
「…おい。
話を聞いているか?」
「あ!ごめんなさい。
ここは、私の家です」
あの。
あの、憧れの清正と会話してる!
現実にカムバックして、感動で目をキラキラさせている私とは対照的に、彼は眉間に皺を寄せて、何か考えに耽っている様子だった。
私は今の状況をはっきりと告げた方がいいのか悩んだが、きっと彼なら理解してくれるのではないかという思いがあった為、本当の事を話すことに決めた。
「あの…。
いきなりで混乱してると思うんだけど、あなたは私の世界のゲームっていう機械の人物なの」
私は清正や他の仲間が描いてあるゲームソフトを見せた。
「だから、ここはあなたの世界とは全く別の世界で。
時代的には、あなたの世界の何百年先の未来って思って貰えると理解し易いと思う」
加藤清正は暫くの間絶句していたが、一言『そうか』と呟いた。
私の言葉をすんなり信じたのだろうか。
今会ったばかりの私の言葉を。
「…ねぇ。
私の話、信じたの?
私も今起こってる事が信じられないのに」
「…ああ。
お前の服装も違うし、この部屋の作りだけ見ても、俺の世界とはかけ離れた物が多い。
部屋の外に出ればもっと違う物が沢山あるのだろう?
それ位の予測はつく」
この短時間の間で其処まで考えれるのか。
しかもこの状況で…。
流石、一国一城を治める器の持ち主だ。
本来なら身分的に雲の上の人物だし。
私なんて無双の世界に行ったら、きっと農民の部類だろう。
然し、彼は殿様だ。
農民と殿様…。
全く住む世界が違う人なのは明らかだ。
だけど、殿様にも寝床はいるだろう。
何てったってここは『現代』なのだから。
「あの、とりあえずここに住む?
行くとこないと思うし…。
この世界の事もよくわからないでしょ?」
私の提案に清正は目を丸くして驚いているよう
だった。
それはそうだろう。
私としては彼をゲーム上でどんな人物か熟知しているが、彼から見れば私は初対面の女だ。
初対面の女にいきなり、一緒に暮らそうと言われて驚かない男はそういないと思う。
「俺としては有り難い事だが…。
お前はいいのか?
その…仮にも男と女が同じ家で暮らすんだぞ」
「うん、私は平気だよ。
あなたがどんな人柄かっていうのは少しは解っているつもりだし…。
それにこの時代はシェアハウスって言って、全くお互いを知らない男女が同じ家で暮らす人も多いの。
だから気を遣わないで?」
シェアハウスといっても、流石に一緒の部屋に暮らす事はないとは思うが、彼に気を遣わせたくなかった私は少し嘘をついた。
「…そうか。
俺は加藤清正という。
清正と呼んでくれ。
お前には迷惑をかけるが、これからよろしく頼む」
そう言って、清正は胡座をかいて丁寧に頭を下げた。
「いえいえ、こちらこそ。
私のことは萌と呼んでください。
不束ものですが、よろしくお願いします」
私も清正に習って頭を下げた。
「…フッ…。
まるで嫁にでもくるような挨拶だな」
そう言って、やわらかく微笑んだその笑顔に私の心臓がトクンと跳ねた。
思いがけなくときめいた心に驚いて少し焦る。
「あ、あのっ!
お茶っ…!
お茶でも入れるね、ちょっと待ってて!」
私は、ほんのりと熱くなる顔を隠すようにキッチンへ走った。
さっき振られたばかりだっていうのに、何?
このドキドキは。
あの笑顔は反則だよ。
お茶を用意しながらも今だ心臓の音はドクドクと鳴り響いている。
私は、平常心を保ちながら清正のもとへお茶を運んだ。
清正を見ると、机の上のケーキとオードブルを不思議そうな顔で見つめていた。
「…ああ。
良かったら、食べない?
沢山有りすぎて困ってたの」
「いいのか?
一人が食べる量ではないだろう。
誰かと食べる物だったんじゃないのか?」
…鋭い…。
隠しておくのも面倒だったので、今日あった出来事をありのまま清正に話した。
「…という事でね、誕生日に振られたってワケ。
情けないけど、しょうがないよね〜」
無意識に頭を傾げながら、ヘラヘラと笑う私を彼は真剣な顔でジッと見詰めていた。
「…何故、笑う?
その男を好いていたのだろう?」
「好きだったけど…。
他に好きな人ができたらしょうがないから」
そう言って、また笑顔を作ってしまう私の頭にのびてきた彼の大きな掌。
「……無理して笑うな。馬鹿」
清正は、私の頭をポンポンと軽く叩いた。
そしてその手は、そのままゆっくりと下に滑り、何度も私の髪を撫でた。
その大きな優しい手は、私の全てを守って受け入れてくれるような、言いようのない安心感があった。
不思議だ。
今までの人生の中で仲の良くない男性に頭を撫でられることほど、不快なものはなかったのに…。
その優しい手に身を任せていると、自然と私の目から涙がこぼれた。
ひとつ、ふたつと涙が零れ落ち…そのうち自分の意志とは関係なくどんどん溢れ出す。
「…ふっ、ぅぅぅ…ぅぅ」
堰を切ったように止めどなく溢れ出る涙を抑えようと、私は両手で顔を隠した。
何がいい女よ。
面倒臭い女になりたくなくて、我慢しただけ。
自分を守っただけ。
振られただけが悲しい訳じゃない。
怒りたいのに怒れない。
泣きたいのに泣くことが出来ない。
素直に泣いて怒れない自分が……。
言いたいことを我慢してしまう、そんな自分が嫌なだけ。
そんな自分が悔しいだけ。
「泣きたい時は、ちゃんと泣け」
彼が投げ掛けてくれた言葉は、今私が一番欲しかった言葉。
涙が流れる度に、私の心が解されていくように感じた。
両手の隙間から清正の様子を伺うと、潤んだ視界の中で優しい顔が見える。
私は清正の傍で、まるで子供のように感情を隠さず泣き続けた。
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