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「う……ん……」
瞳を開けると、天井が茜色に染まっていた。
ゆらゆらと煌めく赤はとても綺麗で……微睡む意識の中、暫く瞳を奪われていた。
自分とは違う寝息が聴こえる。
隣に視線を向けると、彼女の寝顔が直ぐ傍にあった。
「……萌……」
咄嗟に呼び掛けた自分の声に驚いて口を閉じる。
自分自身無意識に。
紡いでいた彼女の名。
何故、と心に問いかけなくてもわかる。
好きだから。
愛しているから。
愛しいから。
言葉にするならいくらでも。
顔にかかる柔らかな前髪を、そっと耳へと避ける。
穏やかな寝顔が現れると、その無垢な表情にふと笑みが漏れる。
病気をすると、気が弱くなると聞いたことがあるが、本当にそうかもしれない。
けれど。
彼女が傍にいてくれる。
微笑んでくれる。
それだけで、心が救われる。
男と女。
友人。
親友。
恋人。
この世界。
異世界。
そんな柵など……消えてなくなってしまえばいい。
ただ、このまま。
このまま……ずっと。
彼女の頬に手を添えた俺は、その小さな唇に口づけた。
深く。
もっと、深く。
彼女の存在全てを確かめるように。
頭の奥で警鐘が鳴り響く。
曖昧なこの関係に優しい彼女が作ってくれた、親友という柵。
その柵を俺は、壊そうとしている。
だが。
止まらない。
止まらないんだ……想いが。
心が。
触れたい。
お前に。
***
唇に感じる温もり。
その違和感に目を覚ますと、清正が私に覆い被さり、唇を重ねている。
はっきりしない意識が急速に活動し始める。
荒々しく塞がれる唇。
少し離れる唇の側から漏れ出す声、音。
耳で、唇で感じる清正を意識する度、どんどん頭が麻痺していく。
頭の奥に残っている理性が抵抗しようとして、彼の胸を押し返そうとした両手は、ただの飾りでしかない。
体が痺れるような感覚に陥っていると、不意に唇が外れる。
私を見下ろす銀の瞳は、部屋中に広がる茜色の光に反射して、どこか熱く濡れて、艶やかに見えた。
「……どうし……」
どうして?
そう、言葉を投げ掛けようとして止めた。
その言葉を突きつけてしまったら、今までの関係が崩れそうな気がしたのだ。
その先に待っているのは、悲しみにしかならないのに。
暫くの沈黙の後、ゆっくりと体を起こす私の肩を清正が支える。
「大丈夫か?」
「……うん」
俯く私に清正の視線を感じる。
だけど、未だ混乱している私の心は彼の瞳を正視することが出来ない。
また無言の時が過ぎる。
「……体は?
体は良くなった?」
「ああ。
とても楽になった」
「一応、熱を測ったほうがいいかも。
ちょっと待ってて……」
何事もなかったかのように、立ち上がった私は、ダイニングに向かう。
机の上にある体温計を手にとり、深呼吸する。
目線を合わさないままの私をきっと不信に感じているだろう。
平常心。
平常心よ。
今までだって何回かキスしたじゃない。
特別なことじゃない。
体温計を握りしめ、清正の元へ戻る。
冷静を意識しながら、首もとから腋下へと体温計を滑らそうとするが、清正に近づくと、先程のキスを思い出し、体温計を持つ手が小刻みに震え上手くいかない。
「……ご、ごめん」
「いいさ。
自分で出来る。
脇に挟めばいいんだな」
「……うん」
フッと軽く笑った清正は、体温計を脇に挟んだ。
暫くして、ピーッと音がなり、熱を確認する。
「36.5度。
熱も下がってるみたい。
良かった」
「ありがとう。
お前のお陰だ」
「ううん……」
ふわりと私を見て、優しく微笑む彼に、どくどくと鼓動が打ち出す。
「あ!
何か作るね!
お腹すいたでしょ?」
側にいることに耐えられなくなった私が、立ち上がろうとしていると、その瞬間、強い力で腰を引かれ、気づけば清正の胸の中におさまっていた。
「あ……あの……」
距離をとろうとしたのに、距離を縮められてしまった私は、パニックになりそうだった。
彼の熱を感じて、鼓動は太鼓のように鳴り響いているし、身体中の熱が蒸発していくような感じだ。
「……萌」
「……ッ」
突然、掠れた低く甘い声が耳許に聴こえ、反射的に体がぞくりと震える。
それはまるで。
まるで……恋人に囁くように。
絡み付くように耳の奥へと響く。
清正に抱き締められること。
体を重ねるよりも、もっと、繋がっている気がする。
「……すまない。
驚かせるつもりはなかった。
ただ……。
お前に出逢えて。
俺は、今、とても幸せだ。
そう、伝えたかった」
私の体を優しく包む温かい清正の体。
とくん、とくん、と穏やかに鼓膜に響く彼の鼓動。
お前に出逢えて幸せ。
その言葉は、愛を伝えるよりも深く私の心に広がる。
私も幸せだよ。
あなたに出逢えて。
言葉にして伝えたいのに、何故か言葉が出てこない。
彼の腕の中で、こくこくと頷き、大きな広い背中に両手を回すと、無意識にじんわりと熱くなった目からポロリと涙が流れた。
温かい涙が、止めどなく頬を伝う。
好きだとか。
愛してるとか。
言わなくても感じた。
伝わったの。
清正の私への想い。
想いは一緒だって伝えたくて、ぎゅっと背中の服を掴むと、清正も私を抱き締める手を強くした。
二人を縛る柵は、今、この時、何もない。
この時だけは……。
茜色の空が紫色の光を帯びてきている。
カーテンの隙間から射し込むその光の温かさを感じ、私達は他愛もない話をポツリポツリと交わしながら、部屋が真っ暗になるまで、お互いに身を寄せあっていた。
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