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▼名前ライフ

005


 白。雪のような色。光を一様に反射し、見る人に明るく感ぜられる色。
 白。彼女の色を表現するのに最も適切な色。白。


 授業二日目の朝、ホームルームが始まる少し前。前日には誰も座っていなかった席に一人の少女が座っていた。
 入学式にも授業初日にも欠席していた彼女を見て、教室内がざわつくのも無理はない。二つの意味で、無理もない。

 腰まで伸びる藍白色の髪に灰汁色の瞳。眉目麗しい容姿をより一層引き立たせる色素の薄さ。
 誰もが息を呑む美しさ。艶麗さ。儚さ。


 騒がしい教室内が静まるのはそれから暫くして。担任かつ現役アイドルの日向が扉を開けたことにより静けさを取り戻し、大人しく自分の席に座る。

「授業の前に、諸事情で入学が遅れてた奴が一人いるからそいつの挨拶からだ。名字」

 日向の言葉に名前が立ち上がり、クラスメイトの視線が全て彼女に集まる。

「名字名前。一応アイドルコースということで、よろしく」

 本当にアイドルを目指す人間なのかと疑いたくなるような愛想のない挨拶。
 美しい容姿とは正反対の淡白さを見せられたクラスメイトは彼女に対してあまり良い印象を持てなかった。

 そんな中一人だけ別の感情を抱く人物が、彼女の三つ隣の席の一つ前に座っている一ノ瀬トキヤだ。
 己が愛聴していたラジオのパーソナリティと酷似した彼女の透き通るような声に、トキヤは心拍数を上げる。
 彼女がラジオを降板したのはここに通うためだったのかと納得すると同時に彼女の変容ぶりに困惑していた。

 何故彼女はこんなに変わってしまったのか。

 何が。

 色が。

 数年前に邂逅した時とは容貌が随分と変わってしまっているのだ。
 朧気な記憶だが彼女についてははっきりと覚えている。あの時の彼女は確かに黒髪黒目だったのに今は見る影もなく真っ白そのものではないか。
 背中まで伸ばされた長く艶のあった黒髪が今は白くなっており、それでもケアはされているようで光に当たるときらきらと美しい。

「何か得意なことはあるか?」
「得意なこと……そうですね、早口言葉とか、あとは長台詞の速読暗記とか?」

 前日、皆が歌や楽器を披露していたのでそういった特技を尋ねたつもりが、まさかの滑舌系特技。
 何かおかしいことでも言ったのかと首を傾げる名前に、日向は面白そうに一般教養の教科書を適当に開きそのページを見せた。

「じゃあこのページでやってみろ」
「はーい」

 日向から教科書を受け取り数十秒間黙読し、再び彼へ戻す。
 たった数十秒で暗記したというのか。クラスメイトたちの訝し気な視線を浴びながら、彼女は口を開いた。

「『牧場のうしろはゆるい丘になって、その黒い平らな頂上は、北の大熊星の下に、ぼんやりふだんよりも低く連って見えました。ジョバンニは、もう露の降りかかった小さな林のこみちを、どんどんのぼって行きました。まっくらな草や、いろいろな形に見えるやぶのしげみの間を、その小さなみちが、一すじ白く星あかりに照らしだされてあったのです。草の中には、ぴかぴか青びかりを出す小さな虫もいて、ある葉は青くすかし出され、ジョバンニは、さっきみんなの持って行った烏瓜のあかりのようだとも思いました。そのまっ黒な……』」

 読み聞かせているのかと錯覚してしまいそうになるくらい穏やかに発せられた物語の一節に、全員の耳が集中する。

「……一字一句間違いない」

 長々とそのページに印刷されている長文を噛むことなく一字一句間違わず言い切ったことを日向が確認すると次の瞬間には割れんばかりの拍手が教室を包む。
 当然その場にいる全員が感心し、その記憶力の良さに脱帽した。
 彼女は得意気になる様子もなく静かに席に着く。それから日向も何事も無かったかのように授業を開始した。


 その後に始まった授業。本日の一限は週に三回程設けられた一般教養の記念すべき一回目。

 一般教養。専門的、職業的教養に対して、広く人間として共通に持つべき教養。

 ここは芸能関係を目指す者たちが集う学び舎だ。一般高等学校などで学べる知識を蓄えに来たのではないと言いたげに授業に集中していない者が多数いるのも無理からぬこと。
 しかし入れ替わりの激しい芸能界へと身を投じる場合一般教養の類は必ず必要となってくる。挨拶の仕方や敬語の使い方一つで生存確率が上下する不安定な世界。
 お馬鹿タレントが流行っていた時代もあったが本物の馬鹿は生きていけないのが芸能界だ。
 作詞作業においても知識というものはあって損のない物で、そのためこの学園ではレコーディングテストなどの他に一般教養の定期考査もあり、補習も存在する。

 定期考査。学校で、それぞれの教科、科目の学習成果、教育効果を評価するため定期的に行われる試験のこと。この場合一般教養の考査。

 二年と二日間高等学校に通っていた名前にとっては失笑したくなるレベルの低さだ。欠伸混じりに日向の言葉を聞き流しながら手帳を開いて今日の予定を確認する。
 放課後には日向に呼び出されておりその後は仕事の打ち合わせ。打ち合わせ内容は十中八九、事前に聞かされていた全国区ラジオの話だろう。

 どんな番組になるのだろうかと考えていると隣の席に座る男子が小声で話しかけた。

「お前すげーな。あんな長い文章よく一瞬で覚えられたな」
「記憶力だけは良いんだよねー。十分もしないうちに忘れちゃうんだけどさ」
「俺様は来栖翔。隣同士だし仲良くしてくれよな」
「こちらこそよろしくねー」

 太陽のように笑う来栖に対して名前は室内で帽子を被っていても注意されないとは流石アイドル育成専門学校だ、という少しズレたことを考える。
 トキヤがちらちらと名前を見ていることにも気づかず、彼女の思考は放課後の事に戻っていた。


 宮沢賢治「銀河鉄道の夜」青空文庫より引用。


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