Crying - 703

≪Prav [72/72]
「――だから、おまえらん所の阿修羅像のせいだって言ってんだよ!」
「違います!」
「違わねぇ!」
 夜明けに神社を出ていく氏子達をつけていた名前は、着物を身に纏った華やかな女性達との諍いに出くわした。

「昨日の地震もそうだ! おまえらがこの遊花区にいない間は、この辺りにゃ地震なんか起こらねぇ!」
「それだけで、何でうちの阿修羅様のせいになんのよ!」
「毎回毎回、何か起こるたびに言い掛かりつけやがって!」
「そうよ、そうよ!」
 図体はでかいのに気が小さいのか、活発な女性達に言い負けそうになり、
「うるさい!」と氏子が腰刀を振り上げる。「この女共め!」

 振り下ろされた腰刀は女性に届くことなく、鞘に納められた刀に阻まれていた。
「うちの子達に手ぇ出すんじゃないよ!」
 氏子を背に割って入ったお団子頭の若い女性が睨みつける。
「きゃー、主人(オーナー)」
 女性達の色めき立つ声を、苛立った声が制した。

「邪魔すんじゃねぇ!」
「するに決まってんだろうが! この唐変木! 遊花区で暮らす者はすべて鈴蘭一座の身内! このあたしの目の黒いうちは、指一本! 触れさしゃあしないよ!」
「よ! 鈴蘭ちゃん!」

「怪異を呼ぶ阿修羅像を本尊にしている一座に身内も何もあるかい!」
「不吉な像を後生大事に祠(まつ)りやがって! 何かたくらんでやがるんじゃねぇだろうな!」
 武力で遅れを取った氏子達が嫌味ったらしく吐き捨てる。

「蒼石様もなんでこんな奴らを追い出さねぇんだ!」
 ――あ
 背後から襲いかかった氏子達に遅れを取った主人が、打ちのめされる瞬間、氏子達が一斉に吹き飛んだ。
 桶を軸に逆立ちした女性が鋭い回し蹴りで囲っていた氏子達を蹴散らしていた。

「覚えてろよ!」
「一昨日おいで!」
「塩まいてやる!」
 ここぞとばかりに反撃していた女性達がくるりと反転し、
「小狼、強いのね!」と“蹴散らした女性”に群がる。

 遅れて主人が声をかけていた。
「ありがとよ、小狼! そうだ、うちの舞台に出てみないかい?」
「何やる? あたし教えたげるー」
 女性達にもみくちゃにされ姿を消した小狼の戸惑いの声だけが漏れる。
 笑って見ていた主人は、やがて笑顔が消え俯いていた。

 ――ここでも、名前に動揺する人がいるんですね


「桜さん」
 心配そうに主人を見つめていた桜がハッとする。
「名前さん!」
「随分と陽気な場所ですね」
 皮肉が混じったような気がしたけれど、彼女は気に留めず、華やかな女性達に世話になっていることを簡潔に話してくれた。
 話終えてなお小狼の姿は見えないままだった。

「仲間が見つかったのかい?」
 軽い挨拶を終え、お団子頭の主人――鈴蘭が勝気に笑う。
「あ、でも、ファイさんと黒鋼さんが」
「無事です。酒浸りでごきげんですよ」

「合流する前に少し休憩を挟みませんか?」と名前がようやく解放された小狼を見て微笑する。「舞台に出られるのでしょう?」
「あんたも出てみるかい?」
 鈴蘭の一言に周囲の女性が聞き耳を立てる。
「いえ、私は。よければ、一つお願いしたいことがあるのですが」


「――名前も歴史が好きなのかい?」
 ここまで案内してくれた鈴蘭が、それを見た瞬間立ち止まってしまった名前に声をかける。

 長屋の一室に祀られた阿修羅像。
 華奢な体を包む長い髪に長くとがった耳。祈るように合わせた手の間に燐火が揺らいでいる。
 鎮座したその姿は透明感があり呼吸をしているのではと錯覚させてしまうほど精巧だった。
 人ならざる美しさ。形容しがたい畏怖の感情と似ていて、その存在に意味を求めてしまうのも無理はないと思ってしまう。

「小狼君のことですね?」と瞳を煌めかせる少年を思い浮かべながら、阿修羅像へと歩を進める。「私はただ、あまりにも綺麗だったもので」
 小狼達は先に舞台の場所へと向かっていた。

 阿修羅像は夜叉像とよく似ている。
 台座の形もその精巧さも瓜二つだった。大切に祀られていることすらも。
 対で作られたのだとしたら。それが二つに分かれて、そこに飛ばされた人間が同じように二手に別れる。偶然――
 落とされた場所で、その名に関わりがあることも――


「そろそろ小狼達も着いた頃だろうし、あたしは行くよ」
「私も――」
 横切って行く鈴蘭に振り向こうとして、背中から肩を押さえられた。顔だけ鈴蘭の方へ向ける。

「名前は舞台には出ないだろ。見てって損はさせないけどね」と屈託のない笑顔が、少し悲しげに映る。「気になるんだろ。阿修羅像のことを気にしてる人のことがさ。もしかしたらその相手ってのは、その……」

 言いよどむ彼女が重ねて見てるのは、対立する氏子達の主だろう。
 この世界はなんでもわかれさせるのが好きらしい。それも二つの像に絡めて。
 私はこの世界の人間ではないけれど、誰であれ彼女が大切にしているもののせいで分かたれてしまうことを恐れているのかもしれない。

「蒼石さんを気にされてるのですね」
 飛びのいてわかりやすく狼狽える鈴蘭に目を細める。
 同時に胸のあたりに重たいものが沈み込んだ気がした。「いいな」と、吐き出した言葉がわずかに胸を軽くする。

「名前は他の仲間のことなのかい?」
 耳を赤くしたまま問う彼女に、にこりと笑う。
「阿修羅像を気にしていたのは、そうですね」
 ――今自分がなにに心動かされているのかわからないほど鈍感じゃない。ここに来た理由もわかってる。
 時間に急かされた彼女が扉へと近づく。閉じられて行く中、
「あたしは名前が羨ましいよ! 会えないのは寂しいんだ」

 ――会えないことを寂しいと感じたら、後戻りはできないのかもしれない
≪Prav [72/72]

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